子供の頃、ニュースなんかの中でもう何年も、何十年も前に亡くなった子供のことを涙ながらに語る親に「そんなに時間が経ってるのに未だに泣くの?」と、ちょっとうさんくさささえ感じていたんですが、もしその頃の自分に会えたなら助走つけてぶん殴りたい。 泣けるんだよ。いつでも昨日のことのように
家計用の銀行口座を新設した。家族構成に配偶者無しでチェックする。こんな細かい事がいちいち心に突き刺さる。慣れなきゃね…。
……なんだかんだ言いつつ。 もう一度声が聞きたくて気が狂いそうになることもある。 (ビデオの類がないため)
正直、平気な日も増えてきた。 でも、やっぱりふとしたはずみで「もう会えない」ことを思い出した時、なにか太い杭のようなものが鳩尾に刺さるような苦しさがある。 杭≒悔い などとダジャレみたいなことを思う13回目の月命日
初盆を乗り越えて、かなり娘を手放せたというか、ある意味楽になった部分があったように感じていたけれど、さっきXで希死念慮のある息子にどう言葉をかけたら……という投稿についていたアドバイスのコメントの数々見ていたら、ああ、これ娘が死ぬ前に知りたかったと思ってまた涙が出た
一年が経ったので、自分だけが振り返りやすいように本、作ろうかな。一冊だけ。 2万円もあれば出来るみたいだし。
娘、そうめんが大好きでね。 だから誕生日プレゼントで桐箱入りの高級そうめんあげたりすると「うわ~、旨すぎて口が曲がる~~~! 普通の安いのが食べられなくなるからやめて~~!」と大騒ぎしてたのね。 で、今日。揖保乃糸の特級茹でて、仏前に備えたら久々に家族の目の前で号泣してしまった