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自死遺族になるまで①

最初のnoteにも書いた通り、私は自死で家族を亡くしています。テーマがテーマなので苦手な方はすみません。

あっという間に10年以上が過ぎ、一緒に過ごした時間よりいなくなってしまった時間の方が長くなろうとしています。

何となく家族の自死ということは私自身話すことではないと思っていて、ある程度付き合いが長くても話してない友人や知り合いが沢山います。

相手に気を遣わせるだろうな

自死といったらどんな風に思われるだろう

これはあまり人に伝えることではない

想像で故人を誤解してほしくない

などなど色んな気持ちがあって自分から伝えることは控えていましたし、何故その家族がいないのかと聞かれたときに自死といえなかったこともあります。

自死遺族の集まりなどに私は行ったことがないので、他の自死遺族の方がどういう思いでいるのかというのは直接聞く機会がこれまでほぼありませんでした。

そもそも似た境遇ではあっても、全く同じなんてことはないと思っています。
一般化できる感情でもなければ、このぐらい時間が経てば気持ちが落ち着くなんてものでもないでしょう。人それぞれ受け止められるキャパシティも違いますし、感じ方も違います。
家族の中でさえ、それぞれの関係や立場で思いは違っただろうと今振り返ると分かります。
親、子ども、配偶者、友人、仕事仲間などなどそれぞれみんな故人とは異なる関係性で繋がっているでしょう。

私は故人から見て「子ども」になります。
親が突然いなくなると、その当時は考えたことがありませんでした。
今もひょっこり現れるのではないかと思うぐらい突然の出来事でしたし、今思えばあれは何かのサインだったのかなと振り返ることは出来ても、その当時は自死の予兆を感じることは私にはできませんでした。

明確に何が理由だったかは今も分かりません。
手紙は私を含め3人に残していましたが、誰のものにも理由は書いていませんでした。
特定の出来事や人物について書いてあればどれだけ楽だっただろうと不謹慎ですが思いました。
誰も何も恨めないし、感情をぶつける先がない。自分のせいかもしれないと自分をひたすら責める時間も長くありました。

故人の性格を考えたら、我々家族が変な気を起こさないようにしたかったのかもしれませんし、理由が自分でもわからなかったのかもしれません。
理由を考えても本人しか分からないことなので全て私の想像ですが。

今は実家を離れていますが、写真は家にありますしお骨も御守としてあります。
時々帰ってお墓参りもしますが、ああやっぱりいないんだとそのたびに感じています。


少しでも私が一緒に過ごした時間や当時考えていたことを残せるようにまとめていくつもりです。
しばらくお付き合い頂けると幸いです。





#自死
#自死遺族
#限界アラサー


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