最近、野良猫の写真をよく撮っている。私が人生で戦う舞台は長崎だと分かった以上、最も人と手を組んできたパートナーとしての彼らを、少し追って、考えてみたい。 同時に治療。歳上の男性への恐怖感がトラウマのように染み付いたこの心とも、長い付き合いになりそうだ。
今まで自分がnoteにあげてきたものを見てみると、いつのまにこんなに沢山書いていたのかと思った。やっぱり言いたいこと、沢山あったんだなと思うとこの場所がある事に感謝だ。
論理的な思考は必要な反面、生きている現実との妥協を迫られる。でも、もっと必要なのは、論理だけに甘えない自分の柔軟さを失わないことだと、私は思う。
嫌いなことを無理にしなくていい。嫌いな人から距離を置いていい。自分自身を大切にすること。
自分の気持ちは、自分の気持ちとしてそこにあっていいけれども、それを一概に、相手や社会へ向けて発信しないこと。
私は、どんな親であっても最終的に全て許して、そして自分も既成の家制度の中に戻り、旦那なり嫁なりを貰うという考え方には馴染めない。人間は、ひとたびパートナーを得たら、だんだん親からは離れて行くものだと思う。
大好きな人と仲良くしよう。
人が自分より下手くそな詩を書いていた方が、気分が楽に決まってる。でも、現実には優れた作品に出会って研鑽しないと、いい詩は書けない。
あまりにも暑くて何もする気がなかったけど頑張って買い物行った。ご飯も作った。 ということで風さんのストーリー観て元気ポイントをチャージだ。 今月末の日産。行かれる方、真夏のスタジアムはマジで凄いです暑いです水たくさん持って行って下さい。 ★画像は風さんInstagramストーリー
フォロワーさんが増えて来た。自分をほんの少しだけど、好きになり始めたら記事を読んでくれる人が多くなった。
自分を閉じ込めていた檻は、私の心の中にあった。
笑いと卑怯の言葉とご紹介に感謝を……! さあ、職人さんに想いを馳せて! 紹介感謝: https://note.com/kashikisaho13/n/nb7c87b384e8e 元(SDGs飯): https://note.com/aoalls/n/n639e7ec9713f
シンプルに伝えよう。
両親の存在を、許すのでも忘れるのでもなく、ただ「ああいう人もいた」とだけ認めること。
つまらない、見栄えのしない詩しか書けないけれども、そして名声とは無縁だけれども、私は口が利けない代わりに、詩を持っている。
人生や人間関係に勝とうとしなくっていい。悲しいときは悲しいし、しょんぼりするときはする。弱い自分を大切にすること。
私は本当はいい子だったのかも知れない。あまりにも、痛烈な虐待に遭って、心が病んでしまった。それだけなのかも知れない。
私には一切関係のないシャバい論争。 「勉強と遊びができる人が一番上、遊びができて勉強ができない人が2番目、勉強ができて遊びが下手な人が3番目、どっちも下手な人はボトム」みたいな麻布文化によく似ている。長く渋谷の東京吉本無限大ホールで活動していたらしいし、文化圏が麻布と被っている。
強い人間になろうとしなくていい。泣きたい時は素直に泣く、悲しい時は「私悲しいです」と伝えること。
悪い人達と付き合うと、体力を著しく消耗する。善い人達とお付き合いしていると、元気が出て来る。心が晴れ晴れとする。