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自己肯定感どん底の私が、転職活動をして生きやすくなった話【ポジウィルを使って転職した記録 総括】

アオイです。私はPOSIWILL CAREERを通して、非正規雇用から正社員として転職し、かつ一人暮らしも始めることができました。とても感謝しております。このnoteでは、POSIWILL CAREERを通して私がどう変わったのかをまとめたものとなります。

私がPOSIWILL CAREERを申し込む経緯や、どのように考え方が変わっていったか、転職活動をどう進めたかなど、自分の感情に焦点を当ててじっくり書いたnoteを以下のリンクからご覧いただけます。全11記事ございますので、お手隙の際に読んでいただければ幸いです。

POSIWILL CAREERを通して一番感じられた変化といえば、何より生きづらさが解消に向かっていったことです。完全に、ではありませんが、ほとんど解消されました。ですが、私の持っていた生きづらさは体験記noteではほとんど言及していなかったので、これから書いていきます。かなり長いですが、どうぞよろしくお願いいたします。



かつての私について

常に感じた生きづらさ

幼い頃から私は秘密主義だった。家族は「今日はこんなことがあった」と家に帰って来てから話し出すが、私は話したくないと思っていた。友人の名前すら言いたくなかった。自分の全てを誰かに知られるのがすごく嫌だった。そして親は過保護で過干渉だ。私を心配していることはとても分かる。今思えば、過干渉だったから秘密主義になったのかもしれない。「卵が先か鶏が先か」の問題のようだ。このことは#1#6でも言及している。家族といえども自分の領域に踏み入れられたくない、どうしても一人の時間がほしい。だから家に居ても窮屈だと感じる。だから私は自室に籠ることが多かった。


昔から家族以外には内気な私だった。いわゆる「極度の人見知り」だ。相手を何て呼べばいいのか分からず、「名前で呼んだら相手は嫌な気持ちになるだろうか?」と名字を含めて人の名前を呼ぶことすら難しかった。

小学校の頃、ようやく名前で呼ぶことができる友人達ができた。数年仲が良かったが、突然無視されてしまった。受け入れられなかった。最初は仲直りしたいと思ったが、次第に「相手は小学生なんだから、無視することしかできないんだ」「こんな人達と関係が切れてむしろ良かった」と考えるようになる。対策として、これからは裏切られてもいいように、自分が傷つかないように他人に接することにした。そうすると、人に心を開けなくなった。かくして私は人間不信になった。


笑えなくなった私

また、私は子供の頃に笑顔を封印した。記憶が曖昧だが、「笑い方が変だ」と言われたからだったような気がする。それを言われて悲しかったとか、怒りを感じたという感情すら覚えていない。この事をネガティブ体験のワークに書こうとしたが、あまりにも覚えてなさすぎて書くのを断念した。笑うことを抑えていたら、自然に笑えなくなってしまった。

すっかり無表情となった私は、「笑って」とよく言われるようになり、苦痛だった。どうして無理して笑わないといけないのか。笑いたくないのに、笑わないといけないのか。たまに鏡の前で笑顔を作ると、自分の笑顔が気持ち悪く感じるようになった。

笑えないと、第一印象が非常に悪くなる。打ち解けて友人になった人に聞いてみれば、「最初は怖そうに見えたが、話せば面白い」と言われることが多い。その後、面接などで非常に苦労をすることになった。「笑顔ができない」、それは私の最大の生きづらさだったのかもしれない。

勉強だけが唯一の取り柄

自分で言うのも何だが、私は記憶力が高く頭も良く成績優秀な子供だった。親は私の将来を期待していたから、勉強以外のことが何もできなくても許した。中学時代はまだ成績も良く、運良く新しい友達もできたのでまだ自信はあった方だった。高校受験は友人達と切磋琢磨しながら頑張った。そして第1志望に合格することができた。

