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イタリアの金の卵…

2024年 6月23日(日)

昨日の景色…

昨日の朝の…
ドライブ…
昨日は…
梅雨入り前の…
最後の晴れ間でした…
でも天気予報では午後から雨…
午前中は辛うじての曇りで、逆に風もありそんなに暑くなく、外作業が出来ると判断し草刈りの続きをしました…
それでも汗の量はハンパなかったですが…
草が残っていて気になっていた場所…
そして…
お昼過ぎの作業アフター…
ようやく何日かかけてのこの広い斜面を制覇です…
そしてその勢いでもうひとつの斜面も…
鹿やイノシシがうろつく斜面…
昨年のここの草刈り時には…
マムシさんが居ましたが…
この梅雨入り前に一度草刈りしておけば…
そんなに手こずるほどの太く硬い木のような草はもう生えないと思うのですが…
また直ぐにジャングルになってしまうのでしょうか…

〈気になる記事・後半…〉

イタリア代表DFカラフィオーリの復活劇。重傷からマルディーニと比較されるまでに

(記事本文抜粋…)

モトクロスの事故のようなケガから6年、とてつもなく粋なセンターバックがドイツでアズーリの先発メンバーに。

その時リッカルド・カラフィオーリは16歳で、ローマと初めてのプロ契約を交わしたばかりだったが、彼のキャリアは早くも終わってしまったと言われていた。
UEFAユース・リーグのFCヴィクトリア・プルゼニ戦で、ヴァーツラフ・スヴォボダのスパイクの裏を見せての恐るべきタックルを受けたカラフィオーリは、左ひざの3倍にも腫れた右ひざを抱えながら退場したのだった。

専門家の中には、この負傷は見たところ信じがたいほどひどいという者もいた。半月板と関節包もろとも、靭帯がすべて切れていたのだ。

「こういうことは普通、モトクロスでしか起こらない。サッカーではありえない」と、ある医者が『コッリエーレ・デッロ・スポルト』紙で語っていた。「10年に1度しか起きないようなケガだ」。

その時のことを振り返って、カラフィオーリは、あれが起こったのがまだすごく若い時だったのが、おそらく幸運だったのだと言っている。というのも、彼自身は事の深刻さを完全には理解していなかったからだ。だからといって、これほど深刻な挫折に対する彼の反応が注目に値しないわけではない。

自分の中にあるすべてを本当に発揮する時がきた」と、カラフィオーリは自分の世界のすべてがひっくり返ってしまった翌日、インスタグラムに投稿した。

「今回は、何かを決するような試合ではなかったし、勝つべき決勝戦でもなかった。僕の人生にとって最も重要な戦いは、これからやってくる。絶対に落ちこんでなんかいられない。これまでの僕は子ども、それも時には幼い子どもだったけど、いつか成長して男になる時が来る。この膝のひどいケガのせいで僕は長いこと試合に出られなくなるだろう。ピッチに立てなくなるだろう。だけど、前より強くなって戻ってくるという気持ちは、日に日に強くなっていく。これまでだって何度もとても厳しい試練に遭遇してきた。だけど、いつものとおり、僕は勝つ!!!

復活への道のり

カラフィオーリは347日に及ぶケガとの戦いの末、2019-20シーズン初め、ローマのプリマヴェーラでの試合で復活した。当然のことながら、人生で「最も厳しい」旅の後、彼が前と同じように活躍できるかどうかは疑問だった。

実際のところ、ケガをする前のローマでのカラフィオーリの評価はこれ以上ないほど高かった。トップチームの選手たちも彼のとんでもない才能を知っていた。事実、カラフィオーリが病院に担ぎこまれたほんの数時間後、トップチームのチャンピオンズリーグのプルゼニ戦で得点を決めたエディン・ジェコは、ベンチに走っていくと、後輩の名前と背番号が背中に入ったユニフォームを掲げたのだった。

モウリーニョに干される

その時、ローマのファンはチームが再びフランチェスコ・トッティやダニエレ・デ・ロッシのような「バンディエラ」(「象徴」の意味)を手に入れたという楽観的な見方をしていた。地元生まれでローマのレジェンドとなる運命の子を見つけたと思ったのだ。

