お題

#おじいちゃんおばあちゃんへ

思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?

急上昇の記事一覧

今日は文章と向き合っていました。なかなかいいものが出来上がりませんが諦めません。鍛練あるのみです。 愛媛県松山市は曇り 👵ばあばの一言 「毎日イラストを描いていますが飽きません、素敵なイラストが描きたいので頑張ります、まだまだ頑張りが足りないようです、明日もやりますよ。」

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部屋でおやつを食べたい。(96歳母)

有料老人ホームに入居している96歳の母。 母のささやかな望みは、自分の部屋でおやつを食べることだ。 老人ホームの食事は口に合わないことも多く。 自宅からしらすや漬物、果物などを差し入れている。 もともと食が細く、味に対してわがままなのだ。 父が母のことを大事にして、お嬢様のように接してきたことも関係あるのだろう。 ーー 父が亡くなり、母が車椅子となり、いろいろあって、有料老人ホームに入った。 (父がある程度のお金を残しておいてくれたからできたこと。あつこが歳をとったときに

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孫の能力が他の子よりも高くあってほしいと願う母との会話

母の日ということもあり、久しぶりに母と電話をしたときの話です。 お互いの体調や近況などを話ながら会話のメインはいつも孫の話です。母が質問する内容はだいたい決まっています。  「学校の勉強はついていけているの?」 「クラスの中でも勉強はできる方なの?」 「学校でちゃんと授業は聞けているの?」 「スポーツは何ができるの?」 「習い事は何をやっているの?」 「将来のためにも今から英語をやらせた方がいいんじゃない?」 などなど‥聞いていると孫の能力や他の子に比べて自分の孫はでき

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7枚目のコングラボードです。 たくさん見て頂きスキを押して頂き、ありがとうございます。

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母と道後温泉

私と母はプチ旅行と称してよく道後温泉周辺に観光に出かけます。松山市内に住んでいながら、旅人の気分になって出かけるのです。道後には日常をふと忘れさせてくれる特別な魅力があります。 母はコロナ禍前まで、バスと市内電車を乗り継いで毎日のように道後温泉に出かけて、日本最古の温泉で湯あみをして帰っていました。 道中は電車から見える城下町の風情を味わい、小さなノートを開いて、その日閃いた一句をしたためていたようです。 道後の商店街を歩きながら、旅人になった気分で、非日常を味わって癒し

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✅戦略的マーケティングの枠組みの内部環境分析で行う企業経営資源 ヒトの面:人材、個々の能力、従業員が共有する価値観(企業文化)等 モノの面:不動産、生産設備、機械、製品等 カネの面:財務状況、自己資金、コスト等 情報・ノウハウの面:顧客情報や競合情報、特許、ブランド力等

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電話に笑い、そして悩むとき

それは、突然の電話であった。 転職の面接が昼前に終わり、自宅(実家)に帰ってから姪っ子・甥っ子をふくめてみんなで昼ご飯を食べていたとき。 プルルルル・・・ 僕からするとその存在自体を忘れかけていた“固定電話”が、家のなかでとつぜん鳴りひびいた。たまたま電話のちかくにいた姉がとったのだが、電話の相手は、車で40分ほど離れた場所に住む祖母からだった。 聞けば、僕の本名を名乗る若い男から、「いまから行くから待っててね」と言われたのだという。もちろん、僕は電話などかけていない

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ばあばとお留守番😃🌃フリートークでこんばんわ(5/15)

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湘南の農家に生まれて:92歳じいちゃんのこぼれ話

じいちゃんは今日も元気だ。 じいちゃんとは義父のことで、わたしが嫁に来て以来41年間いっしょに暮らしている。 今年93歳になる。 このトシになっても、じいちゃんは野菜作りがいちばんの趣味だ。元気だからこそ出来ることなので、結構なことだと周囲は見守っている。 本人は、それを趣味道楽だとは決して思っていないようだ。しかし、誰が見ても趣味の範囲の庭先菜園で、採れる野菜も家族3人で食べて少しよそに分けるくらい。 では何故、じいちゃんが趣味ではなくすこぶる本気なのかというと、その昔

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96歳、在宅医療で亡くなった祖父の最期から学んだこと

愛されて育ったかどうか。 そんな言葉を耳にすることがあります。 私は愛されて育った人だと言われることがあります。 そう、間違いなく、そうだと思います。 でももっといえば、それは長らく気がつかなかったことで、きっかけは父の死、そして祖父の死もあらためてそれを感じるきっかけをくれました。 父との最期の約束は「幸せに生きるね」でした。 それ以来「幸せに生きるとは何か」が、仕事でもプライベートでも、私の人生のテーマになりました。 96歳のじいちゃん 2024年5月3日の深夜2時

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ばっちゃん

「アイツが持っている遊戯王カード強過ぎて、ムカつく。なんなの。家が金持ちで、いっぱい買って貰ってるだけじゃん」 家に着くやいなや、ばっちゃんに愚痴をこぼした。遊戯王カードに金を使うほど、ウチに余裕はない。それは僕も分かっていた。ばっちゃんは僕の嘆きに「みっともない」と叱りながらも、耳を傾けてくれていた。それを覚えていてくれたのかな。誕生日に「トイザらす」へ連れていってくれた。40枚入りのストラクチャーデッキ。ブルーアイズホワイトドラゴンが表紙のやつ。かっけえ。おれのデッキ、

