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真っ白の呪い

アンメットに、まんまとハマっている。“まんまと”と言ってしまうのは、すでにあちこちで絶賛されているドラマだからというのもあるし、そこに登場するアメリカ帰りの脳外科医が、絶対私が大好きなタイプ(全方位ではなく角度によって印象を変える雰囲気イケメン、もしゃもしゃの髪に無精髭、奇人風なのにたまにまっすぐ目を見てドキッとすることを言ってくる感じ)だから、というのもある。最初は「はいはいはいはい、来ましたこのパターン!」などと、謎に平静を装い、感情に抗おうとしていたのだが、観るごとに無理だった。三瓶先生・・・好きです。

脳外科のお話なので、脳に関するいろいろが描かれていくのも面白い。私の最愛の祖母は脳腫瘍で亡くなっているので、ああ、こういうことあったな...という患者の描写もあって、胸が痛くなることもある。けれど必ず救いもあるのが、今の自分にはありがたかった。これは原作が素晴らしいのもあるのかな?(原作見ていなくてすみません)劇中のセリフにも考えさせられている。
ドラマを観たことがない人にも、機会があれば観てほしいので詳しくはあえて書かないのだけど、特にこの二つのセリフが、ずっと引っかかっている。

「強い感情は忘れません。記憶を失っても、その時感じた強い気持ちは残るんです」

「アンメット ある脳外科医の日記」第1話より

「(自分に)記憶がつながらなくて一つだけいいなって思うことがあって。今の気持ちがわかること。積み重ねがないから、直感で余計なこと考えずに今の自分の思いがわかるんです」

「アンメット ある脳外科医の日記」第8話より


昔、映画『私の頭の中の消しゴム』を観たときにも思った。もしも今、自分が記憶障害になって、ふと記憶が戻る瞬間があるなら、誰のことを、思い出すんだろう。

Sくんのことは思い出してしまうだろう。そして、目の前の恋人や夫を前にしても、うっかり「Sくん?」と呼んでしまう気がしていた。
でも、記憶の積み重ねがない状態で、もし今Sくんに会ったら、その時、私はまた彼を好きになるんだろうか・・・

はじめて記憶をなくしてみたいと思った。物心ついて、人を好きになる気持ちを知ってから、ことあるごとに「この気持ちは忘れない」と胸に誓いながら生きてきたのに。


どの季節が好きかと聞かれたら、いつも「冬」と答えていた。
それも、真っ白で、真っ白で、どこまでも白が続く世界。降りたての、雪のにおい。

海と山に囲まれた小さな町。Sくんとの最初の記憶は、私たちが小学1年生の時で、私は一丁前に「かわいい男の子」と思っていた。隣の席になった時は、Sくんの自由帳(お絵かきなど、自由に使える真っ白なノート)にキラキラの目をした女の子のイラストを描いて、吹き出しに「けっこんして♡」と書いたりした。そんなことしておきながら、それには深い意味や熱い想いはなく(そりゃそうか)でもそれを見て赤面するSくんがやっぱりかわいい、と思っていた。
かわいさゆえにかまいすぎて、互いのおばあちゃん経由で「この前、あんたの孫の○○ちゃん(私)に、うちの孫(Sくん)がイヤなことを言われたらしい」とクレームを受けたこともあった。
Sくんには、つむじが二つあった。ちょうどその時期うちの母が「つむじが二個ある人はきかん(性格がキツイ・気が強い、みたいな意味の方言)らしいよ。私もそうやけどね、うふふ」みたいに嬉しそうに話していたので(母は自分を小悪魔タイプだと嬉々として自負している節がある)軽い気持ちで「Sくんのつむじ、二個あるー!!二個ある人はきかんらしいよ!」と言ったのがまずかったらしい。祖母は困ったわぁと言いつつ、最近まで引っ込み思案だった私が男の子相手に何かを言えるまでにたくましくなったことが嬉しかったのか、少しだけ誇らしげに見えた。怒られると思っていた私は、「あれ?そんなに怒られないぞ?」という意外な展開にどこかでほっとしたり戸惑ったりしながら、Sくん、あの時傷ついてたのか...と驚き、反省した。あ、でもやっぱり、こんなことでおばあちゃんに泣きつくSくん、かわいい・・・とも思ってしまっていたんだったか。気になる子にちょっかいを出してしまう、自分の中の小学生男子っぷり(この時は確かに小1ではあったけど)が情けない。というか、今思うと、自由帳にプロポーズめいたことを書くのも相当痛い。そんなに関係性が確立されてない状態で、相手によっては相当な嫌悪。照れているように見えたのも都合の良い解釈。私は何でそんなに自信満々だったんだろう。これが小学生の頃の話でよかった。大人だったらきっと何らかの『○○ハラ』系案件。自分は自分のことをそんなに子どもだと思っていなかったんだけど、これだから、この手の子どもってこわい。

