実家の猫を連れて。なんというか色々と起こりすぎる。
今月も築地本願寺で僧侶さん主催の遺族会は予約満席で出席できず。意識して遅くチェックするようにしてるんだけど、ここ数回は埋まるのが早いなぁ。僕より話したい人が居るのだろうから、やむなしだ。でも、まぁ今月はちょっと出席したかったな…
なんとなく、同じ立場の同性のお話を聞いてみたいと思う。皆さんどうやって生きているんだろう。神田正輝さんを見ていて辛くなる。
この半年は数日しか休んでなかったので、正月休みに三日間仕事しなかったからエンジンなかなかかからなかった。と、思ってたけどイベントの連続が辛かっただけなのかなぁ、とも。ともあれやっと気分を持ち直した。
食事に入った店で『生まれ変わっても自分になりたい』と言う内容の曲が流れていたが、今はとてもそう思えない。下の子の父として今生は全うしなきゃならないけど、あとはあちらに行ってから色々とわかるのかな。とりあえず日々を生きるしか未だに術は無い。
今更気づいたのだけど、仕事だけは出来たのは彼女の自死に対して罪悪感をあまり感じない行為だからだ。ずっと音楽も聞けなかったし、未だにテレビも見る気がしない。趣味も途絶えてしまった。でも、まぁ少しづつ無理せずに行こうと思う。
書けるほどに思いがまとまらずnoteを更新出来ずに居る。彼女が逝ってしまってから、そろそろ半年。12月の月命日もロケになってしまった。でもそれで良いのだろう。以前と変わらず仕事に追い立てられる程には、気持ちはマシになっている。
サポートをいただいた。言葉足らずのお返事しか出来なかったので、ここに書かせていただきます。お気持ちお察しいたします。どなたかの力に少しでもなれている事は自分にとってこの上ない救いになります。ありがとうございます。お辛い時はメッセージでもコメントでもなんでもくださいませ。
築地本願寺で僧侶さんたちが主催されている自死遺族の会に行ってきた。4回目。今回は皆さんお子様を亡くされているグループでの会話だった。自分もそうなのだろうが、本当にかける言葉が見つからない。
月日が経って、悶絶するような鋭く深い悲しみはだいぶマシになった。けれど逆に今度は彼女が生きていた時間がどんどん遠ざかる形容し難い寂しさに晒されている。まるで身体の周りから潮がどんどん引いていくような。