高校は地元でその名を出せば、誰もが賢いと言ってくれるようなところへ進んだ。しかし受験で燃え尽きてしまった私の成績は下がる一方だった。今まで自分は賢い人と思っていたが、上には上がいた。一見不真面目そうに見える人も、しれっと成績が良い。真面目な性格の私は、腹が立った。おまけに極度の人見知りで、自分から声をかけられないから友達もできない。授業で分からないことがあっても、質問した時の反応が怖いと思ってしまい先生に質問もできず、高校生活はとにかく悲惨だった。

私にはずば抜けて得意な教科と、ずば抜けて不得意な教科があったが、面談にて先生は不得意教科の事しか触れず、私の得意科目には一切触れてくれない。親も昔から100点などの高得点ばかり取る私が、60点を取れば良くない顔をする。良い所は褒められず悪い所ばかり指摘される。勉強も人間関係も上手くいかない。

高校時代から「勉強」という昔から難なくできたものができなくなって、私の自信は更にどんどん下がっていった。その代わりにプライドだけが高くなっていく。これ以上自信を下げられないから、自分は何も行動を起こさず他人を見下すようになる。成績の良い人や、人間関係が良好な人に対しての嫉妬心が強くなった。しかし完璧主義の私はそんな「行動しない完璧でない自分」が嫌で、自己批判を頻繁に行い、それでも行動には移せないから常に自己嫌悪を引き起こしていた。この頃から「私の人生ってつらいことばかりだ」と考えるようになった。

大学受験では親の望むような偏差値の高い国公立大学を受験せず、私の行きたかった大学を受けまくった。だが3年間勉強に身が入らず、ことごとく不合格で、滑り止めで1度も見学にすら行ったことがない大学しか受からなかった。親からは「受験料の無駄だった」と言い放たれた。

ここで私は人生初めての挫折をした。この結果を受け入れられなかった。受け入れられなくて、ストレスが身体にも出てしまった。


嫉妬が渦巻く楽しい大学生活

不本意で入った大学だったが、人生で一番楽しい学生時代を送ることができた。私の趣味であり核でもある「京都巡り」に目覚めたのも、この時だ。

大学で部活に入って、皆を名前を呼び分ける必要が出てきて、荒療治だがようやく他人を名前やあだ名で呼ぶことができるようになった。部活では楽しい出来事や苦しい出来事もあり、それを皆で乗り越えて、うわべだけの付き合いではなくなった。とはいえ何でも話せたかというとそうではなく、恋愛話はもちろん、就活の話すら自分からは聞けず、私は他人の状況や情報の共有すらできていなかった。私が秘密主義だから、聞かれたくないことが多かったから、他人にも聞かないようにしていたのもある。

私は部活の仲間達が好きだ。だけど、心の内では常に嫉妬に駆られていて、腹を立てることも多かった。
同期達は後輩達から慕われていた。私以外の同期同士何人かで、どこかへ遊びに行くこともあった。後輩達とは普通に喋り仲も良かったが、「どうして後輩達は私を慕ってくれないのか」と後輩に腹を立てた。自分も他の同期と遊ぶことはあったのに、「どうして皆は私を誘ってくれないのか」と同期に腹を立てる。私が誰かにとっての一番の存在でありたかった。

私はどうしても周りと比べてしまう。大学には、私の長年の趣味を私以上に極めている人がいた。私の入った学部は、私の得意分野だったからそこにしたのだが、私以上に詳しい人がいた。私より上にいる人がいっぱいいた。同期達には才能があって、就活では複数内定を取っている人が多かった。私は無意識に比較して、勝手に傷ついた。青春謳歌をしていた大学生活だったが、渦巻く嫉妬心により、常に精神的に不安定だった。

