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なけなしの教養

(Facebookには長すぎるのでここで)

今日は8月6日、例の時刻には車を運転して通勤中。今日も仕事で怒られた平和な1日でした。

高校時代は大江健三郎の『死者の奢り・飼育』に触れたものの自分で言ってるほど純文学を読んでいたわけではなくて、典型的な歴史学知らずの歴史好き為政者だったんですが、それでも愛読していたのが宮城谷昌光『楽毅』でした。

楽毅は弱小国・中山の家に生まれ、中山は富国強兵を成し遂げた趙の英雄・武霊王に侵略されます。侵攻は完全な領土化の野心で、この辺り現代のロシアとも重なり昔の中国のことと笑えません。楽毅もゲリラ戦を展開し趙軍を苦しめますが、いよいよ中山があと一砦となった時、妾の子・恵文王に位を譲っていた武霊王は息子に対し、

主父はかたわらの恵文王に涙の目をみせ、
「王よ、よくごらんなされよ。一刻の王朝が倒壊し、つぎつぎに王が斃れ、懿徳のさだかでない若い王に殉じて死んでいった中山兵が数多くいた。しかも、来春、全員が戦死すると知りながら、砦をはなれず、王を守ろうとする者が六百人もいる。わしも王も、ある日滅亡を迎えるとき、はたして六百人も殉じてくれるであろうか。はなはだ心もとない。王は、こころしてこの六百人を視ておくことだ」
と懇切にいった。

宮城谷昌光『楽毅』第3巻

とのくだり。国際政治が混迷の局面を迎える中、人間性とやらの守り手として戦争を語り継ぐ使命のある人文家にも、重く響く言葉だと思っています。

宮城谷昌光の中国古典に題材を取った歴史小説は漢文のテストの元ネタが出てくることもあって重宝したのですが、今の大学のオープンキャンパスに高2で訪れたさい、中国文学専攻の先生から「あんな中国人はいませんよ」と言われてげんなりして、それっきりになってました。ただ、中国古典の素養は残ってたので、後年大学の海外研修でロンドンのUCLを訪れた際、ミサで隣に座った復旦大学からの中国人留学生(エリートだなw)にカタコトの英語と手書きメモで「私は史記を読んだ」ということと気に入った史記の記事を伝えたら、「記念写真を撮ろう」と言われました。無力な文化が、異国で日本と中国を繋いだ確かな瞬間でした。それが宮城谷小説で得た、私のなけなしの教養と贅沢な体験です。

『楽毅』の武霊王はその後、正妻の子を廃嫡したことによる内紛で悲惨な最期を迎えます。この辺り『リア王』のようなシェイクスピア戯曲を想起させる……だったらシェイクスピアを読めよという話ですが、シェイクスピアってどうも悲劇ばかり描いて、悲劇が悲劇たられてしまう不可視の力学に無頓着な気が全作読んで観てない段階で思うわけで「売れるもの、バズるものの限界」を感じるとは思えてきました。

こんな不遜なことでも言えるくらいには良い齢こいちゃったアカウントです。

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