見出し画像

「鬼滅の刃」が最終回を迎えてバズっとるから、全く何も知らない素人が今更アニメだけ見て思ったことを書いてみた

今回は2019年に2クールやっていた「鬼滅の刃」について今更ながら偏見で少し語ってみようと思います。自分はアニメを一度見ただけ(原作未読)の素人ですけれど、作品の構造に興味が湧いたので今まで見てきた作品と照らし合わせながら世界観や主人公についての共通点を自分なりに見つけてみます。ネタバレ(と言ってもアニメ第一話だけ)を含むので、万が一「まだ見てないよ」っていう方はアニメでちょこっと登場した玉鋼に関する話をご覧ください。

1.【世界観】大正時代と理不尽ってイイよね

作中では大正時代風の世界がメインに描かれていました。リアルの大正時代(1912~1925)を調べてみたところ、政治闘争や戦争、大震災など多岐にわたる出来事がこの短期間に起こっています。また、海外から新しい文化芸能・思想・技術(工業・建築)がどんどん入ってきたことで人々は宗教から科学に価値を感じる方へパラダイムシフトが加速している時代だったと個人的には思います。

政治的には大正デモクラシー(吉野作造の民本主義、美濃部達吉の天皇機関説)による民主主義運動が起こったり、平塚らいてうが先駆者となって女性参政権運動がスタートしたと言ったところでしょうか。抑圧体制から自分たちの権利を守るために戦っている様を思い浮かべると、はっきりとした目的があって自分には羨ましいと思えてしまいます。

そう、「ゆゆ式」の考察NOTEでは人は次のような性質を持っていると書いていました。

・人は誰かが戦えばそれに対して興味を持つ
・人は他人の成功や幸福よりも失敗や逆境、不幸の方に興味を示す

この2点は日常系アニメではさほど必要としませんが、一般的なバトルアニメでは人々を惹きつけるために欠かせない心理です。アニメ第一話は正にその王道を往く感じでした。炭治郎は①まず家族を殺され、②禰豆子が鬼化し、③その鬼化した禰豆子も義勇に殺されそうになるっていう3つの理不尽によって精神的に袋叩きにされてしまいました。理不尽って本当に素晴らしいものですよね。

もちろん理由もなく誰かが死ぬ描写を素晴らしいと言っているわけじゃありません。作品を魅せるにあたって、どうしてこのシーンが必要だったのかを考えれば「理不尽って素晴らしい」ということに気づきます。

「メイドインアビス」の考察NOTEを一部かい摘んで書くと、アニメのキャラクターも現実を生きる人も、人生ってのは理不尽と奇跡が交互に織り成してできています(まぁ大半は理不尽ですよ)。なので、理不尽の部分を「臭い物にはフタをしろ」っていう感じで描写を省いてしてしまうと、キャラクターの人生(延いては物語)が途端に嘘臭くなってしまうんです。一見すると、理不尽ってのは酷く見えますけれど、二次元のキャラクターにリアリティを与えると言いますか、人間的な厚みや雑味を持たせるためにはとても大事なことだと自分は思っているわけです。

結局、第1話から第10話辺りまではめちゃくちゃ面白くて一気に見てしまいました。

2.【主人公】2人は戦い、色んな人と出会う

本作の主人公と言える炭治郎・禰豆子ペアは、別作品と照らし合わせればさほどレアな関係ではないことに気づきます。例えば、「メイドインアビス」のリコ・レグペアとか「HUNTER×HUNTER」のゴン・キルアペアとは次の2つの共通点があります。

①一人は弱いけど成長と活動な側面を担当(&何か大きな目的がある)
②もう一人は強いけどナゾ的な側面を担当

主人公を2人にして話を作る場合、基本的に①②のどっちかを押し出して、見る側を惹きつけて飽きさせないように工夫する必要があります。かといって、2人の掛け合いの時間ばかりが続くとテンポが悪くなってしまいます(一般に人数が少なくなるほど話を作るのが難しいと言われている理由です)。そうならないようにするため、2人は広い世界に出ていき、色んな人と出会い、時には一緒に敵と戦って主人公の戦闘力や能力が徐々にインフレしていくのがバトルもの作品の王道であり、宿命とも言えます。第11話辺りから最終話まではそんな感じに見ていました。繰り出す技がいちいちカッコ良かったですね。

