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宇部詩人◉永冨衛さんシリーズ⑤

⑤見えてきた確信
 詩「思ひ出」のモデルを想定する現場。文学界に発表した1936年8月より2年前の34年8月25日、湯田に帰郷中の中也が東京の友人安原喜弘に宛てた書簡からヒントを得た。400字詰め原稿用紙2枚半(約1000字)ほどである。その2か月後に長男文也(1936年11月死去)が誕生するわけで、ポジティブな心の動きが読み取れる。

 書き出し部分には「甲子園がある間は毎日聞いていました」。ラジオ放送である。「甲子園」とは全国高校野球選手権大会(夏)の前身、全国中学優勝大会のこと。8月20日の決勝で、呉港中(広島)が2-0で熊本工(熊本)を下し優勝している。山口近隣の広島校と熊本校の戦いだったため、中也は特に甲子園を身近に感じたのかもしれない。

 そして「昨日は朝から汽車で二時間位の海邊の町に出掛けて来ました 懶げな風物が何のことはない面白いのです(中略)それにつけても僕事はノンビリしたいです。昨日はその海邊近くの人も行かない、石の川床がヒデリのためにアラハレてゐて、川のそばの高いヤブのために陽の當らない。その川床の上に、二時間ばかりネコロンでゐました」
 その2か月前。文学界へ原稿を発送した6月23日の日記に、気持ちを詩に託すようにつづっている。

 1連は「夏が来た。/空を見てると、/旅情が動く。」、2連が「僕はもう、都會なんぞに憧れはせぬ。/文化なんぞは知れたもの。/然し田舎も愛しはえせぬ、/僕が愛すは、漂泊だ!」

 都会の喧噪(けんそう)を離れて、一人きりで物思いにふける時間を大切にしたいという空気感が伝わってくる。まさに宇部地域の海辺風景に収まるような中也像が浮上してくるのだ。

 56行の詩「思ひ出」の前半8連は、かつて「煉瓦工場」のあった岬を訪ねたときの記憶、暗転する後半の6連はその後、「煉瓦工場」の周辺が荒廃した現実を描いている。

 中也の実家から歩いて5分ほどの山口線湯田駅(現湯田温泉駅)から蒸気機関車(以降略SL)に乗車。まずはSLと軽便鉄道の時速を考えた。中也が安原に手紙を出した1934年と、文学界に「思ひ出」を発表した36年の中間の35(昭和10)年ごろはどのくらいの速さだったのだろうか。

 確認するため鉄道博物館(埼玉県さいたま市)へ問い合わせた。「受付順にお答えしているので、1週間程度お待ちください」との返答だった。宇部地域の「海邊」への足どりをイメージしてシュミレーションには自信があるものの、〝お墨付き〟がほしい。期待半分、不安半分である。生来、自己採点が甘いのを自認しているだけに、緊張しながら合格発表を待つ心境だった。

 6日後、鉄道博物館から電話がかかり、担当者から解答が届いた。結論から言えば、昭和10年ごろのSLと軽便鉄道(以降略軽便)のいずれの時速データは無いとのことだった。ただ、昭和9年に東京駅-名古屋駅間(東海道本線)を走った「特急つばめ」の運行時間が5時間17分だと分かった。途中の駅停車時間を含めた時間である。

 現在の新幹線のぞみならば、同区間は1時間34分。昭和9年に限れば、当時最速のSLでさえ、のぞみの3・34倍の時間を要したことになる。今では東京駅-新山口駅間が最少となる4時間21分を、中也は途中下車をしながらも、1日がかりで帰郷したのも割り出せる。

 担当者は「正確には言えないけれど」と前置きしながらも、運行時間と駅停車時間を勘案する表定速度をはじいてくれた。時速69・4キロと細かい。約70キロである。SLの普通車ならば60キロ、スピードの遅い軽便のデータは全く無いので、つばめの半分とし時速35キロと設定した。

 この数値を基に中也が家を出てからの足どりを試算してみた。島根県益田市方面へ下れば3時間程度、さらに日本海沿岸まで歩く時間を考慮すると「二時間位」をクリアできず非現実的だ。湯田駅から小郡駅(現新山口駅)までの10・3キロを時速60キロのSLで上るのに、5駅に停車する時間を含めて10~15分。小郡での乗り換えを30~60分と想定し、山陽本線の上りつまり防府方面、下りつまり下関方面のいずれに向かおうが、「二時間位」で「海邊」へは辿(たど)り着けない。これも現実的ではない。

 残りは宇部線の時速35キロの低速の軽便鉄道で下る。この手段が自然である。小郡駅で乗り換えて海辺沿いの宇部市東岐波(当時吉敷郡東岐波村)の丸尾駅(小郡駅から15・7キロ)と、現在は存在しない西岐波(同西岐波村)の白土停留場(同17・2キロ、1929年開業)のいずれかで下車。途中の7、8駅の停車時間を考えると、30~40分となる。いずれかの駅から「海邊」まで歩いて20分程度かかる。

 中也が家を出て「海邊」までの最少時間ならば1時間35分、最多は2時間20分と算出した。「二時間位」がまさに現実味を帯びてくる。中也が周防灘を前にしてくつろぎ、「煉瓦工場」をモデルに「思ひ出」を詩作したのでは。確定までには至らないけれど、推論、いや私見が確信に変わっていく心地良さを覚えた。

 小郡駅から丸尾駅または白土停留場へ向かい、さらに下って桃色れんが工場に近い宇部岬駅までの乗車を想定したが、「海邊」へ辿り着くまで2時間を大幅に超える。

現存する赤れんが造りのれんが工場跡(宇部市西岐波村松)

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