なんか書きたくなるものが増えていくばかりで、マガジンがまた一つ追加になってしまいました。材料・調味料・水分も含めて3つの材料で料理する『3品クッキング』です。書くより思いつく方が多いので、追いつかない!
AIの記事をよく見ます。AI×教育でAIを使って、平安時代の紫式部とか清少納言とかと話せるアプリとか、対面で実際話しているように見せるものとか作ってみたい。そしたら、古典教育、古典の面白さとかいまの子どもたちに伝たわるかな??
発想に必要なのは、そのための必要情報を頭に詰め込むこと。そうして待ち構えていれば、ヒントは自ずとやってくる。
本人の中身は空虚であるのに、権威によりかかって自分を大きく見せようとする「事大主義」と「権威主義」は、発想の最大の敵。学者には、この病にかかった人が多い。彼らの文章には権威の引用しかないから、容易に判別できる。
自信のなさから、発想に挑戦しようとしない人がいる。「発想は独創」という思いこみが原因になっている場合が多い。
注意深い観察を怠り、十分な知識を持たない人は、思いこみに囚われやすい。
異質性の排除も、発想の敵。これは、外国の拒否や、新しい技術に対する敵愾心も引き起こす。
大組織の意思決定の基準となっている先例主義と横並び主義は、変化への意欲の欠如を示す。
「失敗例に学べ」といった類のアドバイスは、「あと知恵」であり、発想を生み出すための事前の方法論としては機能しないことが多い。
本来は自由な精神活動であるべき発想を、定型的な手続きで行なおうとするのは、本質的なところでおかしい。また、方法論にこだわると、本来の発想作業が妨げられることもある。
思考は、どこかの段階で外部化する必要がある。しかし、KJ法はそれをあまりに初期の段階で行なおうとするために、発想の能率を低下させている
権威主義、事大主義、形式主義、先例主義は、官庁より大学において蔓延している。
見かけ上の関係にこだわっていては、近代科学は生まれなかったろう。また多くの科学的発見は、抽象的なレベルのモデルから生じている。
現代の日本では、遊びの場も道具も相手も失われている。また、低学年での受験が子供の遊び時間を奪っている。これは、日本にとって深刻な危機。 #AI時代の超発想法
組織のトップは、集中できる時間を確保するのが難しい。だから、旅行など、孤独になる機会をもつ努力が必要。 #AI時代の超発想法
失敗が許されない組織では、試行錯誤ができない。こうした組織は自律運動を始める。
「発想法」といわれているものは、われわれが日常的に行っていることを、定型的なルールとして明示化し、マニュアル化したもの。