『可哀想と思うのをやめよう』
彼女が逝ってしばらくの間、妻は下の子と居るときは気丈に振る舞ってはいるけれど、一人になったり布団に入ると、ずっと泣いていた。「彼女が可愛そうだ」「楽しいことはあったのだろうか」「悲しい人生だったんじゃないか」って。僕もどう答えて良いのかわからない。
精神的にヘトヘトになって気絶するように眠り、明け方に目が覚めて、絶望的な現実に打ちのめされる毎日がしばらく続いた。
でもある夜、懊悩でぐるぐる回る頭に、ふと浮かんだんだ。『残された親の僕らが悲しい人生だったと思ったら、本当に悲しい人生になってしまうんじゃないか』って。
『彼女の人生は短かったけども、一生懸命生きたって、親の僕らだけでも認めてあげよう』って。
最後の最後は精神疾患という病気に負けてしまったのかも知れないけど、精一杯闘ったんだ。もちろん親である僕らの責任はあるけど、それは彼女の問題じゃない。
だから、可哀想だと思うのはやめようって。
僕と妻の悲しみ方はかなり違っているようなんだけど、この考え方は妻にも受け入れられて、すこしだけ眠れる時間が増えた様子に見えた。
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