無理するな そう言われると 無理をする この気持ちだけ 止めてください 笑顔無し 会話も無くて うまくいく 何故ならみんな 個人事業 組織より 切磋琢磨し 競い合う 個々の強みを 生かすあつまり 区切り付け 何も言わずに 集まるは 行きつけバーの 店員のせい あざすっす
一昨日、女性活躍推進シンポジウムに行った。石塚由紀夫氏・浜田敬子氏・川島高之氏・長谷川ミラ氏が登壇した。どのような人でも個々の事情に合わせて柔軟に働けるような基盤にすべきだろう。また、地域のジェンダーギャップも変えるべきという意見には同意した。全体的には有意義な内容だったと思う。
未成年の頃、髪の短い女子が苦手だった。なんとなく可愛くなくて、男子の自分と同じ短い髪が嫌だったためだ。今は、髪が短い姿の女性には独特な可愛さや美しさがあると思う。私は今戸籍上は男性だが、胸あたりまでの状態で髪は長い。単なる髪の長短ではなく、個々の人間性が尊重されればと考えている。
大きな視点に立てば、個々の違いを感じられないが、視野をミクロにしていけば、違いは際立ってくる…それは当たり前だ。だが大きいデータとか、ある地域を括った事件のニュースを見ると、そこにある幾つものコミュニティを忘れて、大味な一つの感想をもってしまうものなのだ。
自立って自分で立つ ってことになるんだろうけど 孤立(独) じゃなくて 個立 なだけ。独り(ひとり)じゃ なくて 個々 で 立ってるだけ。常に誰かに 支えられたり しながら。 だから 自立は 怖くないこと。
なぜ一同に社会に出るべきとか同じ目標を強いるのだろう。ひょっとしたら私みたいに仕事よりも家事の方が向いている男性だっているし、エリートの女性のように家事よりも仕事の方が向いている人だっている。それそれの個々の人々のケアや意思を無視して性別だけで一括りにされるのにうんざりしている。
キレイ・カッコよくすること = デザインでなく(1つの意味に過ぎなく)、「いろんなシーンで、ソレに触れた人が『なんかいいな』と感じる導線」がデザイン。 そして、「なんかいいな」と感じた個々の人が、別の何かに生かす→二次派生のデザインであり、その考え→「デザイン思考! 日常の。」