そしてここに書いたように新卒就活で自信を失うことになる。親から怒られて、家にお金はないから就職してほしいと懇願された。大学受験や就活の事から、親は私のステータスしか見ていないと思うようになった。就職しないとお金が無い。就活しないといけない。十分に分かってる。でも体が動かない。この時にはもう鬱一歩手前の状態だった。何の価値も生み出せない私が、のうのうと生きていることが許せなかった。こんな私が生きている意味が分からない。消えたい。いなくなりたい。死んだら後始末が面倒だから、最初から存在を無かったことにしてほしい。そんなことを毎日考えるようになった。皆が卒論や就活も終わり残された大学生活を楽しんでいる間、私は塞ぎ込んで部屋から出ない生活を送っていた。ただ一日が終わるのを待って、どうにかして時間を潰して、毎日のように涙が出てきて泣いていた。それでも病院には行かなかった。行ったところで私が無職だという事実は変わらないし、鬱だと診断されると就活では不利になるだろうと思ったからだ。そのまま時が経ち、私は大学を卒業して無職になり既卒となった。(新卒や既卒の就活については、後に詳しく別記事で書く予定。)

そのままの、ありのままの、ステータス抜きの私自身を見てくれて認めてほしい、誰かに愛されたい、誰かの一番になりたい、こんなドロドロとした酷い性格の私を許して受け入れて愛してほしいという気持ちが増しに増していた。自分で自分を受け入れられないから、誰かに受け入れてほしかった。あの時の恋愛感情が執着に繋がっていったのは、こういう経緯があったからだと思う。


既卒就活を始めて

既卒になり改めて就活のスタートを切った私は、情報収集のため必然的に外に出ることが多くなった。自分で稼がないといけないので、死に物狂いでアルバイトを探した。どうにかしてバイト先が見つかり、社会との繋がりを持つことができた。そうしているうちに、鬱一歩手前の状態から自然と抜け出すことができた。

バイト先で、自分の社会的身分を身をもって実感することになる。まず、周りからはフリーターとして見られる。社員から「親のすねをかじっているのか」と半ば冗談で言われたこともあった。また飲食店だったこともあり、アルバイトは大学生が多かった。歳はそんなに変わらないのに、私が大学を卒業していると言うと、「あっ……」と大学生のバイトは言葉を詰まらせたようで、触れてはいけないものに触れてしまったような空気になった。就職できなかったゆえに大学生気分が抜けきれず、大学の延長線上にいる気分だった私に、衝撃が走った。もう私は大学生ではない、大人なんだ。当たり前のことをその時初めて知った。

バイトをしながら就活セミナーを受けたり、就活スクールや集団研修にも通ったりした。そこでは自己開示の大切さを知った。物事を通して気付きを得ることや、それの言語化の大切さも知った。学びが多く、仲間もできた。この時から、私は気付きを備忘録に書く習慣がついた。


就職したい、就活したくない

そして既卒になってから、もうすぐ1年が経とうとしていた。「いい加減就職しろ」と、親から言われるようになってしまう。私だって就職したい。でも、就活はしたくなかった。就活スクールや集団研修に通った後、それぞれ面談をして就職支援を受けていたが、応募や選考など本格的な行動に移すのが怖かった。求人を見ても情報が少なくピンと来ず、エージェントは門前払い。志望動機が思い浮かばず、それでもどうにかして応募しても、書類落ち。だんだん憂鬱になっていき、ふとした瞬間に孤独感に襲われた。

「事務職で就職をするなら、派遣で経験を積んだ方がいい」という情報を手に入れて、正社員でなく派遣で応募をするようになった。派遣で経験を積むということが、周りから正社員への就職から逃げたと思われるんじゃないかと思っていた。今まで就職支援してくれた人達に対する裏切りになるのではないか、逃げ腰な人だと嫌われるんじゃないかと思うと、怖くてつらかった。バイト先では私の噂が流れて、「派遣より正社員が良い」「結婚して家に入れば良い」など色々口を出された。私が決めたことだ、ほっといてくれ。私もこれでいいのか分からないんだ。正社員になれるかも分からない。ずっと派遣のままなのかもしれない。でも、今はこの選択しかできないと思っていた。

派遣での就活も苦戦した。とにかく応募を続けてようやく面接に呼ばれ、内定に漕ぎ着けた。派遣だけどフルタイムで働ける。親からも「社会人」として見なされるようになった。社会人2年目にして、ようやく「社会人」になれた、と感じられた。

