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第三者だからスッキリできる

以前のコラムにて、「何が相手を怖がらせているか」というテーマにて、自分自身が無意識に発してしまった言葉や仕草、それからエピソードトークの内容などが、知らず知らずのうちに相手に警戒心を抱かせてしまう可能性について言及しました。

人間関係は鏡のようなものですから、基本的には明け透けに自分のことを何でもかんでもフルオープンで見せていくというのは、相手の本音も引き出しやすいとは思っています。

ただ、包み隠さず曝け出すからこそ構築される関係性もあると同時に、関係性が構築されているからこそ隠さずに曝け出しても許されるといった要素もあります。

そして、どんな要素が相手の警戒心を強めてしまうのかということを意識しておくと、それ以外の部分はフルオープンにすることで、相手との距離はもっと縮めやすくなるのではないでしょうか。

結局は、相手次第で受け手の受け取り方次第だとは思うのですが、せっかくですから受け止めてもらうためには丸い受け止めやすいボールを丁寧に渡すことです。

ギザギザに尖った状態やささくれ立った状態の球を勢いよく手渡すと、それを受け止める相手の手はどうなるか。

それとは別に、きつめな言い方だったりシニカルな言い回しというのは、ズバッと確信を突いたり、気持ちをえぐったりというナイフのような鋭さがあると同時に、スパッと言い切るところなんかは小気味の良さがあったりして見ている側からするとスッキリすることもあります。

ですから、こういう言い回しは伝える対象や場所によって使い分けるのがいいのだろうなと思っています。

例えば、こういう誰もが読める場所だと、スパッと言い切ってしまう言い方は通用します。

なぜならば、誰もが自分のことだとは思って読んでいませんから(笑)

「ああ、そういうこともあるある」、なんて完全に自分のことは棚の上に置いて客観的な立場で見ているわけですよね。

傍観者なわけですから、ギザギザのボールを直接受け止める人ではないので、傷つくことはありません。

ところが、これが面談時であったり自分に対して直接言われたりすることとなると、また違った話となるのです。

武器が遠くに落ちているだけだと、近づかなければ済むだけです。

ところが、その銃口がこちらを向いているとなると、当然ですが警戒心が強まります。

結局は、受け手がそのメッセージをどう受け止めるか、そこへの配慮がないメッセージは意図しない形でしか相手の中には残らないのですよね。

また、一点気をつけないといけないことが。

こうして、大勢の人に読んでもらう文章であれば、それではなんでもかんでもぶっ放していいのかというと、そういうことではないということ。

すべての文責は書いた本人に帰するわけですが、それはあくまでも本当の個人であった場合。

多くの場合は、その人の所属している組織など背景があります。

品性のなさや攻撃性は、その人自らの品位を貶めるだけではなく、その人が大事にしている周囲のものへも同じ評価を呼び込んでしまう原因となり得ます。

受け手や読み手に「どう思われるのか」、「どう思われたいのか」、与えてしまうであろう印象が自分個人への影響を及ぼすものなのか、それとも組織全体への影響を及ぼすもなのか、そこへのイメージや意図がないままで情報発信をした時に、無意識だったとしても炎上の火種を振りまくことになるのだと思います。

これはネット上の話ですが、対面でこれをやってしまうとどうなるか。

向き合う相手に火種を投げてきたり、武器をチラつかせてきたりする人からは、大抵の人は距離を置きたがるはずです。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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