花ひらくまで
しばらく忙しない日々が続いていて、noteを全然書けていなかった。
昨年の秋から同居を始めたパートナーと、来月入籍することになった。
結婚式を挙げないので記念写真だけは撮っておこうということになり、5月の頭に二人の母校で写真を撮ってもらった。
その前日、撮影用の小さなブーケを用意するために私は一人で梅田の花屋さんに行った。
ところが、週末に母の日を控えていたこともあり、店頭に置いてあるのはカーネーションばかりだった。
辟易とした気分になりながら何軒か花屋さんをはしごする。
最後に行った花屋さんではカーネーション以外の花も置いてあったけれど、結局目に留まったのはオレンジ色のスプレーカーネーションだった。
母が亡くなってから、母の日にもカーネーションにも縁がなかった。
けれど、なぜかそのときはどうしてもそのオレンジ色のスプレーカーネーションを持って記念写真を撮りたいと思った。そして、それを母に見せたいと思った。
パートナーと同居することが決まってから、先方のご両親やお祖母さんたちに挨拶に行った。
そのときにも、母を自死で亡くしていることが心の重荷になっていた。
私のせいで、二人の生活に対して余計な心配を抱かせるのではないかと思っていた。
実際はあたたかく受け入れてもらえたのだが、相手方の家族に母の話はしなかった。
母が不在のまま、すべてが通り過ぎていく。
心のどこかで、そのことに対する申し訳なさや寂しさがあった。
本当は、母親に相談してウェディングドレスを決める友人たちがうらやましかった。
花屋さんの店頭でカーネーションを眺めながら、これまで心のなかで蓋をしていた感情が急に込み上げてくるようだった。
「ブライダルのブーケでカーネーションはあんまり使わないけどね」
花屋のおじさんが苦笑しながらそう言っていたけれど、それでもこれがほしいと言ってオレンジ色のスプレーカーネーションを買った。
結婚写真には相応しくないとしても、変だとしても、母と私だけがその意味を分かっていればいいと思った。
***
6月29日が母の誕生日なので、その前の週にパートナーと一緒に母のお墓参りに行った。
お墓参りに行くのは数年ぶりで、恋人を母のもとに連れて行くのは初めてのことだった。
母のお墓は京都の小さなお寺のなかにある。
昼過ぎに京都に行って、お寺の近くのお蕎麦屋さんでうどんを食べた。家族でお墓参りをするときには毎回そのお蕎麦屋さんで食事をしていた。
当初、お墓に供えるお花をお寺の周りで調達しようと思っていた。けれど、昼食を取りながらスマホで地図を調べていたらお寺の近くには花屋さんがないことに気づく。
午前中仕事をしてきて疲れているパートナーをわざわざ暑いなか歩かせるのが申し訳なくて、「お花がなくてもお母さんは気にせぇへんからいいよ。もう死んでるし」と私は冗談めかして言った。
けれどパートナーは「初めて挨拶するのにお花もなかったらお母さんに失礼やわ」と珍しく自分の意見を強く主張していた。
結局、昼食後に十数分ほど歩いて昔ながらの商店街の一角にある花屋さんでお花を買った。
母方の祖父の親戚が切り盛りしているお寺は数年の間にリノベーションして不自然なほどに様変わりしていた。
そのことを二人で笑って茶化しながら、母の眠るお墓を掃除して切り花を供える。
挨拶に来るのが一番遅くなってごめんなさい。今度、この人と結婚します。
私が心のなかで母にお詫びと報告を終えたあとも、パートナーはしばらくじっと母に向かって手を合わせていた。
母に初めて紹介した恋人が、一度も会ったことのない母を大切にしてくれる人でよかったと思った。
***
6月29日、今年の母の誕生日にはパートナーと一緒に母の好物のシュークリームを食べた。
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