そして既卒就活を通して、私はこんな考えを持つようになる。

私は、新卒を逃しても人生が終わることなく、生きていけることを証明したい。そして、私のように「失敗した」と思っている人の、励みになれる存在になりたい。

最初は開き直りでこんなことを思っていた。大学時代の優秀な部活の同期達にできなくて、私にできることといえば、これしかない。生き方には多様性があって、正社員でなくても色んな生活をしている人がいるんだと、そう考えていた。 まるで自分に「私の生き方は間違っていない」と、言い聞かせているかのように。


派遣社員時代

最初はどうにかして仕事を覚えて慣れていった。職場の人は皆良い人だった。しかし注意や指摘をされたら、自分を否定された気持ちになってしまい苦しんだ。

一方、例の恋愛の出来事で精神が不安定になって、精神科に行くかそれとも民間のカウンセリングに行くかと真剣に検討したり、備忘録で自分を見つめ直しつつ相変わらず認知の歪みが酷かったりしていた。今まではキャリアカウンセラーに悩みを相談していたが、働き始めてからは誰に相談すればいいのか分からなかった。友人をカウンセラーのように利用するなんてできない。依存したくない。執着したくない。悩みを相談したくても、自分の悩みを人に抱えさせて負担をかけてしまう。

今後の事を考えて、働きながら合説に行っていた時期があったが、説明を聞いたら選考を受けねばならない雰囲気になるのが嫌だった。京都で一人暮らしをするなら貯蓄をする必要があるので、結局そのまま働き続けることにした。そして時は経ち、私はリーダーになった。その後リーダー業務に苦しみ、ストレスが溜まっていき、上司からの言動も当たりが強いものとなっていき、仕事に行くのが憂鬱になっていく……。

ここまでが、POSIWILL CAREERを受講するまでの詳しい流れだ。

過保護で過干渉の親、極度の人見知り、人間不信、笑顔ができない、嫉妬心、比較癖、プライドの高さ、新卒で就職できなかった劣等感、職場での上司との折り合いなど、様々な生きづらさが絡み合い、がんじがらめになっていた。そして、それらを許さない完璧主義のせいで、自分で自分を受け入れられなくなっていた。こんな自分を好きになれるわけもなく、大嫌いでしかなかった。自己肯定感が低いどころか、どん底だった。


生きづらさの解消へ

上記の私の生きづらさを踏まえて、POSIWILL CAREERを通してどのような変化が起こったのか、見ていこう。

POSIWILL CAREER受講中の変化

意を決して申し込んだ無料カウンセリングで、私の好きなことに取り組む姿勢や思考の癖を発見できた。思考の癖は、卒業後に体験記noteをまとめている時にようやく自覚できた。私の場合はカウンセリングを受けているというより、大窪さんと楽しく趣味の話をした印象だった。無料カウンセリング、侮れない。しっかりメモをとることをおすすめする。


初回面談、生きづらさとストレスMAXだった私は、トレーナーの山口さんにどんなに優しい言葉をかけられても信じられなかった。今思えばかなりの重症だった。当時の備忘録には「褒められたことを素直に受け止められないのはまずい、自分が変わらないと何も変わらない」と記されており、危機感はあったことが窺える。2日後の事務局との面談にて、担当の二田さんの話に激しく共感し、家族と接するのが楽に感じられるようになった。


仕事で心が折れてしまい、急遽山口さんに話を聴いてもらった。私のつらさに共感してくれた。そして、後悔するならやってからの方がいいということを学ぶ。たとえ後味の悪い思いをしたとしても、それは行動してみないと分からないことだからだ。この一件で「自分なりに」仕事に取り組むことにした。他人の気持ちはコントロールできない。
新卒就活が失敗しても、決して私がダメな人間というわけではない。誰か、あの時の私にそう声をかけてほしかった。すぐに受け入れられるかは分からないけれど、後に心に沁みると思うから。


仕事の悩みを山口さんに相談して、職場で自分から相談を持ち掛けることができた。まずは言ってみないと、相手の反応は分からない。この後も自分から相談や提案をしやすくなり、働きやすくなった。
自分のポジティブ体験に自信が持てなかったが、「楽しいことに優劣はない」と言われ、目から鱗が落ちた。私は他の人にとっては何気ないささやかなことが幸せだと感じる。そんな私でいていいんだと思えた。


