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精神魂(生命エネルギー)と意識

自己の悟りの第一歩は、体とは異なる自分の正体を悟ることにあります。「私はこの体で はなく、精神魂である」という理解は、死を超越し、物質界を超えた精神界に入ろうとす る人にとって欠かせません。し『バガヴァッド・ギーター』は言い ます、「体がすべてではない」と。物質要素の結合を超えた次元には魂があり、その魂のき ざしが意識です。意識の存在はだれも否定できない。意識のない体は死体です。意識が体 から抜けでたとたん、口は話すことをやめ、目は見ることをやめ、耳は聞くのをやめます。
 体を動かすにはどうしても意識が必要だということは、まぎ れもない事実です。ではその意識とは? それは、ちょうど熱や煙が火の兆候であるよう に、意識は魂の兆候です。魂、または自己のエネルギーは、意識という形で現われます。事実、意識は魂の存在の証拠です。これは『バガヴァッド・ギーター』の哲学だけでなく、すべてのヴェーダ文献の結論でもあります。

意識がないものと意識があるもの

上の絵で見ると、物質だけと意識あるものとの違いを理解することができます。物質だと土、水、空気、空間、火の組み合わせたもの、例えば車また橋、紙、亡くなった方、工場、といった建物も物質です。なぜかというと、よく分析してみると、いずれかの、この橋だと土、水、火、このようなものの組み合わせで作られています。これが物質です。そして意識あるものとどのように違ってるかというと、意識あるものがこの物質の要素から組み合わせで作られたものを支配しています。あとは、この橋とか車も自動でできてないです。元々は土、水、空気、空間、火が自然にあります。土が自動で水に混ざって火に焼かれて橋の形になってるということがないです。誰か生命エネルギーがそれを支配してそのような形にしています。車もそうです。車も自動でできてない。誰か生きてる方がそれを作ってます。工場も誰かが作ってます。人間がこれらを作ってます。人間以外も例えば巣、蟻の巣です。蟻が生きてます、のでこの土を支配しています。この土を好きなようにことに使って地面の中に巣を作ってます。あとは、この生の力があります。この生の力が、物質を支配してます。そして車を運転している方も車を支配しています。あとは、生の力があるからこそ、物質を組み合わせて作られた車を支配できます。木の中にも生命エネルギーがあります。木の行動を見ると、木が土から水を吸い取ります。環境から二酸化炭素と光を使って酸素を作ります。木が太陽と空気を使って酸素を作ることも、生命エネルギーがありますから、水も取り込んで新しいものを作ってます。木も物質を支配しています。鹿は草を食べています。草はなくなりますが、でも自動的ではないです。生きてる動物が草を食べていますから、なくなってます。ごみを拾って場所をきれいにすることも、誰かがごみを持っていくときれいになります。あとこの活動で猿はこの方の鞄を奪い取って走ってます。鞄は五大要素で作られて、物質です。猿の中に生命エネルギーがあります。小鹿の中にも生命エネルギーがあります。蟻の中にも生命エネルギーがあります。木の中にも生命エネルギーがあります。なので、生きてる生命エネルギーが物質の要素を支配しています。でも物質だけだと物質だけです。何も支配していない。橋が自動的に作られていない。町も自動的にできている訳ない。橋また都市、建物、巣、このようなものが誰か生きてるものがいろんな物質の要素を使ってその形にしています。それが物質と魂があるものとの違いです。

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