当時ローマの監督だったパウロ・フォンセカはそうした行き過ぎた見方を警戒し、若いカラフィオーリの肩に重すぎるプレッシャーを背負わせるのではなく、「成長するための時間」を与えてやるべきだと主張した。

「突然、今の世界最高選手のように扱うことは選手のためにならない」と、ポルトガル出身監督は警告した。「彼に素晴らしい未来があることは間違いない」

カラフィオーリにとって不運だったことに、フォンセカは2021年の夏、クラブを去った。代わって指揮をとったジョゼ・モウリーニョは、才能ある若手を最大限活用することが不得手であることで有名な監督だった。

だから2021年10月、「特別な存在」たるモウリーニョによってカラフィオーリが干されることになったのは驚きではなかった。

3カ月も経たないうちに、カラフィオーリはジェノアへレンタル移籍された。そして、2021-2022シーズン末にはバーセルにわずか260万ユーロ(約4億4,000万円)で完全移籍となった。

ローマの後悔

最近デ・ロッシは、カラフィオーリの放出について考えると今でも「胃が痛む」と認めている。1月に監督としてローマにもどり、モウリーニョの後任として指揮を執っているデ・ロッシは、あれほど将来性ある選手を手放してしまったこと――しかもあんな安値で、買戻し条項も転売条項もつけずに――。

デ・ロッシは、カラフィオーリが当時まだ10代でしかなく、先発メンバーとなるには準備不足だったことは認めている。しかし、そのポテンシャルは明らかだと感じていた。元イタリア代表MFがさらに腹立たしく思うのは、カラフィオーリが優れたセンターバックとなる素質をもっていると初めから思っていたからである。それはまさに、少なからず代表でチームメイトだったティアゴ・モッタのおかげでデ・ロッシが活躍したポジションである。

バーゼルからボローニャへ

そもそもカラフィオーリは、ローマを去りたいとはまったく思っていなかったが、当時はどうしようもないと感じていた。

「僕はローマで、モウリーニョ監督のもとで少ししかプレーできなかった。もっと試合に出たかった。だからジェノアに行ったけど、うまくいかなかった」と、今月初めにカラフィオーリは記者たちに語っている。

ローマには僕の居場所はなかった。だからバーゼルに行った」

最初は全然自信がなかったもう少しで出ていこうとするところだった(トップチームで出場機会を得るために)。だけど僕はすぐに考えを変えたバーゼルには、若い選手が成長するのに必要なものがすべてあった。僕は初めて30試合に出場した。それが僕を成長させた

さらに重要なことに昨年2月、ハイコ・フォーゲルがアレクサンダー・フライの後を継いでバーゼルの監督になると、カラフィオーリはセンターバックとしてますます試合に出る時間が増えたのだった。

そんな彼をボローニャが興味深く注目し、スイスで1シーズン過ごしただけの彼を、わずか400万ユーロ(約6億8,000万円)で獲得した。モッタはカラフィオーリを中盤に完全にコンバートすれば、自分の流動的な4-3-3のフォーメーションで活躍できる、マルチな才能を持った選手になると確信していた。

だが、バーゼルはローマと同じ過ちを犯さなかった。契約には40%の転売条項が組みこまれており、遅かれ早かれ、バーゼルははこの選手から大きな利益を手にすることになるだろう。カラフィオーリはイタリアのユーロ2024の開幕戦である6月15日(土)のアルバニア戦で見事なプレーを披露し、より多くの観客にその存在を知られる前に、すでにサッカー界最大のクラブのいくつかから注目されていたのだから。

ストーンズの後継者となるか

2023-24シーズンをカラフィオーリ躍進のシーズンというのは、むしろ控えめなくらいである。ボローニャがセリエAを5位で終了し、チャンピオンズリーグの出場権を獲得してイタリアのサッカー界を驚かせた時、カラフィオーリは本当に素晴らしい活躍をしていた。彼のサッカーの読みと楽々とポールを保持する姿は、質の高いDFを輩出することで有名なイタリアにおいても驚くべきことだった。

