軽便鉄道

上越ぶらり散歩28百間町界隈・くびき野レールパーク

昔の頸城村の中心が百間町だ。豪農山田家が起こした事業が頸城鉄道。この写真に見えるレールは、くびき野レールパーク内にある昔の軽便鉄道のレール。年に何度かコッペル号が往復する。

この中にコッペル号やホジ3などの車両が入っている。

我が家は祖父、父、叔父が頸城鉄道〜頸城自動車に整備工として勤めていた。祖父は、お座敷列車だったホジにフォードトラックのエンジンを乗せるという機関庫での車両改良に直接携わっ

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芥川龍之介考 # 4

☆トロッコ / 大正11年(1922年)2月脱稿
            同年 3月大観 掲載

主人公の少年 良平が小田原〜熱海間の軽便鉄道敷設工事の現場で砂利運搬の為に往復するだけの人力トロッコに興味を持つのには、少年が鉄道や電車そのものに憧れを抱く感情のせいである。

そのトロッコに興味を持った良平は、それを操る土工になりたいとさえ思う。
実に他愛が無い。

責めて、土工と一緒にトロ

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ありがとうございます。明日もお仕事、頑張れます!
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◾️ パイプライン通りの線路 ◾️

大平特別支援学校前バス停近くにある「線路」を撮影してきました。久しぶりに行ってみるとキレイに整備されていました。

パイプライン通りには1922年から那覇~嘉手納線が運行し、浦添では内間・城間・牧港の3ヶ所に駅舎がありました。内間と牧港は無人駅、城間駅は駅長1人と駅員2人がいたそうです。

沿線の住民のばかりでなく、農家がさとうきび搬入などでケービンを利用しました。そんなケービンも沖縄戦で損壊して

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◾️ 軽便鉄道那覇駅跡 ◾️

戦前の沖縄には汽車が走っていました。現在の新那覇バスターミナルの開発で工事中に軽便鉄道那覇駅跡の遺構が見つかりました。一般者向けの現地見学会が行われたので行ってきました。

写真は、転車台の中心部。手前に穴が4つ空いてます。かつては、木の杭が打ち込まれていて転車台を支えていました。現在は腐ってしまい穴だけが残りました。それでは、なぜ杭が?

何度か書いていますが、かつての那覇は大部分は海でした。那

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◾️ 壺川東公園 ◾️

沖縄の鉄道と言えば?

きっと多くの人は「ゆいレール(モノレール)」と答えるでしょう。実は戦前、沖縄には「ケービン」と呼ばれた汽車が走っていました。ケービンとは「軽便鉄道」のことで、昔のうちなーんちゅは愛称でそう呼んでいました。

では、そのケービンを見ることはできないのか?いろいろ調べてみると壺川東公園で見ることができるということで行ってきました。

大正3年、現在の那覇バスターミナルと与那原町

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長寿と繁栄を!

■ 軽便与那原駅舎 ■

戦前、沖縄の物流を支えていた軽便鉄道。

沖縄戦とともに姿を消してしまいましたが、JAの移転に合わせて復元されることになりました。

駅舎の後ろをには、当時の柱が残されています。

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長寿と繁栄を!

辛子色に塗ってみま専科

トミーテック猫屋線に蒸気機関車が加わるという。それに関連して、ナローの蒸気機関車を黒以外で塗ることについての話が出た。

 日本の戦後の蒸気機関車のほとんどが黒という印象は多くの人が持っている。しかし趣味、遊びとしての鉄道模型を考えた時に、本当に実物追従でいいのだろうか?

 おそらく、蒸気機関車が黒というのは、その写真の多くがモノクロだった為に印象として持たれているのだろう。そして最後に残った国

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はげみになります。

軽便鉄道へ

「軽便鉄道」とか「ナローゲージ」と呼ばれる鉄道がある。実際にはJR各線も国際基準ではほぼ「ナローゲージ」なんだけど、日本ではそうは呼ばれない。

 線路の内側の幅が1m無くて、小型の車両しか走れないような鉄道、森林鉄道や鉱山鉄道。文学作品で言うなら「トロッコ」や、「坊っちゃん」の「マッチ箱のような汽車」になる。

 自分がこれを好きになった事を考えてみる。自分が好きになった経過を考えれば、他人を引

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ありがとうございます。