久々利
2023年8月12日に娘が自死してからの後悔とか反省とか嘆きとか。
自分から死ぬ気はないけれど、もう本当に生きるのめんどくさくなっていて早くお迎え来ないかなぁ……と思いながら転寝をしていたら、珍しく亡くなった母が夢に出てきた。 上目遣いに私を睨んでいて、別に怖いとかはなかったけれど、なんなんだよ、という気持ちにはなった。
正直、平気な日も増えてきた。 でも、やっぱりふとしたはずみで「もう会えない」ことを思い出した時、なにか太い杭のようなものが鳩尾に刺さるような苦しさがある。 杭≒悔い などとダジャレみたいなことを思う13回目の月命日
昨夜の幸せな夢を反芻して、それでもやっぱり涙が出た。 「また、秋には来るから」と言っていたのはお彼岸のことかな。 何が食べたい?と訊いたらおはぎが食べたいとも言っていた。ただ、モーリタニア風のおはぎはおいしくない、と意味不明の事を言っていたあたりが夢だなと思った。
なんだか酷く疲れていて、なにもしたくなくて、あー、早くお迎えが来たらいいのに……とか思いながら寝ていたら、久々に娘が夢に出てきてくれた。しかも長尺で。凄く嬉しかった。
今、漫画のストーリー作りを学ぶためにオンラインの教室でせっせと毎週課題漫画を描いているのですが。 今週の課題が「復讐」だったので、以前自分が思ったことなどを整理して8Pのネーム(下書きの下書き…みたいなもの) にしてみました。 フィクションとはいえ、この手の内容をこうして作品に昇華できる程度には自分の中で整理がされてきたんだなぁと思ってみたり。 ストーリーの勉強と言いつつ、内容はほぼほぼ自分の体験なので、あまり創作という点では頭使っていないなとも思ってみたり。 自分の場合
初盆を乗り越えて、かなり娘を手放せたというか、ある意味楽になった部分があったように感じていたけれど、さっきXで希死念慮のある息子にどう言葉をかけたら……という投稿についていたアドバイスのコメントの数々見ていたら、ああ、これ娘が死ぬ前に知りたかったと思ってまた涙が出た
娘、そうめんが大好きでね。 だから誕生日プレゼントで桐箱入りの高級そうめんあげたりすると「うわ~、旨すぎて口が曲がる~~~! 普通の安いのが食べられなくなるからやめて~~!」と大騒ぎしてたのね。 で、今日。揖保乃糸の特級茹でて、仏前に備えたら久々に家族の目の前で号泣してしまった
台風が近づいて、天気が荒れもようになってきた。 去年の葬式当日も大型台風が来たなぁ……。 出棺のときと、帰る時だけ一時的に雨が止んだっけ。 お盆ももう終わりか……。 悲しさは変わらないけれど、少しづづ、娘が居ないことに慣れて来たような気がする。
どうしても、動いている娘が観たくて。一年前の防犯カメラから取り出した、最後に家を出ていく動画を観た。 今日みたいに暑い日の昼間に、うちを去っていく最後の後ろ姿がたまらなかった……。
一年が経ったので、自分だけが振り返りやすいように本、作ろうかな。一冊だけ。 2万円もあれば出来るみたいだし。
去年の今日、11時50分に娘は亡くなりました。 去年の今頃、私の頭の中は進んでいない仕事と、翌日のデッサン教室の事が大半を占めていました。 娘の事は「この忙しいときに帰ってきてなんかぐずぐず言っているめんどくさい奴」でした。 娘も、そんな私のピリついた空気を感じてか、姑の部屋に入りびたりで、正直それも私にとっては面白くなく。 そんなこともあって、娘への私の態度はけしてあたたかいものではありませんでした。 先日、娘がお世話になっていたグループホームの施設長さんがお参りに来てく
明日の命日を前に、もうずいぶんなかった「あのときの今頃はまだ生きていた」が襲ってきて本当に辛い。 時々泣き崩れて吐いてしまう。 もう死にたい。
「ちがうよ」って言って欲しい下心満々で、周りの人間ひっ捕まえて「ねぇ、私が追い詰めちゃったのかなぁ? ねぇ!」って聞いてまわりたい衝動にかられている。 しないし、言われても信じられないし、これは自分で背負わないといけないものだから苦しくても仕方ない。
なんか、もう生きるの疲れたとか言いつつ、学ぶことで、この世にしがみつこうとしている。 なんで生きるんだろう。カミサマの、運命の、勝手で適当に終わらせられる命なのに。
身内が自死するとさ……どんな理想も、光り輝く言葉も、全て空しくなっちゃうんだなと。 「僕のヒーローアカデミア」の完結記念動画を見て思ったり。 困ったことに、私はこれからもそういうキラキラしたものを信じてるふりして仕事しないといけないんだけど……。