【古代中国の好きな話】弱小国「燕」の下剋上ものがたり
この話は、高校生のときに知って、すごく印象的だったな〜
古代中国には、現在でも使われる言葉がたくさん残っている。
特に春秋戦国時代と呼ばれる時代は、非常にエピソードが豊富で、私もこれまで「完璧」や「馬鹿」、「管鮑の交わり」などのエピソードを紹介した。
今回も春秋戦国時代の非常に興味深いエピソードを紹介したい。
このエピソードは、春秋戦国時代の「燕(えん)」という国で生まれた話だ。
「燕」は、春秋戦国時代の中でも、弱小の国として位置付けられ、常に隣国からの脅威にさらされていた。
そんな弱小国の「燕」が、ある家臣の一言から大きく躍進する
「隗(かい)より始めよ」というエピソードを今回は紹介する。
1. 弱小国「燕」を復活させた、ある家臣の話
春秋戦国時代は、中国において多くの国が分裂し、それぞれの国が覇権争いを繰り広げていた時代だ。
そんな中国において、「燕」は最も北に位置し、戦力も乏しい弱小国だった。
そんな弱小国の「燕」に仕えた家臣に、「郭隗(かくかい)」という人物がいた。「郭隗」は学者として「燕」の王に仕え、政策の助言を行う役目を担っていた。
そんな「郭隗」がある日、「燕」の王から、優秀な人材を集め、国を強くするためのアドバイスをもとめる。当時の「燕」は隣国の「斉」からの進撃を受け、滅亡の危機に瀕していたのだ。
「郭隗」は「燕」の王からの質問に対して、以下のように答えた。
「郭隗」は、優秀な人材を集めるために、まずは目の前にいる家臣を厚遇することを薦めた。その噂を聞きつければ、もっと優秀な人材が「燕」に集まってくると説いたのだ。
2.「燕」に集結する優秀な人材
「郭隗」のアドバイスを聞いた、「燕」の王は早速、「郭隗」らを厚遇し始める。すると、この噂を聞きつけた他国の優秀な人材が、「燕」に集まるようになる。
特に大きかったのは、中国の歴史でも、トップクラスの名将と評価される「楽毅(がくき)」が「燕」の将軍に就任したことだった。
「楽毅」は、あの諸葛亮も尊敬していたと伝えられるほどの名将だ。
この名将「楽毅」に率いられた「燕」の軍隊は、滅亡寸前まで追い込まれた隣国の「斉」に復讐を果たし、逆に「斉」を滅亡寸前まで追い込む活躍をみせる。
滅亡寸前まで追い込まれていた「燕」は、「郭隗」の一言から、
勢いを完全に取り戻し、隣国を追い詰めるまで成長することとなった。
3.目の前にある「やるべきこと」に集中しよう!
以上のように、弱小国の「燕」が大逆転を起こしたエピソードから、
「隗より始めよ」という古事成語が生まれている。
正直、エピソードを見返してみると、「本当にそんなにうまくいくのか?」と思う箇所の多い話だ笑
ただ、「目の前のやるべきことに集中する」ことが「大きな結果」をうむ点で、非常に勇気がもらえるような話でもある。
「隗より始めよ」はこれまでの人生でも、何度も自分の心の中で唱えてきた。これからも常に「隗より始めよ」の精神で進んでいくことに変わりはない。
<参考文献>
<過去の中国の逸話に関する記事>