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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その5 十勝鉄道の保存車輌


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。

お気軽に、読みとばしていただければ・・・

2.十勝鉄道とは

1/5万地形図「帯広」昭和19年部分修正測図より

十勝鉄道は、甜菜(ビート=砂糖大根)輸送を目的に敷設された鉄道です。1920(大正9)年、北海道精糖の専用鉄道として開通、1923年には十勝鉄道となり、旅客輸送も開始されています。
帯広駅裏にあった帯広大通駅を起点に、戸蔦とつた上美生かみびせい八千代やちよまで、60㎞あまりの路線がありました。
軌間は日本の軽便鉄道でもっとも多い762㎜。土地区画に沿って直線的に敷かれているのが特徴です。

十勝鉄道の切符 たった3.4㎞の区間なのに通用2日間! 硬券としては紙が薄いが、地紋が自社のものになっているのが立派 元従業員のかたからいただいたもの

国鉄帯広駅から日本甜菜製糖帯広工場までは、直接貨車が乗り入れられるように、1067㎜軌間にもなっており、レールが4本ある、珍しい4線区間もありました。
軽便鉄道の区間は、1959(昭和34)年までに全廃、1067㎜軌間の帯広~工場前間が貨物専用鉄道として残っていましたが、それも1977年3月に廃止されています。

その廃止翌年、帯広から工場前まで歩いたことがあります。
まだ、線路は撤去されず、今にも列車が来そうな感じでした。
終点の工場前には、木造の機関庫も残っていました。
また来ればよいと思ったのか、なぜか写真を1枚も撮らなかったのが、悔やまれます。

3.「とってぽ通」の保存車輌

旅客営業廃止後、帯広市に寄贈された、十勝鉄道4号機関車コハ23号客車は、現在、十勝鉄道の廃線跡を利用した、「とってぽ通」に安住の地を得ています。

公開日には写真などの資料展示もあり 2016年10月撮影

「とてっぽ」とは十勝鉄道の地元での愛称です。
十勝鉄道を表す「とてつ」と汽笛の「ポー」を合わせたと、公開日にいただいた資料にありました。

4号機は、1920(大正9)年、日本車輌製造コハ23は、1926(大正15)年、楠木製作所でつくられています。

4号機の製造銘板 日本車輌の製造番号11番 2016年10月撮影

4号機十勝鉄道唯一の保存車輌ですが、コハ23は、旧河西鉄道だった十勝鉄道清水部線ハ3で、こちらも河西鉄道唯一の生き残りです。
よくまあ、自社生え抜きでない客車を残してくれたと感心します。
自社工場製造の客車は、ちょっと不細工(失礼)でしたが(よくいえば個性的)、コハ23は、中小メーカーとはいえ、れっきとした鉄道車輌メーカー製であり、軽便鉄道の客車として一般的な形なので、こちらが選ばれたのかもしれません。

コハ23(元河西鉄道ハ3) 2016年10月撮影
コハ23の天井部 煙突は車外もただの筒(普通はT字形)で、ストーブのないときは停車時に雨が入らなかったのか不思議 2016年10月撮影

4.また模型

十勝鉄道コハ23 塗装と連結器は模型仕様

公開日に実測させていただいたので、1/48の図面を作成、これも模型にしてみました。ご笑覧ください。

帯広駅から「とてっぽ通」の保存場所まで、歩いても30分たらずです。
機関車の運転室や車内に入れる公開日は毎年10月ですが、通常でも外観は柵の外からよく見えます。
「とってぽ通」も気持ちのよい散策路です。ご興味のあるかたは、ぜひどうぞ。

今回も、おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

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