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【プレゼント】

去年、最愛であるおじいちゃんが天国へ旅立った。 幼少期から親のように育ててくれたおじいちゃんが亡くなり、心にぽっかり穴が空いたようだった。 悔しいことにおじいちゃんが亡くなってから、痛いほど彼の偉大さや私にくれた愛情の大きさを知る。 なんでバカなんだ私は…もっと、もっと彼に対して出来たことがあるのではないか…と悔しい気持ちでいっぱいだった。 「せめてさいごに、お礼代わりに」と葬式等の準備を手伝った。親戚から「ありがとう。助かったよ。」と言われて嬉しかった。この言葉のお

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無事祖母に会えました。 医師が言う寿命はもうすぎましたが、私の感覚ではもう少し時間がありそうです。でもいつ何があってもおかしくないのは事実です。 明日もう一度会ってから帰ります。私は私の日常を生きます。

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「死」の恐怖と不眠の話【漢方医放浪記】

 もうすぐ自分は死ぬのだ、と彼は項垂れました。齢90を越える老人の痩せた手は僅かに震えながら、その眼差しは私を刺しました。  とにかく具合が悪そうだと救急車を呼んだ家族のことを、私は咎める気になれませんでした。  医学的には緊急性のカケラもありません。血液検査も画像検査も心電図も何もかも、異常らしい異常はありません。元々の心疾患の影響はあるものの、それが急激に悪化した様子はみられず、腎硬化症なのか慢性腎臓病らしくはありますが、だからといって何をすることもありません。循環器

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祖父が入院する月末【#熟成下書き】

途中まで書いて寝かせておいた #熟成下書き を公開します。 祖父が入院する月末【#熟成下書き】こんばんは。 深夜がんばり隊。 2月も何事もなく、終わらなかった。 昨日になって祖父が体調を崩して入院と。 2月28日、月末もいいところだ。 まさか今だと思わなかった。 私個人でいえば、昨年の秋。 祖母の一連が終わったところで 緊張の糸が切れたのか、 メンタル不調が続いていた。 私のメンタル不調は言ってしまえば 15年ほど続いているから、 大きく揺らぐことはない。

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「内向と外向」うつや認知症に対する簡単なテクニック

「内向」という言葉があります。 考えが自分の内側、内側へと向かってしまう状態です。 反対に「外向」というのは、自分の意識が外へ向いている状態です。 うつや認知症というのは、特にですが、完全に「内向」している状態です。 内へ向かう=過去にいる、とも言えます。未来が見えません。未来のことなんて考えられません。考えたとしてもネガティブなことでしょう(これが過去にいるということです)。 ですので、そこから抜け出す、最も早い、最も簡単な解決策としては「外向」する、ということにつき

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心の中の記憶4 おじいちゃん

5月12日 母の日、中学生の息子が黄色いカーネションを2本プレゼントしてくれた。 「お母さんは黄色が好きだと思って。」 とても嬉しい。 風水で、黄色は金運が上がるといわれているそうなので、なにかと「黄色がいい」と言ってきた。 庭の西側に、黄色い洋ギクも植えた。10年近く、いつでも、少ない時も一、二輪、咲いている気がする。満開に咲きほこっている季節は、株の調子も良い気がする。でも、私は本当は何色が好きなんだろう? 昔、庭で大菊を育てていた祖父は趣味人だった。高級金魚のらん

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https://note.com/haku_no_ibasyo/n/n8001342653df この記事で書いた祖母が危篤です。GWにお別れをしたつもりでしたが、もう一度会えればということで地元に向かっています。 5年前の母の時の記憶が混同して記憶が飛ぶ日々です。通院頻度と頓服多めで頑張ってます。

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義父母の金婚に際し、名前詩を作ってみた。

引っ越し後でバタバタしていた4月上旬。 義姉(夫の姉)よりLINEが来た。 ーーえ~っ!? 「金婚」と言えば、結婚50周年の節目の年。ものすごくおめでたい日だ。地域で表彰されたり、新聞に名前が載ったりするやつじゃない? そういえば、去年の夏に会った時にそんなことを聞いたような、聞いていないような…(遠い記憶)。 私達が忙しいからと遠慮したのか、アピールされなかったので、義姉が連絡してくれなければ完全にスルーするところだった。 それで、とりあえずお祝いのメールを送っ

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祖父と共に生きた5年間に思いを馳せて。

※昔、別のアカウントで書いた記事をこちらでもアップしています。 私には、好きな花があります。 厳密に言うと、思い入れのある花と言うのが正しいかもしれません。 幼い頃、その花に出会いました。祖父と、一つ年下の従姉妹と3人で公園に行った時に、祖父が教えてくれた花です。その花を、祖父が好きだと言っていました。黄色の水仙です。その時の光景は今でも目に焼き付いていて、時々思い出しては天国にいる祖父へと想いを馳せています。 祖父が亡くなったのは、私が幼稚園生の時でした。 私が祖父と

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