奇縁g
栗林公園を後にした薫は、丸亀商店街へ向かうため、栗林公園駅を目指して歩いていた。
民家の中を歩く歩く、夏場の晴れた空の下、連なる民家と民歌の間にできる影を歩けども、影は少なく、強い陽射しが薫の肌を刺激する。
肌が焼ける。焼肉を焼いた時のような、芳ばしいいい匂いはしないが、確実に自分自身の肌が照りつける太陽に焼かれていることがわかる。
きっとこの焼けも日が経つにつれ、熱いシャワーを浴びるとヒリヒリとした地獄のような痛みが薫の肌を襲うのだと想像すると、ため息が出る。
黒いアスファルトの上を歩く度に、滝のような汗が額から滴り落ち、その汗は白いTシャツの中をつたい、背中から腰に滑り落ち、リーバイスのヴィンテージデニムのウエストに溜まっていく。
ヴィンテージデニムに薫がどっぷりとハマってもう3年。今日のヴィンテージデニムはリーバイス501の66前期モデルだ。
例えどれだけ珍しいモデルであったとしても、薫は、ヴィンテージデニムを履き続ける。
履かなければデニムはデニムたる故の意義を失う。
ヴィンテージデニムの歴史を辿ることは、それまでのジーンズ所有者が生きてきた歴史、証を薫が持って、紡いでいくこととなる。そう薫は考えている。
10分以上歩き続け、木でできたログハウス調の三角形の屋根を見据え、薫は栗林公園駅に到着した。
瓦町駅まで、1駅分の180円の切符を購入し、改札の中に入ると手前には老夫婦らしき男女がベンチに座っており、そのもう少し先に何やら声を荒らげる若い男女が口論している。
薫は老夫婦と若い男女の間にあるベンチに腰を下ろし、デニムのバックポケットからスマホを取り出して次の電車が到着するまでの時間を調べる。
スマホの時計で現在時刻を見ると1時30分。15分間隔で到着するこの電車の次の発車時刻は、1時35分。今から約5分後。
スマホをポケットに入れ、レザーバックパックから森見登美彦さんの文庫を取り出し、挟んだ出版社が宣伝用として書店に配布するの栞の位置から少しだけ読もうとした時、瓦町駅方面にいる若い男女の声が、先程にも増してより大きな声で言い争いを始めた。
「もうあんたなんか出禁だから!今から店長に言いに行くから!二度と来ないでよ!警察にだって言いに行くから!」
「ちょ、ふざけんなよ!てめぇーの為に今までどれだけ金出したかわかってんのか!ざけんなよ!」
なにやら大層な揉め事のようで、経験上、男女の関係などに首を突っ込んで良いことなど起きやしない。恐らく水商売かなにかの店員と客か、もしくは交際の果てに男女間で拗れが生じたのか。何にせよ、触らぬ神に祟りなしとでも言うべきか。薫はそのまま本を読むことにした。
…しかし、声がだんだん大きくなると同時に、声が震えているようにも聞こえる。男性の方が。
「あーそう。わかったよ。出禁にでもなんとでもしろよ。どうせお前みたいなやつに俺以外の客なんか着くわけねぇーだろ。ポリ公にでも勝手にチクッとけや。でもなぁ、どうせ捕まんならお前も一緒に地獄に堕ちろや!」
次の瞬間、若い女性の大きな悲鳴が聞こえた。
余りの声に本から目を上げ、若い男女の方を見ると、男が女性をホームから突き落とそうとしていた。
慌てた薫は読みかけの文庫を栞で挟みもせずベンチに放り投げ、若い男女の方へ駆け寄った。
すると走り寄って来る薫に気づいた男は女性の胸ぐらを掴んだ手を離し、女性を線路へと突き落とした。
男は震えながら「し、知らねぇーからな!俺は何も悪いことなんかしてねぇ。こいつが全て悪いんだからな!」そう叫びながら、ホームの柵を飛び越え、走り去って行った。
女性は落とされた拍子に腰や脚を怪我したのか、直ぐに立ち上がれそうにない。
線路からホームまでの高さは、女性の身長よりほんの少し低い程度。しかし今の女性の力では到底登れそうにない。
〝ファーッ!〟という音が聞こえた。35分着の電車が踏切を見据える所まで来ていたのだ。
必死の覚悟で薫は線路に飛び降り、女性を立たせ、もう一度薫はホームに登り、全力で女性の手を両手で引いてホームへ助け出した。
その後電車は無事にホームへ到着し、なんとか事無きを得て薫は震える女性を先程まで座っていたホームの青いベンチに座らせた。
顔面蒼白の女性はか細い声で「すみません、ありがとうございました…。」と言った。
直ぐに駅員が駆け寄って来て、事の経緯を薫と女性から聴取しに来た。
女性と男性の関係はやはり店員と客の関係だったらしく、どうも男性は店に通う中で、女性に対して特別な感情を抱いていたらしく、遂にはストーカー行為を行い、この駅で待ち伏せしていたらしい。
執拗に迫る男性に恐怖と嫌気がさし、店を出禁にし、警察にも通報すると口論になり、ホームに突き落とされたのだとか。
駅員の聴取が終わり、薫は自販機でアイスコーヒーとホットコーヒーを買って、1人分の間隔を空けて彼女の横に座った。
「アイスとホット、どっちがいいですか?」
まだ顔色が戻っていない女性はか細い声で「ホットがいいです。」と薫に言った。
「先程はありがとうございました。色々と。大体の事情はさっきの駅員さんの聴取で聞いてたと思うんですけど。同じようなこと、ニュースでたまに見るんです。でもまさか自分が当事者になっちゃうなんて…。」
