見出し画像

大切な人の自死とグリーフをめぐる語り合い――wish you were hereの対話を通して|第3回 「似た境遇の人と繫がって、一緒に生き延びたい。」

0歳のときに自死で母親を亡くした筆者が、小学生のときに母を自死で亡くした友人とともに、自死遺族や大切な存在を自死で失った人たちとSNS等で繫がって対話をする活動と、それぞれの率直な思いを話し、受け止め合う音声配信を、約2年間続けてきました。10人のゲストの人たちとの、自死にまつわるテーマでの話しあいや、聞いてくれた方からのメッセージからの気づきと、筆者自身の身近な人の自死の捉え方や心境の変化、グリーフについての学び、大切な人を亡くした人たちへのメッセージを綴ります。

※この連載では、遺族の立場から、自死・自殺についての話をします。それに関連するトラウマ的な体験をしたことがある人や、死にまつわる話が苦手な方などは、読んで辛くなることもあるかもしれませんので、お気をつけください。
※月1回更新

母親を0歳のときに自死で亡くしたことや、家族の他のメンバーが精神疾患で苦しむ様子を子どもの頃から見てきたこと、そして、僕自身が学校の先生に話を聞いてもらって楽になった経験があったことなどから、高校生の頃には、将来はカウンセラーの仕事に就きたいと思うようになっていた。

1年間浪人をしたのちに臨床心理学を学ぶために僕が入った大学の学部は、1学年60人ほどの小さな学部だったけれど、北海道から沖縄まで、全国各地から個性豊かな面々が集まっていた。心理学だけでなく、社会学や教育学、哲学などを学べるコースもあって、それぞれが、人や社会に関わる幅広いテーマに関心を持って学びに来ていた。

大学で一番大きな図書館の北隣にある4階建ての建物が、僕たちの学部棟だった。学生や大学院生のたまり場になっていた地下の部屋には、畳が敷かれ、冷蔵庫や電子レンジやテレビがあり、たくさんの漫画が置かれていた。夜になると先輩や同期の人たちがテレビゲームや麻雀をして盛り上がっていた。ほとんど家に帰らず、その部屋に住んでいるような先輩もいた。

そんな学部に入って数年がたった頃、同期の女の人と、はじめて二人で飲みに行くことになった。その人とはそれまであまり話したことがなかったのだけど、共通の友人から、「二人の関心が近そうだから一度話してみたら?」と勧められたのだった。当時僕は、児童自立支援施設でボランティアをしていて、その人は、地域小規模児童養護施設(グループホーム )でアルバイトをしていた。二人とも、「社会的養護」と呼ばれる、事情があって親元で暮らしていない子どもたちの支援に関心を持っていた。

飲みの場で、互いがこの分野に関心を持ったきっかけを話していくうちに、その人も母親を自死で亡くしていたことを知った。1学年60人ほどの小さな学部の同期に、自分以外にも母を自死で亡くした人がいたことを知って驚いた。

自殺した母以外にも、精神疾患を患っていた家族がいたこと、いろいろとハードな子ども時代を送って来たこと、そして、カウンセラーを目指してこの学部に入ったことなど、境遇が重なる部分が多かった。一方で大きく違ったのが、その人がお母さんを亡くしたのは小学生のときで、その当時の記憶が鮮明だったことだった。話を聞いていると、僕よりもよっぽど大変な経験をしていて、今もトラウマを抱えているようだった。

それから時々二人で飲みに行くようになり、やがて一緒に、自死にまつわる対話の活動をするようになる。その人のことを、ここでは活動名で、よだかさんと呼んでおく。よだかさんは、大学2回生のときに休学をして進路を変更し、臨床心理学ではない別のコースに進んでいた。

カウンセラーを目指して入った学部だったけれど、僕も結局、別の道を選んだ。大学4回生のある時期に、家族が2人、同じタイミングで調子を崩して精神科に入院して、他の家族のメンバーと一緒にその対応にあたっているうちに、僕自身も心が不安定になった。卒論が手につかなくなり、カウンセラーの仕事をする自信もなくなっていた。自分が仮にカウンセラーになれたとして、受け持っているクライアント(来談者)がもし自殺をしたら、自分はそれに耐えられないだろうと、強く不安に感じるようになっていた。臨床心理学を学んではいたけれど、自分自身がまだまだ不安定だったし、直接の記憶がないはずの母の自死に捉われていたのだ。

いろいろと迷ったのち、大学卒業後には障害のある人の生活支援の仕事に就いた。身体障害や、自閉症、知的障害の人の利用が多い福祉施設だった。臨床心理士になるのは諦めたけれど、いずれは精神保健福祉士の資格をとって、メンタルヘルスの領域で働きたい気持ちはあって、いつか自殺予防にも取り組みたいと思っていた。けれどそれは、まだ早い気がしていた。まだ、母のことや、子どもの頃に家族で経験した辛い出来事をきちんと消化できていなかったし、ときどき、些細なことでひどく落ち込むこともあった。誰かの精神的なしんどさを受け止めるだけの器が自分のなかに育っていないように感じていた。障害者施設の職場の利用者さんたちは、生活するうえで誰かの支援は必要だけど、気持ちは安定している人が多く、働きながら、僕の方が支えられているようだった。

