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ばっちゃん

「アイツが持っている遊戯王カード強過ぎて、ムカつく。なんなの。家が金持ちで、いっぱい買って貰ってるだけじゃん」

家に着くやいなや、ばっちゃんに愚痴をこぼした。遊戯王カードに金を使うほど、ウチに余裕はない。それは僕も分かっていた。ばっちゃんは僕の嘆きに「みっともない」と叱りながらも、耳を傾けてくれていた。それを覚えていてくれたのかな。誕生日に「トイザらす」へ連れていってくれた。40枚入りのストラクチャーデッキ。ブルーアイズホワイトドラゴンが表紙のやつ。かっけえ。おれのデッキ、最強になる。やべえ。興奮がビーク。車に乗り込み、箱をビリビリに破き、開封した。英語版だった。泣いた。それはそれは、泣いた。だって、もう返品できない。ビリビリに破いたから。泣いた。死ぬほど泣いた。返品できない。なのに、この魔法カード、効果が読めない。使い方が全くわからない。デッキに入れれない。きつい。

自業自得で咽び泣く僕を見て、ばっちゃんは「しょすことよ」と叱った。みっともない孫を見て「やんたぐなる」とため息を吐いた。

それでも、泣き続ける孫が可哀想で、店員に交換できないか打診してくれた。出来なくてもっと泣いた。

ばっちゃんは、優しかった。


ある時、高熱が出た。僕は、扁桃腺がかなり大きく、係った医者が「嘘だろ」と息を飲む姿を何度も見た。それほどまでの扁桃腺、ただの風邪でも一度発熱すると一大事だった。簡単には下がらない熱、よく「坐薬」を入れられた。坐薬は嫌い。そこは入口じゃない。あと、入れるとうんちが出そうになる。だから坐薬は嫌い。その日もばっちゃんは、僕をうつ伏せに寝ころばせ、無理やり肛門を開き、坐薬を入れた。泣いた。それはそれは泣いた。数分後、どうしてもうんちがしたい。我慢が出来ないと泣いている僕を見て、ばっちゃんは「しょすことよ」と叱った。みっともない孫を見て「やんたぐなる」とため息を吐いた。和弁にしゃがむ僕のお尻の下に、ばっちゃんは手を添えた。坐薬が勿体無いからだ。

ばっちゃんは、愛情が深い人だった。


ばっちゃんには大恩が有る。毎日のご飯、幼稚園の送り迎え、坐薬の受け取り。全部ばっちゃんがやってくれた。

僕に母親はいない。3歳の頃、母さんは男を作って出て行ったらしい。僕と姉貴を育てるために必要な金は、親父が長距離トラックの運転手をし、稼いだ。だから小さい頃から、両親が家にいない。じっちゃんばっちゃんに育てられた。じっちゃんは椅子に座り、水戸黄門をみる以外何もしない。僕たちの世話は、全部ばっちゃんがしてくれた。

ばっちゃんといると安心した。僕が何をしても、愛してくれるという安心感。だからかな。親父に反抗した事はなかったけど、ばっちゃんにはよく反抗していたし、よく我儘を言った。



ばっちゃんは、花が好きな人だった。庭には、いつも花が咲いていた。ばっちゃんを探すと、いつも庭の手入れをしていた。僕が鼻水を垂らしながら駆け寄ると、ティッシュで強引に拭われた。その手からは、いつもドクダミの香りがした。

よく畑仕事の手伝いをさせられた。雑草抜き、農薬噴霧、虫の駆除。育ったキャベツの様子を見ていたら、葉の裏から牛蛙が飛び出してきた。あまりに驚き、しりもちをついた。ばっちゃんは笑いながら「しょすことよ」と言った。けつが汚れた。家に帰り、服を脱がされ「やんたじゃよ」と言いながら洗濯をしていた。

畑しごとをする日は、友達と遊べなかったけど、僕は、ばっちゃんが大好きだった。

ばっちゃんは、いつも眉間にしわを寄せていた。厳しくも優しい人。「ありがとう」とお礼をすると、照れ隠しか、いつもより眉間にしわをよせ『馬鹿 』といい、恥ずかしそうに喜ぶ人だった。人前に出るのが苦手で、写真を嫌った。結構高度なレベルの恥ずかしがり家だった。



