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ことばに責任を持ちたいのに、一度放ったものを書いたりなおしたり消したりしてしまう自分にうんざり。初夏はずっと息が苦しい。
名前の由来と、ごめんねの数
書きたいことがたくさんあるような、寝かせてみると書くほどでもないような。スマホのメモ帳に思いついたことを入れたり、数時間後見返して「何だっけこれ?」となったり、心の中でずっと文章っぽいことをぶつぶつ言ったりしているんだけど、いざ書こうと思うとまとまらない。そもそも、まとめてそれっぽい答えを出そうとしちゃうのが、今は違うんだろうな。
テーマが壮大になればなるほど、結局いろいろ無理で「やーめた!」とな
なぜ書けないかを書いていたら人生規模の話になってしまった
5月はひとつもnoteを書かなかった。みんなの書いたものを見ていると書きたいことがたくさん出てくるのに、いろいろ考えると書けなくなる。
誰かに命じられて絶対書かないとダメなものではないから、まあ別に書かなくてもいいか、と思う日もあれば、謎に落ち込むこともあって。
なぜ私は書けなくなってしまったのか、を考えてみる。
実は私はもともと“書く仕事”をしていた。今もライターの仕事はフリーランスとして継続
あらためて藤井風の曲を聴いて「この人ほんと、人生何周目?ってかんじ」とうらやましそうにこぼした夫に
「(あなたは)自分のこと何周目だと思う?」と尋ねると「1周目でしかないよね...」と答えたので「だよね!!だがそれがいい!!!」と、心から伝えた。
身バレ(家族バレ)を恐れて微妙に紹介文やこれまでの投稿変えました。(ほんとに微妙)これまで○っぴんしゃんと呼んでくれた方たちは、うれしいのでコメントなどは変わらず伏せずに呼んでくださいね。
ひさびさに表参道歩いたら猫背がすこし伸びて、脳内に色彩がもどった。
打ちのめされ、書き始める
あまたの者もすなるnote投稿といふものを、我もしてみむとてするなり。
と、いきなりカッコつけている場合ではない。
というかカッコついてないし、ダサい。なんかもう、ダサい。
しかし、このダサい自分を認めざるを得ない日がやってきた。
noteに登録し、ここまで、およそ8年半。
これは、小さな小さな私の、大いなる一歩なのだ。
きっかけは、先日行われた、類稀なるエッセイスト・スイスイさんのイベント