長年抱えていた誰にも言えない恋の悩みを相談した。気持ちは整理され、けりをつけるために告白に踏み切った。返事はなかったが、数日後には憑き物が落ちたかのようにスッキリした。ここでも、相手の気持ちはコントロールできないことを認識する。仕事も人間関係も完璧にしたかった。全てを思い通りにしたいという気持ちを手放せば、少し楽になるはずだ。この出来事の後に、私は完璧主義を手放す決意をする。


大したことない、当たり前だと思っていた仕事が自分の長所や強みかもしれない。
他の人からの視点を得て初めて気付くこともある。ここで、私は褒められて嬉しく感じられるようになった。あんなに鈍かった自分の心が、だんだん瑞々しくなっていくようだった。


予期せぬ出来事があったが、自分なりに考えて自主的に本を読んだり、ポジティブ3行日記をつけ始めた。新しいトレーナーの杉山さんを自分から信じようとした。今できることは何か、を考えて行動に移すようになってくる。


POSIWILL CAREERを通して、自然に意思決定ができるようになっていた。私は確実に変わっていっている。ジャーナリングを覚えて、思考の整理に使うようになった。私の「プライドが高い」という厄介な性格は、長所にも短所にもなりうる。自分の性格を受け止めて、行き過ぎたところを少しずつ直していくことにした。


自主的に取り組んでいた本のワークから、自分の価値観や今回の転職活動で何を叶えるかを導き出せた。ワークを最後までやりきったのは、初めてだった。派遣の仕事を通して、「常に出来事から学びを得て自分のものにする」という自分の生き方を見つけた。仕事に限らず、この先の人生にて起こる良いことも悪いことも受け止めて、どうにか自分のものにしていきたい。


苦手なことに取り組むとき、「私は○○だからできない」と言う思考の癖を発見した。それならばどうしたらできるのか考えるようになった。
無意識に他人と比べてしまい、自分の人生や夢に自信がなかった。「自分が自分の人生に納得できるか」どうかが大事だ。そして、数年ぶりの面接だったが自然と笑顔ができるようになっていた。


失敗した時にただ落ち込むだけでなく、「では、どうするか?」「どう軌道修正していくか?」を考えられるようになった。ネガティブな感情を置き去りにするのではなく、受け止めて次へ活かしていく。不安だと思っているだけでは何も解決しない。不安をどう取り除けるかを考えて、できるだけのことをやる。


POSIWILL CAREERから多くの学びを得た。この学びは転職活動にしか使えないものではない。人生を生き抜くために必要なものである。長年感じていた生きづらさが、数ヶ月で改善されていった。そして「私は私でいていいんだ」と思えた。自己受容ができるようになった。

POSIWILL CAREER卒業後、私は自分を大切にできるようになった。自分を大切にできるようになったから、他の人のことも大切にしたいと、思えるようになった。自分のことばかりで、他人に興味が無かった受け身の私が、興味を持つようになった。他人と交流をして色んな価値観に触れてみたい、他人のことが知りたいと思えるようになった。



生きづらさはどうなった?

過保護で過干渉の親→自分の気持ちを無視せず、感謝するところは感謝するようにした。引っ越して物理的距離を取る事ができた。

極度の人見知り→他人の気持ちはコントロールできないことを念頭に置く。自分なりに接することにしている。

人間不信→全ての人間が私を裏切るわけではない。もしそのようなことがあったら、その時に対処する。まず私が他人を信じてみる。心を開けば大体の人は優しいことを知った。

笑顔ができない→トレーニングを通して自分に自信がつき、会話の流れで自然と笑えていた。今は自分の笑顔も気持ち悪くないと思える。

嫉妬心・比較癖→自分に自信がつくと、あまり嫉妬しなくなった。自分の人生の軸・価値観を言語化すると、むやみに比較して落ち込むことが少なくなった。

プライドの高さ→自分の性格を受け入れて、直すところは直していく。心が乱れた時は、ジャーナリングで感情を整理してうまく付き合っていく。

新卒で就職できなかった劣等感→自分の長所を見つけて言語化したら、自信が持てるようになった。自分の人生を受け入れる。ネガティブな経験があったからこそ、今の私がいる。過去を見て落ち込むのではなく、「では、どうするか」に目を向ける。