シーズンが進めば進むほど、ユーロ2024に向かうルチアーノ・スパレッティ監督のチームにカラフィオーリを招集すべきだという声が大きくなっていった。カラフィオーリが代表で活躍するという保証はなかった。遠征チームのメンバーが発表される前、彼は代表としてたった95分しかプレーしたことがなかったのだ。だが、フランチェスコ・アチェルビとジョルジオ・スカルビーニの負傷で、カラフィオーリが選ばれることとなった

しかしながら、いずれにせよスパレッティ監督はカラフィオーリを入れていたことだろう。監督は、この22歳の選手の能力に以前から感銘を受けており、イタリア代表の練習の中で、背番号10として彼を起用することすらあった。彼のプレーぶりを見た人なら誰でも、それを当然だと思うだろう。ラインを突破し、チームメイトのためにスペースも時間もチャンスも作りだせる素晴らしいDFなのだ。センターバックとして5アシストを記録してシーズンを終えたが、先月のユヴェントス戦では2得点をあげ、そのうちの1得点は抑えの利いた見事なシュートだった。

その試合後、チームメイトのリッカルド・オルソリーニは、カラフィオーリをパオロ・マルディーニに匹敵する選手だと言った。だが4月にさかのぼれば、カラフィオーリは今後長きにわたって、マンチェスター・シティのジョン・ストーンズの後任として理想的な選手になるだろうとファブリッツィオ・ラバネッリが言っていた。

「彼は、さまざまなディフェンスの役割をこなせるから、(ペップ・)グアルディオラのスタイルに完璧に合っている」と、イタリアの元FWは『トゥットスポルト』紙で語っていた。

「カラフィオーリは攻撃の起点としても、マークやパスでも素晴らしい。それに彼は強い個性をもっているようだ。つまり、彼はチームを素晴らしく補強する選手となるだろう」

カリスマを思い起こさせる

どんなにボローニャがカラフィオーリを保持しようとやっきになっても、アルバニア戦での大活躍で移籍の噂は増すばかりである。この試合は彼にとって代表わずか3試合目で、2度目の先発であった。さらにカラフィオーリは、18日(火)にゲルゼンキルヘンで行なわれたグループBのイタリア対スペインでも先発した。

痛恨のオウンゴールを喫するなど、15日にクロアチアに大勝した試合巧者のスペインを止めることは簡単ではなかった。それでも、カラフィオーリには冷静さがある。かつてのイタリア代表、マルディーニやアレッサンドロ・ネスタ、ファビオ・カンナヴァーロを思い起こさせる選手であり、彼らと同じように、何の苦もなく華麗かつ冷静にプレーしているように見えるのだ。

「クラブでやっているようにプレーすることだけを考えて、余計なことは考えないようにしている」と、土曜の夜、スカイ・スポーツ・イタリアでカラフィオーリは語った。

ポジティブなことだけに集中している。スタンドにいる家族や、故郷でテレビを見てくれている友達のことを思っている。うまくやれたと思う」。

まったくその通りだ。6年前、選手生命が経たれたかもしれないと言われた少年の前には、今や考えうる限り最も輝かしい未来が広がっている。

👉若干22歳の若きイタリアの新星カラフィオーリ…。

でもこれまでの彼の苦難や挫折に試練というのは、なかなかみんながみんな経験するものではありませんでした…。
プロサッカー選手生活を長く生きていれば、だいたいそれなりの辛い経験はするものではありますが…

このカラフィオーリは…
22歳になる迄に、既にいろんな辛い経験を重ね、それらを乗り越えながら今の舞台に辿り着いています…。

でもだからこそ…
その今の冷静かつ落ち着いたプレーがあるのだとわたしは思います…。
そして…
その重ねて来た経験値が…
そのピッチ上における独特な華麗でエレガントなプレースタイルに滲み出ているようにも感じます…。

