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豊前善光寺の続き(軽便鉄道豊州線)

昨日豊前善光寺の記事を書きましたが、その時書ききれなかった続きを書こうと思います。

とはいえ、豊前善光寺とは関係ありません。
ちょっとマニアックな記事かも

ずっと昔、国鉄豊前善光寺駅から、少し前に紹介した鷹栖観音の近くを通り、院内町(現宇佐市院内町)まで、豊州鉄道といわれた軽便鉄道けいべんてつどうが走っていたそうです。

軽便鉄道とは、一般的な鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された鉄道の事です。

1909年に、今までの鉄道国有法の条件を大幅に緩和した「軽便鉄道法」が公布され、次いで財源の補助を規定した軽便鉄道補助法が制定されたことで、軽便鉄道が北海道を除く全国に爆発的に建設されたそうです。

この豊州鉄道は、1913年2月に建設工事が始まり、1922年に豊前二日市(院内町)まで開通しました。

終戦後は、バスやトラックが普及し、軽便鉄道は1日一往復、細々と走っていたようだけど、1951年のルース台風で駅館川にかかる橋が流され、復旧されないまま、1953年9月末をもって正式に路線廃止となったという。

実は、玖珠郡玖珠町まで伸ばす予定だったのに、経済難で、玖珠どころか、すぐ先の安心院までも、建設されることはなかった。

30年ほど前は、まだ台風で流された軽便鉄道の橋脚が川の中に残っていた。
線路のレールはなかったけれど、線路の後は土手のようだったり、細い道のような感じで、あちこちに、その跡を見ることができた。

もっと昔の子供の頃は、院内町のどこかに車両がまだ残っていたようなかすかな記憶もあります。

私は、その線路跡を見たり、歩いたりするのが好きだった。
母や亡き祖父母に聞いた話を思い出しながら、目を閉じて、その線路を小さな列車が走っていた姿を想像し、終戦後の混沌とした時代に思いを馳せていた。

その頃私は、軽便鉄道の線路の跡を全部バイクで走ってみたりもしてみました。

駅跡のバス停に、駅名標型の駅跡碑が立てられて、それをみて興奮しました。
(今もあるのかなあ…)

私は、子供の頃から、色んな場所の昔の様子を聞いたり、想像したりするのが好きな子だった。

昔の写真を見たり、昔の地図と今の地図を比べてみるのも大好きなのです。

歴史のあるお城や神社仏閣も好きですが、観光地ではない普通に通っている場所で、歴史がありそうな建物や、昔の姿が偲ばれるような街並み、石碑、地名を見つけると、それだけでテンション上がります。

今、あちこちで市町村が合併統合されたりして、古くからの地名が失われつつあります。
歴史的な地名が失われて、今までと全く違う地名になってしまったりすると、残念な気持ちになります。
地名もまた、昔の姿を伝える大事な史料のようにも思うからです。

とはいえ、住んでいる人が決めることですから、何もいえませんけど…。

こういうのって、興味がない人には、何が楽しいのがさっぱりわからない思います。
昔の姿を知って、何になる?
と思う人もいると思います。

現に娘にも、何が面白いのかさっぱりわからない、と言われます😅

好きなだけです。
楽しいだけです。

便利になって、綺麗になって、整備されていくのはありがたいことだけど、
昔のままの姿を残していたり、昔の日本を感じ、何だか落ち着くって感覚になれる場所。
そんな場所を、失いたくないな、と思います。

一方、どんなに街になっても、そんな中に昔の形跡を見つけ出す楽しみもあります。

安上がりで、終わりがない楽しみですね♪

昭和初期には全国に300路線以上あったという軽便鉄道。
全て廃線になったと思っていたら、実は現在も残っているところがあるそうです。

三重県桑名市・いなべ市の三岐鉄道北勢線、三重県四日市市の四日市あすなろう鉄道の内部線・八王子線、富山県黒部市の黒部峡谷鉄道本線の3社4路線です。

いつか、見てみたい、乗ってみたいです。

サムネ画像は、豊前善光寺駅近く、宇佐市の海です。

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