Sくんは、当時のあの町の子どもにしては珍しいひとりっ子だった。ある時は学校で、何かの発表のために子どもの頃の写真を持ってくる機会があったのだが、Sくんは写真ではなく、ずっしり重いアルバムを持ってきた。お母さんのコメントやかわいいシールがいっぱい貼られたアルバム。
『1歳おめでとう』のページには、キッズモデルのように愛らしいはにかみ顔のSくんと、赤い苺がたっぷりのった丸いケーキ。そこには「ここまで大きく育ってくれてありがとう」のことばが添えられていて、子ども心にカルチャーショックを受けたのを覚えている。(私はアルバムらしいものはあれど、適当に貼られていたものを剥がしたり、袋に入っていた写真の束をガサガサとあさって選んだりして持って行っていた)
私も大人になって、いつか子どもが生まれたら、こんなアルバム作る!絶対作りたい!と思った。実際母になってみると、アルバムを作るどころか、スマホに残っている写真をまともに振り返ることすらできていないのだけど・・・(ごめん、息子)

Sくんは、男の子にしては背が低く、周りは野球をやっていて坊主頭の子が多い中、少し長めの髪はほんのり茶色く、大きいけどすっとした、きれいな目をしていた。

こんなに書いておきながら、当時の私の公式の“好きな人”は3歳上の兄の同級生N先輩だった。N先輩はとにかく美少年で年上、それだけだった。(最初にタイプをあんな風に書いておいて何だが、幼い頃は明らかな面食い、全方位イケメン好きだった。そして、自分は生まれて6・7年、さらに全然可愛くもないくせに同級生の男子なんて子どもだし〜みたいなことをそれっぽく言ってみたりしていた)
でも振り返ると、Sくんを異性として気にしていたのは、この頃からだったし、何なら母性本能をくすぐられ、気になり始めるという私の恋愛パターンの原型はここにあった気もする。

恋に恋する小学生の私の公式“好きな人”は、3歳年上のN先輩に始まり、牛の絵が上手だったYくん、優しくてモテて切り絵の時にセロファンを分けてくれたOくん(アート系きっかけ多いな)を経て、5年生になる。