そしてまた…
カラフィオーリの今までのその苦難や挫折に試練の日々というのは、今のその華やかな舞台が用意されるための“確かな準備”であったとも思えます…。

『今となっては…』の話ではありますし…
本人的にもその当時はホントに辛い日々でもあったでしょうが…。

でもそのひとつひとつを乗り越えてきたその経験から、いつしか『乗り越えられない試練はない』という確信が芽生え、そしてやがて『いつものように自分はそれに勝つ』という信念が育ちます…。

彼が若干16歳のときのその大怪我をした翌日に、そのような“信念”を持ち得ていたというのが凄いことだと思います…。
普通であれば数日間…
否、何ヶ月も何年もそれを嘆き引きずり悔やんで、その人生の貴重な時間を無駄にする人たちも多い中で…。
そんなところからも…
その“大物ぶり”の片鱗が交雑していたのかもしれません…

でも…
その若い頃に…
考え得るいろんな苦難や挫折に試練をある程度ひと通り経験しておくことは、そのサッカー人生だけに限らず、その長い人生においてもとても重要なことかもしれません…。

わたしも若い頃にそのサッカーでブラジルに単身で2年間武者修行に行っていたことがありますが、今思えば『よくやってたな〜』と思えるほど、いろんな辛くまた恥ずかしい経験もたくさんして来ました…。
“旅の恥は掻き捨て”ですね〜

それに…
プロ選手たちだけでなく、そのプロになる前のブラジルの若者たちの世代にも混じって生活も一緒にしていたので、その「プロになる迄」とその「プロになってから」のそれぞれの辛さや挫折に厳しさというものもたくさん見て肌で感じて来ました…。
常にその競争の中で…
人が入れ替わり立ち替わり流動して行く厳しい世界…。
その都度…
チームメイトたちの“辛い涙”もたくさん見てきました…。
でもそんな“辛い涙”をたくさん経験してからでないと、それなくプロになってしまえば、もうそこでは少しの失敗や過ちも出来ない、またやり直しの効かないプロ人生が待っているのも確かです…。
そういう意味から考えると…
順風満帆な若き頃のサッカー人生も「良し悪し」なのかもしれません…

ブラジルでよく聞かされていました…。

「プロになる遅くとも20歳迄に、サッカー選手として必要なありとあらゆる経験を積んでおきなさい…」

「プロになったら独りで世界中のありとあらゆるところを渡り歩いて自分の力で生きて活躍しないとイケないから…」

それを考えると…
まだまだ今の日本のサッカーの環境、特に若者たちのその環境というのは、その世界に太刀打ち出来るようなシロモノではないように思えます…。
確かにその才能や可能性はかつてより雲泥の差でレベルは高くなって来てはいますが…

いずれにしても…
このカラフィオーリのように、今をときめく活躍をするような若き金の卵たちにも、その裏には若くして想像も出来ないような大変な経験をたくさん経てここまでやって来ているという過程を、わたしたち日本のサッカーファンや若手選手たちにその親御さんたちも知っておく必要もありそうです…。

ただ上手いだけ…
才能・能力・可能性があるというだけでは…
なかなかその先には辿り着けない世界…。

また…
一度登り詰めたらそれで終わりではなく…
一度登り詰めても、またその努力を怠らなくても、いつなんどきにまたその挫折や苦難が訪れるやもしれない世界…。
それらを当然のように受け入れて…
それらを当然のように乗り越えていく覚悟と気概がある者だけが、その先の栄光を手にする一部の人間になれるのかもしれません…。

どこまで…
いつまで…
それを追い求めてやり続けるのか…

今となったわたしにも…
それは未だに分かりませんが…
とにかく若いうちは、何も夢をもたずに、また何も追い求めずに、ただ何となくその人生の前半戦をやり過ごすよりは、何でもイイから目一杯に追い求めて全力を傾けて努力するそのひたむきな姿勢と経験は、必ず後に自分の人生に還ってくるものだとわたしは信じています…。

そのすべては無駄にはならない…。

そのすべてはちゃんと計画されている…。

そしてそのすべてをちゃんと視てくれている存在が居る…。

そんな自分を常に支えサポートしてくれている存在の方々のためにも、わたしたちはそれに応える人生を全うすべきなように思える今日この頃です…

〈気になる記事・前半…〉はこちらから…


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