小学6年の時、ばっちゃんが『くも膜下出血』で倒れ、緊急搬送された。

働いていた銭湯の清掃中、泡を吹いて倒れたらしい。泡を吹いたとか、倒れて緊急搬送とか言われても、意味がわからなかった。

その日は、夏休み。これから子供会で、プールに行く予定。小学校最後の子供会。最高の夏。いくら岩手と言っても、地元は盆地。死ぬほど暑い。なのに『くも膜下出血』と言われても。僕は、病院に向かう車で『プールを返せ』と叫んだ。

ばっちゃんは、一命は取り留めたものの、脳に障害を受け『植物状態』となった。



じっちゃんは世界一頑固者で、水戸黄門ばかり見ている人だった。頑固さが故に、よく親戚中を困らせていた。ばっちゃんは、そんなじっちゃんが嫌いだったらしい。詳しくは知らないが、宮城から出稼ぎで遠藤家に来ていたじっちゃん。ばっちゃんは箱入り娘。親戚たちが、半ば強制的に結婚させたらしい。で、結婚してみたらクソほど頑固。そして気が狂う程、水戸黄門。今なら分かる。そりゃあ、嫌ってもおかしくは無い。

でもじっちゃんは、ばっちゃんが大好きだった。遠くに行くと、いつもばっちゃんにお土産を買って来ていた。ばっちゃんのことを話してる親父も、おばちゃんも楽しそうだった。子供の顔になっていた。みんなが嬉しそうに話をする。ばっちゃんは人気者だった。みんな大好きだった。僕も大好きだった。



ばっちゃんは障害者特有の歪んだ顔になり、何も話してくれなくなった。病院のベッドに横たわる、意識は有る、生きている。なのに「それ」は話してくれない。動かない。僕は直視できなかった。ばっちゃんじゃなかった。僕は、いつも離れたところにいた。

僕から、子供会のプールとばっちゃんを取り上げた病院が大嫌いだった。

先生から「話せるようになることはない」「もう意思疎通は出来ない」そう言われてからも、数ヶ月の間通い続けた。僕も無理やり連れてこられた。僕はいつも、病室の端にいた。

あれから何ヶ月も経つのに、みんなベットにいる「それ」を見て泣いている。

やめてくれ。いつまでも恥ずかしい。大人たちは僕の腕を掴み、強制的にそれに触らせそうとした。僕は抵抗した。触りたくない。恥ずかしい。変わらないって。何も起きないって。声はもう届かないんだろ?先生が言ってたじゃん。聴こえないって。かける言葉なんかないって。

「いいから触れ!」怒られた。違うんだって。聞いてくれよ。それは、ばっちゃんじゃないって。良い加減にしてくれ。お前ら、それをばっちゃんと言うな。泣きながら話すな。それはばっちゃんじゃない。やめろ。返せ。僕の味方を返せ。ばっちゃんを返せ。

僕は大人の力には敵わなかった。そして、手を握った。

暖かさが怖かった。生きているって言われてるみたいで。納得出来ない気持ちと裏腹に、帰ってくる温度が、それをばっちゃんだと言った。

僕が手を握った時、ばっちゃんの手が動いた。ばっちゃんが初めて何かの声を声を発した。病院の人達も驚いていた。



その後、ばっちゃんは老人ホームで暮らす事になった。晩年、会話は出来ないままだった。でも、意思表示が出来るくらいに回復した。ばっちゃんは、どんな時でも美意識が高く品があった。僕たちが服を着替えさせようとするその部屋に、知らない人がいると「やんかもん」と嫌がった。なぜが「やんかもん」とばかり話す。そんな方言はない。でもとにかく恥ずかしいらしい。

知らない言葉でも、その声にはしっかりとした意志が宿っていた。


ばっちゃんは、僕の母親だ

僕は、ばっちゃんに愛されていた。



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