小学5年生は、私の人生に何度か訪れるうちの、大きい転機の時だった。
女子の人間関係の難しさが顕著になる時代。
私がそれまで一緒に行動していた友達は、AちゃんとBちゃん。二人とも家が近いから、親同士仲がいいから、同じクラスになったからには、一緒にいなければならない・・・今思えば子どもはもっと自由でいいし、そんな義理はないのに、いわば義務的に付き合っているような友達だった。そして、当時はBちゃんがかなりわがまま放題で、私とAちゃんをことあるごとに、代わる代わる無視したり、悪口を吹き込んだりして2:1になろうと翻弄するボス状態になっていた。
私は別にいつ一人になってもいいけど、残されたAちゃん(Aちゃんのことは好きだった)と、Bちゃんのお母さんと元同僚で仲良しだった母のことを思うと離れられなかった。ちょっといい子ぶりすぎな気もするけど、私は本当に、自分でも馬鹿らしいくらい、こういうところがあった。つねにバランスを取ろうとすることが染み付いている、というか。いらないところで不安になり、身を削る。徒労。
最初はBちゃんが何に気分を損ねたか理解できないまま、「師匠、すんませんでした」ばりにとりあえず謝ってまた3人仲良しになって、を繰り返していたのだが、だんだん引き金が分かってくると、常にBちゃんの機嫌を損なわないことに気を張りながら学校生活を送るようになっていた。それが地味にしんどく、私は学校に行こうとすると熱が出るほどになってしまっていた。「今日は休む」と言うと「ほんとにあんたは弱いねぇ」と母はため息をついた。
そんなある日、またちょっとしたことで気を悪くしたBちゃんによって『絶交』とページいっぱいに書かれたノートを祖母に見られた。
ああ見られちゃったか、という気持ちと、ほっとした気持ちが半々。気の強い祖母はもちろん黙ってはおらず、Bちゃんの家に電話し、興奮しながらその状況を伝えた。(母はそんな祖母の行動を大袈裟だと呆れていたようだけど。祖母のモンスター体質にこの時ばかりは救われた)
翌日、相当母親から叱られたと思われるBちゃんは、私に泣きながら謝ってきた。その時の、泣きじゃくる顔を私は今でも覚えている。私は思ったより疲れきっていて、涙って、こんなに終わりなく出てくるもんなんだな、と、ぼーっと見ていた。
最後、私は「もういいよ」と言って、その場を離れた。「もういいよ」は、許しではなく「さよなら」の意味。私は何だか、久しぶりの自由を得た気分だった。Aちゃん、ごめん、と思いつつ。
(その後、みんな大人になり、Aちゃんとは互いの結婚式の前撮りを夫婦二組で一緒に撮るくらいの仲に、Bちゃんと私も、一緒にドライブしたり、いろんな話をしあう仲になるのだが、それはまた、別のお話)

話がまた膨らんでしまった。とにかく、私はこのことをきっかけに、なりたかった自分にぐんと近づく。義理でつながっていた友達とさよならし、のびのびと笑っていると、新たな出会いがあった。C子とD子だ。
グループ活動があった時に「こっち来れば?」と声をかけてくれたのがきっかけだった。
C子とD子は大人っぽく、今までAちゃんBちゃんとは話せなかったこともたくさん話せた。おしゃれの話、好きなドラマの話、好きな男の子の話。下ネタトーク。
C子とD子といると、感じの良い男子も自然と交じってくることが多かった。あんまり好きな言葉や考えではないが、ヒエラルキー上位、というやつだったんだろうか。それぞれの個性が埋もれやすい学校生活で、一番顕著な時代だったのかもしれない。(中学はもう少しジャングルで“多様性”な感じ。高校はさらに異文化がうまく共存していた気がする。私が自分のことにいっぱいで、目を凝らして見ないようにしていたところもあったのかもしれないけど)
Sくんは、勉強もスポーツもできたが、相変わらず少し小柄で、照れると耳まで真っ赤になる、ちょっといじられキャラだった。
大人っぽいN美のことが好きだったけど、まったく相手にされていなくて、それがまた、なんかよかった。
Sくんの前でN美の名前を出すと、顔がみるみる赤くなっていく。私たちが、それを見てからかうと、Sくんは赤くなりながらもまんざらでもない様子なのだった。わざとからかってもらおうとしてる?と思うくらいに。
SくんはN美のことが好きだったんだけど、私たちが一緒にいる時間は、どんどん増えていった。
当時、男女数人で過ごす大学生のドラマが流行っていて、なんか私たちもそれみたいだね、と言って、クスクスけらけら笑っては集まっていた。周りから見たら、相当いけすかないやつらだったと思う。でも、この頃が、私の人生で唯一といえるくらい、まるで青春だった。

そして、冬がやってくる。

(つづく)←続くんかーい

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