さて、斉への侵攻を命ぜられた楽毅ですが国力を蓄えたとはいえ現状の燕の力では難しいと考えます。(前回のお話はコチラから)
当時、斉は湣王(びんおう)の元で天下に覇を唱えるほどの強盛を誇っていました。一時は西方の強国秦とともに王号よりも格上の帝号を名乗るほどだったのです。しかし、その陰には各国を侵略し、自国の国民を酷使がありました。
斉に恨みを抱いているのは燕だけではなかったのです。楽毅は各国に「
楽毅の燕の恵王に報ずる書を訳したいと思います。楽毅は中国戦国時代の人で、燕の昭王に仕え、大国斉を滅亡寸前にまで追い込み、しかし、昭王の次の王、恵王に疎まれ趙に亡命した人物。そののち、恵王に向け書いた書です。
私は不肖の者で、王命を奉じたにもかかわらず、また側近のご期待に応えることが出来ず、先王のご明察に傷が付くのを恐れ、また貴方さまの義心を害することを恐れ、故に趙に逃げた次第でした。今節、貴