職場での上司との折り合い→「自分なりに」頑張ることにした。私の場合、原因の上司が異動してだいぶ楽になった。環境の変化も大事だ。

完璧主義→「根詰めず、無理なく頑張る」を口癖にして意識して取り組むようになった。一度に全てを求めないようにした。

細かい変化

・様々な場面において自分で意思決定しやすくなった。

・周りの人に対してイライラしにくくなった。無意識に自分と他人を比較していたのが少なくなった。

・ジャーナリングを習慣化したことにより、自分のメンタルを保ちやすくなった。

・落ち込み続けることが少なくなった。「では、どうするか?」の考えをするようになった。

など。

ちなみに、一度変わればこのまま良い状況が続くというわけではない。常に心は変化しているからだ。ストレスが溜まれば、ネガティブ感情に支配されそうになる。一人でいることが多ければ、孤独感に襲われ周りの人に嫉妬しやすくなる。その時その時で対処をしていき、少しずつ良い状態に持っていく。常に自分と向き合い、更なる成長を遂げていく感じだ。自分にとって良い状態を継続するための努力や環境・仲間を作っていくことが重要となる。


POSIWILL CAREERゴールの行方

私の掲げていたPOSIWILL CAREERゴールは、このようなものだった。

自分の中から自信が常に湧いてきて、他人の評価に左右されず、自分自身で物事を決断できる状態になる

ところで、私の座右の銘は「泰然自若」だ。既卒就活の時、これに決めた。何があっても動じない私でいたかった。というのもあり、このPOSIWILL CAREERゴールとなった。
今はどうなのかと言われれば、「湧いてくる」というよりかは自信は確かにここにある、という感じである。当初考えた「自信が常に湧いてくる」状態とは、「うおおおおおおお!!!!!」と心の底からみなぎるイメージだった。自信満々だったら、この状態になるのだろうか。

後半の「他人の評価に~決断できる状態になる」の部分は、おおむね達成されているだろうか。もちろん迷うこともあるが、ジャーナリングで心の整理を行い、仮説検証を繰り返して日々を生きている。まずはやるのみだ。

達成率は、88%ということにしておこう。またしても端数だ。まだ100%には至らない。今後に期待して、末広がりの数字にしてみた。


転職活動で大事なこと

ここでは私が転職活動で特に心がけていたことを、まとめていく。

一度の転職で全てを求めない
今回の転職活動では「勤務地が京都」「正社員であること」「心理的安全性のある職場」を絶対条件とした。他にも年収や年間休日も入れようとしたが、こだわりすぎてしまうと応募できないと思い、エントリーの際はあまり考えないようにした。
本から導き出された私の「やりたいこと」は、

自我×知らない世界×自分らしさ=自分らしさを常に発見する

https://note.com/hanakonjou062c54/n/n75ea67e408f5#4wyp2

だが、一回の転職活動では叶えるのが難しいと感じたため、段階を踏んでやりたいことに進んでいく方式を取ることにした。

とにかく仮説検証
とにかく仮説検証である。ひたすら応募して面接を受ける。それと並行してどんな職場で働きたいかを考えるのだ。転職活動は「求職者の“できること“と企業の“求めていること“とのマッチング」なので、書類落ちは当たり前に起こることを念頭に置いておく。

振り返りの徹底
面接を受けたら、すぐに振り返りを行った。質問されたことを全て書き出し、自分の受け答えはどうだったかも正直に書く。上手くいかなかったとしても、「でもここはできた」というところも書き出せたら良い。この振り返りから、次の面接への対策が練れる。繰り返していくと、「できた」と思えることが増えていき、自信につながっていく。

