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人材は目の前にいた

多くの拠点があると、その運営の内情も様々です。

拠点の数だけ違った性格の拠点長がいて、拠点長の数だけそれぞれの人との距離の取り方があります。

中には拠点長に問題があるという判断にて、別の人に交代ということもあるでしょう。

今の状況が良くないのであれば、何かを変えない限り環境は変わりません。

リーダーの交代というのは、営業所にとっては大きな変化です。

ところが、今の状況のまま放置をしておくことはできないと、人物を見極めないまま早急に配置転換を行うと、その不適切な人事異動が結果として大きな弊害になることがあります。

こんな時に、私はかつての自分のことを思い起こすのです。

今は違う立場ですが、今から16年前、35歳の時に初めて事業会社(地域子会社)の社長に就任しました。

大きな組織を引き継いだタイミングで、当社としても未進出の地域だったことから、承継側の人間としてたったひとり送り出されました。

当がもともと事業をやっていないエリアで、従業員は850人ほど所属していました。

どんな会社に引き継がれたのか、そこの方針を知っているたったひとりの伝道者ですから、どこの馬の骨とも分からないような若造だったにもかかわらず、皆さん素直に話に耳を傾けてくださいました。

とはいえ、問題が起こったことで引き継いだ組織でしたから、しばらくは営業活動もままならない状況で放置されていたため、担当した当初は大赤字からのスタートでした。

なんとか早期に状態を回復しなければということで、もともとオープニングを控えていた施設の開設は全てストップして、同時にオープニングスタッフとして待機されていたスタッフさんたちの雇用も見送ることとしました。

また、使われていない空き施設があると、近隣拠点の物件を全て解約して、空いた施設を事務所代わりに使用してくれとスクラップアンドビルドをどんどこ実施。

間接部門の人員も事業規模に対して余剰配置となっていたため、まだまだ関係性が構築されていなかったにもかかわらず「この人は本当に働いているのかな」と思えるような役職者の肩を叩いていきました。

対象となった方は、その後同じ地域で会社を興して自身の事業拡大に向けて遮二無二働かれていました。

そして、実際に大事だったのは働いているように見えていたかどうかではなく、その方の存在によってそのエリアの従業員の士気が左右されていたということ。

今、熊本からくまモンの要素が抜けてしまうと、おそらくはガッカリする人が多くいらっしゃると思うのですよね。

そういうことです。

当時の私は、目先の業績を追うことに必死で、そうした人の機微に気づけませんでした。

スイッチが入れば起業してしまうくらいの主体性を発揮する人物が足元にいたにもかかわらず、そうしたことに気づかないばかりか、高い人件費をどうしたものかと人よりもお金を見ていました。

相手はやる気スイッチを入れてくれていなかったのではなくて、こちらの在り方のせいでスイッチを入れる気になってくださらなかったのですよね。

苦い結果に対峙してきた経験の積み重ねは、少しはその後の私自身の在り方に影響を及ぼしてくれたと信じています。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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