そうして4年ほど障害者支援の仕事をしていた頃に、よだかさんと話す機会があった。当時僕は1~2ヵ月に1度、大阪で、精神科に入院中の方に会いに行くボランティアをしていた。そのボランティアの帰りに、当時よだかさんが住んでいた家の近所の大阪城公園で喋ろうと、僕から声をかけたのだった。2021年の、10月末のことだった。よだかさんはその日、夜勤の仕事の前だった。

大阪城公園の西側のベンチで話をした。
風が少し強い日だった。

ベンチでコーヒーを飲みながら喋っていると、よだかさんはおもむろに、大事な人を自殺で亡くした人たちと繫がって、話をする活動をしたいと話し始めた。

「自死遺族の人って普段生活していてもあんまり会わへんけど、みんなどこでどんな人生を送ってるんやろう? 私みたいに、自分も死にたくなるっていう人も多いんかも。遺族会やと、その場でしか話せないことも多いから、友達みたいに飲みながら話せる繫がりを増やして、一緒に生きのびていきたいねん。」

よだかさんは、関西弁を話す人だ。

自死遺族や、大切な人に自死で先立たれた人は、精神的に不安定になったり、自身も自死をしてしまうリスクが高いとされている。よだかさんは、孤独を感じがちな自分のためにも、家族や大切な人を亡くした他の人たちと話をして、一緒に生き伸びていくような活動をしたいと話していた。坂口恭平さんが自主的にやっている、死にたい人の電話相談の「いのっちの電話」にも影響を受けていたらしい。資格を持ったプロの支援者じゃなくても、福祉の制度の枠にとらわれずに、しんどい人の話を聞く活動をしている人はいるのだ。

よだかさんは、すでにその活動のためにスマホを一台用意してLINEアカウントをつくり、SNSで発信しようとしていた。

その活動にはやがて、”wish you were here”という名前がついた。
亡くなった人に、今もそばにいてほしかったという思いと、大切な人に先立たれた人にも、仲間になってもらって、一緒に支え合って生き延びていきたいという思いが込められていた。

僕よりもよっぽど母親の自死のことで辛い思いをして、今もしんどさを抱えながら生きている友人が、この活動を始めようとしていることに僕は心を打たれていた。それまで僕は、「自殺に関する活動は、おじいちゃんになる頃にできたらいいか」と呑気に考えていたのだけれど、よだかさんがそうやってアクションを起こそうとしているのを見て、できることがあれば協力しようと思った。

ちなみに、最初によだかさんから話を聞いときに僕は、この活動の目的を、自死遺族や大切な人を亡くした人に限らず、広く自殺リスクが高い人と繫がって支え合う活動だと誤解していた。もともと自殺予防には僕も関心があったけれど、遺族や、大切な人に先立たれた人(つまり、僕自身も含むわけだ)を対象にして何か活動をしようと考えたことはなかった。

だけど対話の活動を続けるなかで、その必要性に気づくようになった。遺された人たちへの心理的なショックを和らげるためのケアを、ポストベンション(事後対応)と呼ぶけれど、子どもの頃にこれがあればそこまで苦しまずに済んだんじゃないかと思うような人たちが何人もいた。自死遺族や、遺された人たちのなかには相当大変な苦しみを抱えている人がいるのだと、対話の活動を通して知った。

SNSやnoteでこの活動のことを発信し、数週間がたった頃、よだかさんは数人の人と繫がって、LINEなどで話をするようになっていた。その出会いに喜ぶ一方で、年間2万人以上が自死をするこの国で、こうした繫がりを必要としている人はもっといるはずだと感じていた。

よだかさんが丁寧に言葉を選んで書いた活動紹介のnoteには、どんなことを目指した活動なのか、何を大事にしたいと思っているのかなどが詳しく書かれている。だけど、それを見て気になっていても、活動をしている人の人となりがわからず不安に思い、連絡を躊躇する人もいるのかもしれない。

僕らが自分たちの母親の自死についてどんな風に話をしているのか、どんな思いで活動を始めたのかを喋って声で配信したら、もう少し僕らのことを身近に感じてもらえるんじゃないだろうか。

そう思って、音声配信アプリのstand.fmで、自死についての対話を発信し始めた。
大阪城公園でよだかさんの思いを聞いてから、3週間ほどたってからのことだった。

(つづく)

【著者プロフィール】
森本康平
1992年生まれ。0歳のときに母親を自殺で亡くす。京都大学で臨床心理学を専攻後、デンマークに留学し社会福祉を学んだのち、帰国後は奈良県内の社会福祉法人で障害のある人の生活支援に従事。その傍ら、2021年の冬、自死遺族の友人が始めた、大切な人を自死で亡くした人とSNS等で繋がって話をする活動に参加し、自死やグリーフにまつわる話題を扱う番組“wish you were hereの対話”をstand.fmで始める。これまでに家族や親友の自死を経験した人、僧侶の方、精神障害を抱える方の支援者など、約10名のゲストとの対話を配信。一般社団法人リヴオンにて、”大切な人を亡くした若者のつどいば”のスタッフとしても活動。趣味はウクレレと図書館めぐり。
“wish you were hereの対話”
https://lit.link/wishyouwerehere