1919年8月21日22歳宮沢賢治の親友保阪嘉内あて手紙より AIイラスト
1919年8月21日22歳宮沢賢治の親友保阪嘉内あて手紙より
私の父はちかごろ毎日申します。
「きさまは世間のこの苦しい中で農林の学校を出ながら何のざまだ。
何か考へろ。
みんなのためになれ。
錦絵なんかを折角ひねくりまわすとは不届千万。
アメリカへ行かうのと考へるとは不見識の骨頂。
きさまはとうとう人生の第一義を忘れて邪道に踏み入ったな。」
おゝ、邪道 O, JADO! O, JADO!
私は邪道を行く。
見よこの邪見者のすがた。
学校でならったことはもう糞をくらへ。