無理に作ったはにかんだ顔で、彼女は話した。
「まだ足の震えがちゃんと止まらない。ごめんなさい。助けてもらったのに自己紹介まだでしたね。私、篠宮蘭香って言います。あなたは…」
頭をかく仕草をしながら 「根元薫です。大阪から友達に会いに香川に来てます。今から丸亀商店街の辺りを観光しようと思ってて。」薫はこうやって女性と話すのはあまり得意ではない。
すると篠宮蘭香の表情は少し柔らかく、そして明るくなり「じゃあ、もし良かったら丸亀商店街の辺り案内させてください。私の職場もその辺なんで。」
先程よりも少し元気が戻った姿に安心しながらも、案内してもらうことに薫は少しだけ緊張と不安を感じてしまう。
茶色のロングヘアーの少女とも見れて、若い大人の女性とも見れる篠宮蘭香は「次の電車は…14時前発ですね。まだ仕事の時間までもう少し空いてるので。根本さんはこの後何時頃まで観光する予定なんですか?」と薫に明るく作った笑顔で聞いてくる。
「一応、友人とは6時に琴電琴平駅で落ち合う予定にしてます。」
少し大きめのフリルの着いたカバンから篠宮蘭香はまだ少し震える手でスマホを取り出し、何やら調べ事をしているかと思えば、小さくスマホに頷いてみせ、「それじゃあ5時頃に丸亀商店街の辺りを出れば間に合いそうですね。」と、にこやかに話した。
電車が栗林公園駅に到着し、入口付近の椅子に篠宮蘭香はフリルの着いたスカートを両手で押えて座った。
そしてその横に、また1人分席の感覚を置いて薫も座った。
「そう言えばストーカーの件、警察には前から言ってるんですか?」
篠宮蘭香はほんの少し険しい面持ちになり、「一応先日相談はしました。でもちゃんと取り合っては貰えなくて…。この後店長にもう一度相談して、ちゃんとした対処をしてもらうつもりです。」
この反応を見るに、どうやら篠宮蘭香は暫く前からストーカー行為に悩まされているようだ。
電車は発車後3分ほどで車輪を留め、「河原町駅ー、瓦町駅ー」と車掌さんのアナウンスが入った。
思ってた以上の速さで瓦町駅に到着した。
電車を降りるとそこは乗り込んだ栗林公園駅とは違い、随分と近代的な、ビルや商業施設も多く見える駅だった。
「驚いた。丸亀商店街の近くってこんなにも栄えていたんだ。」
率直な感想を言う薫に対し、「バカにしないで下さい!そりゃ大阪よりは劣るかもしれませんけど、香川も四国の中じゃ一番栄えてるんですよ!」
篠宮蘭香は少し怒り気味に話す。
「ごめんごめん。そんなつもりじゃなくって。昔大学のゼミで丸亀商店街の事を少し調べた事があってね。その時よりも今の方が随分栄えてることにびっくりしちゃって。」
篠宮蘭香は少し呆れ気味に肩をすくめ、「一応規模は小さいんですけど、大体のことはここに来たら事足りるんです。ま、私は香川から出て生活したことは無いんですけどね。」
「実は私、幼馴染が大阪でアイドルをしてるんです。一緒なオーディション受けて、その子だけが受かって。私は途中で落ちちゃって。根本さんは川上礼奈って知ってます?」
「川上礼奈?ごめん、そんなに詳しくないものだから…」
「そうですよね。あまり有名じゃないから。でもね、昔香川にいた時は凄く可愛くって、有名だったんです。私も最初はそんな友達が大阪で有名になって嬉しくって、色んな人に自慢したなぁ。」
「でもね、礼奈が大阪に出てから1度戻ってきた時、それまでの私が知ってた礼奈じゃ無くなってたんです。別に無視されたり、偉そうにされたって訳じゃないんですけどね。もしかしたら私が勝手にコンプレックスを抱いていただけなのか。よく分からないんですけどね。それでも何か、あの頃、一緒にいた頃の礼奈とは違って見えて、それが悔しくって、悲しくって、あんなに可愛くても、少し離れると全く花が咲かないなんて。そう思うと私はなんてちっぽけな存在なんだって。なんだか悟っちゃって。」
青い空を見つめながら、少し懐かしむように篠宮蘭香は涙を目に溜めて、薫に話す。
「だから、私は私の出来ることを精一杯この香川でやって行こうかなって!そう思ったんです。」
この子は強い子だ。色んな感情やしがらみを抱えながら、強く生きていく。
「それじゃあ、まずはどこから行きますか?私こんな可愛い顔してますけど、生まれてから22年間、ずっと香川に住んでるから香川のこととっても詳しいんですよ!」篠宮蘭香の表情には暖かい色が戻り、少し鼻を膨らませながらドヤ顔で薫に言い放つ。
「そこまで言ってくれるなら…そうだな、それじゃぁまずは…」
薫が言う直前に篠宮蘭香は「それじゃまずは食べ歩きでもしながら商店街でも歩きましょう!」
完全に篠宮蘭香にペースを掴まれた薫は、篠宮蘭香提案食べ歩きツアーへ同行することになった。
次回は丸亀商店街 後編をお送りさせていただく予定です。
因みに篠宮蘭香の幼馴染、川上礼奈さんは実在する元アイドルです。
現在はカフェをオープンしたとかなんだとか。
もしかすると次回の後編前に、各キャラクター設定等をまとめた更新もいいかもしれませんね。
それでは、次回も是非よろしくお願いします。
※篠宮蘭香ちゃんはヒロイン予定。
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