と書いてみたが、POSIWILL CAREERを知る前の私がこれを見ても、正直一人で行うのは難しいだろう。自己肯定感がどん底だと、何をしても「本当にこれでいいのか」と思ってしまい、自信が持てないのだ。常に伴走してくれたトレーナーがいたからこそできたんだ。


トレーナーへの思い、想い

体験記noteでは「トレーナーとどんな風に関わってきたか」にも焦点を当ててきた。理由は二つある。一つはこれから受講する人に向けて、トレーニングがどのように進んだかを具体的に書きたかったからだ。もう一つは、トレーナーへの感謝を具体的に示すためである。

私が親に酷いことを言われても「アオイさんはそんな人じゃない」と言ってくれて、だいぶ後になってからだったけど嬉しく思うことができた。私がつらい思いをしていて、それでも自分が悪いと思って他の人に言い出せなかったが、「つらいですよね」と共感してくれた。すごいポジティブ体験なんて無いと思っていたけど、「良い経験ですよね」と言われて自分の体験を認められた。どうしても行動できない時に、私の気持ちを紐解いて整理して後押ししてくれた。大したことない、当たり前の仕事だと思っていたけど、褒められて嬉しかった。

突然の事態に困惑したが、何度もすり合わせを行い方向性を確かめてくれた。顔を合わす前なのに長文の悩みを送ったが、丁寧に対応してくれた。あらゆる不安でいっぱいだったが、丁寧に不安を取り除いてくれた。趣味の話や日常会話も楽しかった。とにかく自信の無い私を勇気づけてくれた。面接前には毎回応援してくれた。面接後も労ってくれた。内定を取ったら、一緒に喜んでくれた。

卒業後も近況報告を定期的にしている。もちろん2人に送っている。2人分の文章を考えるのは苦ではない、楽しい。ポジティブ感情を伝えたくて、つい熱量のある、というよりほぼ熱のような、書いている自分でさえ体が熱くなるような文章をしたためている。なので返信をもらえるとすごく嬉しい。今も続けているポジティブ3行日記に、毎回書いてしまうくらいには。

Twitterでトレーナーのツイートを楽しみにしている。いいねをしたり逆にもらったり、たまにやり取りをすることもある。嬉しい報告ツイートがあった時には、私も同じように嬉しくなって幸せな気持ちになった。「トレーナーの幸せは、私の幸せ」の領域まで来ている。

トレーナーへの思いは、いつしか想いへ変わっていった。「トレーナー」であるが、一人の人間として見ているところがある。私がトレーナーになぜこれほどの感謝をして、熱い想いを持っているか、ここまで読めばもう分かるだろう。

今となってはトレーナーは大切な人だ。すごい人でも憧れの人でも崇拝しているわけでもない。もちろんヒーローでもない。寄り添うという感じに近い。やっぱり「伴走者」がしっくりくる。トレーナーは人生が激変するような答えを持っているわけではない。答えを出すヒントはくれる。でも答えを出すのは自分だ。そして自分の人生の答えは自分の中にある。最初はひたすら内省を求められるので、ものすごく疲れると思う。


また、このnoteで私の生きづらさを詳細に書くに至ったのも、トレーナーが大きな理由である。

このnoteは山口さんが書いたものだ。山口さんから「昔は自信がなかった」と聞いてはいたが、そんな風には見えなかった。noteを見てようやく、「本当に生きづらさを感じていたんだ……」と思えた。私の新卒就活以前のことは個人情報的に書くつもりはなかったのだが、山口さんのnoteを読んで「公開しても良さそうだな」という気持ちになった。私の過去のネガティブ体験をさらけだすことで、共感したり救われたりする人がきっといるからだ。もちろん山口さんのnoteを見て共感したり救われたりする人もきっといる。私もそうだ。自信を失う過程が何となく私と似ていると思えた。

