逝ってしまった娘からのメッセージ

彼女が逝ってしまってからも僕は仕事を続けた。告別式までは休ませてもらったけど。だって休めって言ったっていつまで休めば良いんだ。どうせ何時まで経ってもこの苦しみや悲しみは癒える筈も無い。ならば、働かない理由はどこにあるのか。そう思った。

確かに仕事に集中している時は良いのだけど、その他の時間が不味かった。特に運転している時。

当時、そればかり考えていた『何故、どうして? 』が浮かんで来ると、そればかりがグルグルと頭の中を回って次第に肥大化し、その事以外は考えられなくなる。脳が悲嘆に支配される。

ある日、運転中に特大の波に襲われて、『あぁ、もうダメだ!』と思った。もう他には何も考えられない程に頭の中はパンパンになり、苦しみの霧に覆われた。おそらくかなり運転も危険な状態だっただろう。あのままだったらきっと事故を起こしていたと思う。

『もう限界だ!』と感じたその瞬間、唐突にパン!と頭の中に鮮明なイメージが浮かんできた。
それは彼女が大好きだった、先に逝ってしまったお義父さんとお義母さんと一緒に田舎のソファで微笑んでいるイメージ。

その時に思ったのは、『あぁ、一緒に居るんだなぁ。こんなに嬉しそうに笑ってるならアチラも悪くはないんじゃないか』って事だった。

そしてそれまで支配されて居た苦悶と霧が晴れ、その日は再び運転が出来るようになったんだ。

不思議だったのは、それまでそんなイメージは一度も考えた事が無くて、思った事も無い。それどころか彼女の笑った顔すら思い出せなくなっていたくらいだったのに。

『走馬灯みたいに脳が危機的状況に反応して解決策を勝手に探したんだろうよ』って、もう一人の僕が囁いたりする。まぁ、当然の反応だよね。

でも僕が何故か自然に思ったのは、あのイメージはきっと彼女が見せてくれたんだろうなぁ、って。あんまり落ち込んでるクソオヤジを心配してくれたのかなぁ、って。しっかりしろって激励してくれたのかも、って。

この出来事が、僕が魂の存在を感じた2個目の理由。
そして『あぁ、あまり僕らが悲しみ過ぎていたら彼女が浮かばれないんじゃないか』って思った。

でも、このイメージと考え方は帰宅して妻に話しても強烈に拒否される。
『私はそんな事を感じる事も考える事も出来ない! 私の思考をコントロールしようとしないで!』と拒絶された。

僕は誰かと話したり、こうしてnoteに書くことで自分の気持ちを整理しているようなのだけど、妻はひたすら悲しむ他に術が無いように見えた。

妻の悲しみを和らげる手段は、僕には何も見つけられなかったんだ。





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