これに対して、「メイドインアビス」のリコ・レグペアは逆に人の全然居ない狭い地下世界へと向かって行くので、「鬼滅の刃」とは構造が対極的になっています。こういった作風の違いが見てとれるのも見比べの面白いところかなと思います。

ここで自分の偏見をぶっちゃけると、本当に恐ろしい敵ってのは話の通じない/何を考えているのか分からないモンスターや、人智を超えて理解できない大自然だと思うんですよ。「メイドインアビス」の原生生物・上昇負荷とか「ケムリクサ」の赤い木なんかがその例ですね。

「鬼滅の刃」に登場する鬼のほとんどは元人間でしたから、話の通じる鬼に対しては恐ろしさよりも人間臭さの方を強く感じました。なので、最終話を見終わってからは、話が通じず問答無用で襲ってくる鬼とか、物理的なスピードやパワーに依らない別次元の強さを持った鬼をもうちょい描いて欲しかったなぁと感じました。

3.ここまで思ったことのまとめ

物語を駆動するための原動力「理不尽さ」は一見惨く見えるとはいえ、キャラクターや作品のリアリティを出す意味では素晴らしいものだと改めて認識しました。また、物理的な強さに依らない鬼をもう少し登場させて欲しかったなぁと思いました(原作にはもっと描かれてるかもしれませんけどね)。ちなみに、世界観やビジュアル、技のアニメーションの美しさは個人的にはとてもツボでした。

(    'ω'    ) .。oO( 社会的にバズってるのは何となく分かったけど、
アニメは中途半端なところで終わってしまったなぁ…

4.【偏見】作品を見る時の3基準を適用してみた

自分が作品のどこを見ているかっていう3つの基準を「鬼滅の刃」に適用してみました。といっても、ここまで書いてきたものの補足で「それ明らかにあなたの感想ですよね?」っていう感じのヤツなので「こういう見方をしとるヤツもいるんだな」って程度に見て頂ければと思います。

1.不思議かつ美しい世界がそこにはあるか?
 単に見た目がキレイかどうかっていう意味じゃありません。「この世界は理不尽なことばかり起こるけど、その片隅にはこんなに美しい光景があるんですよ」っていう精神的な救済・浄化をしっかり描いているかどうかを見ていました。例えば、鬼の成仏シーンがそれに当たり、それらは軒並みクールなものでしたね。

2.理不尽さの加減は適切か?
 作中では理不尽さが効果的に使われているかを見ていました。アニメの範囲だけに限定すると、炭治郎は第一話でこそ理不尽な目に合ったんですが、その後は水を打ったように理不尽さが鳴りを潜めました。生死を賭けた戦いを重ねているはずなのに、ラストまで五体満足&出血程度の負傷で済んだことによって、途中から徐々に鬼の方が理不尽な扱いを受けているような印象になっています。主人公目線で見れば、後半は気持ち的なだれ場がずっと続いていたように感じます。

3.人間関係の贅沢(”エモい”)はあるか?
 2.と少し被ってくるんですが、第11話辺りからレギュラー化した善逸・伊之助とモブキャラの扱いが極端だなぁという印象でした。モブキャラは鬼にあっさりと殺される描写はあったのに、レギュラーメンバーはそれどころか鬼に襲われて今にも死んでしまいそうな描写はそんなになかったように思います。
 それが全ての理由とは言えないですが、炭治郎とレギュラーメンバーとの関係を深める材料が充実してなかったように思えました。なので、時折3人の間で繰り出されるギャグについては「ちょっと、待って。あんな短期間でそんな関係になれます?」っていう感じの違和感を覚えました。本編とはそんなに関係ないポイントなんですけど、最後までその違和感は拭えなくて、気持ちが置いてけぼりにされた寂しさが残りました。

「ためになるわ」と感じて頂ければサポートを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。