何より、山口さんが「人の可能性を信じたい」という想いを持ってポジウィルに入社して、私と伴走してくれたのが嬉しかった。noteを読んだことで、その想いをしっかり感じられた。あのストレスと生きづらさがMAXで自己肯定感どん底の私が変わることができると、信じてくれていた。私は自分の事なのに、自分を信じられなかった。自分より自分を信じてくれている人がいる。これほど嬉しいことがあるのだろうか。

トレーナーには感謝しきれない程の感謝をしているが、そもそもポジウィルという会社がなければ生きづらさも解消されなかっただろう。こういう事業があって良かったと切に思う。


受講を検討している方へ

自分を変えるのは自分しかいません。でも自己肯定感が低いと、自分だけの力で変わることは非常に難しいです。とはいえ、申し込み費用が高いと思っている方もいると思います。例えば私が申し込んだ当時「キャリア実現プラン」の受講費用は約50万で、単純計算で10回の面談で1回約5万です。1回の面談の料金にしては高い方ですが、実際は面談だけではなくて、Slackでのやりとりができます。私は面接が始まると毎日Slackで連絡を取り合っていました。そうでなくても、今までの私の記事を読んだ方なら分かると思いますが、有効活用するために率直で正直な感情入り混じる長文を、これでもかというほど送ってます。一人の人間と徹底的に向き合うのに、それ相応のお金が必要だと私は思います(エージェントと違って求人がないというのも理由の一つ)。
今までも書いてきたように、サポートはかなり手厚いです。卒業後もコミュニティに入れて自走できる環境があり、トレーナーとも連絡が取れます。

ここで注意すべきなのが、ただ高額投資をしてトレーナーと面談したら自分が勝手に激変するわけではない、ということです。申し込んだ際にも伝えられますが、自己内省が必須です。自分で変わろうとしない限り変われません。最初は難しいかもしれませんが、気を遣わずトレーナーに相談すると良いです。できる限りのサポートはしてくれます。

自分の持つ悩みが、家族や友人、エージェントや会ってくれる社会人に話を聴いてもらって解決するならば、それでもいいと思います。ただ、率直で正直な感情入り混じる長文を、これでもかというほど個人に送ったり、また直接言うとなるとかなり厳しいのではないでしょうか。コーチングを学んでない人に話すなら尚更です。
とはいえ払うのがやはり厳しいという方もいると思うので(私も分割を最大にしてギリ払えている状態)、私は申し込むことを無理に勧めません。ですが、誰にも言えず苦しんでいるなら、一人では解決できないと思うなら、無料カウンセリングがあるので話を聴いてもらうのも一つの手です。無理な勧誘はありません。

自分の人生を決めるのは自分自身です。このまま一人で悩む、POSIWILL CAREERを使う、他のコーチングサービスを使う、エージェントを使う、社会人に会って話を聞く、色々組み合わせていくなど、自分に適したものを検討していくといいと思います。キャリアで悩むあなたが、自分が納得いくような、自分が生きやすい人生を送れることを私は願っています。


終わりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。POSIWILL CAREERには非常にお世話になりました。卒業した今でもお世話になっております。
私の全11回のnoteも、多くの方に読んでもらえました。嬉しい限りです。 私がPOSIWILL CAREERを最大限有効活用できたのは、他の方のnoteをひたすら読んで参考にしたからです。今も他の方が書いたnoteを読んでおります。


「生きづらさ」は社会問題になっていると、私個人としては思っております。自殺や多くの人が巻き込まれる事件などが増えてきているような気がします。皆が生きやすく、自分を認め他人も認められるような社会になってほしいです。私の書いたnoteも、生きづらさを感じる人に届いてほしい限りです。

また、私の内省Twitterも変わらず毎日更新しておりますので、ご覧いただければ幸いです。


POSIWILL CAREERは卒業しましたが、私の人生はまだまだ続きます。嬉しいことだけではなく、もちろん困難も起こります。それでも前よりずっと前向きに物事と向き合って、今も私は生き抜いています。私が私であり続けるために。


アオイ




(追記)POSIWILL CAREERを卒業して1年半が経ちました。卒業後、どのように自分と向き合って生きてきたのかを書いたnoteも投稿しております。ぜひご覧ください。


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