見出し画像

「出師の表」に学ぶナンバー2のフォロワーシップ

三国志の時代、蜀漢の名宰相・諸葛孔明(以下、孔明)は、魏との最終決戦である北伐を決意し、その決意と忠誠心を「出師の表(すいしのひょう)」に記しました。

この上奏文は、リーダーシップの象徴でありながら、同時にフォロワーシップの最高の例としても知られています。孔明の「出師の表」は、彼の忠誠心とリーダーへの忠言、そして自らの役割を全うする覚悟が凝縮された名文です。

私のnoteのトップ画像も「出師の表」にしてますが、それはナンバー2としての矜持をもれなく体現していて、何度読み返しても心にぐっとくる名文だからです。

さて、孔明が「出師の表」を通じて表現したのは、彼自身がリーダーとしてだけでなく、真のフォロワーとして如何に振る舞ったかという点です。今回は「出師の表」の解説を通じて、現代におけるナンバー2のフォロワーシップについて考察してみようと思います。

「こんなナンバー2になりたい」
「孔明のような右腕が欲しい」

読後にそんな気持ちになってくださったら嬉しいです。

諸葛孔明とはどんな人物?

三国志は読んだことがないけれど、諸葛孔明の名前は知っているという方々にもわかりやすいように人物紹介も簡単に触れておこうかと思います。

181年(0歳)現在の中国(山東省)生まれ。
208年(27歳)「三顧の礼」を経て劉備の臣下となる。
       「赤壁の戦い」に劉備軍の軍師として参加。
221年(40歳)蜀の建国に伴い、丞相(現代でいうと総理大臣)に就任。
234年(54歳)五丈原の戦の最中、病により死去。

孔明は、若くして両親を失い、兄弟と自給自足で生活しながら、勉学に励みます。若くして非凡な才能を開花させますが、特に世に知れることはなく、知る人ぞ知る天才というところでした。

挙兵して十余年、うだつの上がらない劉備は自分には軍師がいないことが弱点と認識し、人づてに孔明の存在を知り、孔明を軍師として迎い入れます。劉備47歳、孔明27歳の時でした。以来、その生涯を終えるまで蜀の大事を預かる軍師、政治家として様々な戦略を打ち立て、弱小だった劉備軍を率いて三国のひとつ蜀の建国に多大な貢献をしました。

一般的には孔明は天才軍師といったイメージが強く、「三国志演義」といったファンタジー小説によって天候すら操る呪術を用いるような人間のようにみなされていますが、軍事面ではそれほど成果を挙げてはなく、優れた政治家というのが実態です。(映画「レッドクリフ」は大迫力で面白いのですがファンタジーです)

孔明にまつわる有名なエピソード
・三顧の礼
・天下三分の計 ※呉の魯粛が発案したとする説が有力
・水魚の交わり
・泣いて馬謖を斬る
・死せる孔明生ける仲達を走らす

劉備との信頼関係
歳の離れた若い孔明を軍師と迎い入れた劉備ですが、生涯にわたり孔明に対して全幅の信頼を維持します。

孔明にとっては義理人情に厚い劉備は自分にはない人間的な魅力を持った人物として映り、漢王朝再興という劉備の目標を粉骨砕身の働きで支えます。

日頃から国の将来や展望を語り合う二人でしたが、蜀漢建国後、劉備が義兄弟だった関羽の敵討ちのために呉に挙兵することだけは孔明も止めることができませんでした。

結果、劉備は呉の若き天才都督陸遜に夷陵の戦いで敗走し、白帝城で最期の時を迎えることになりますが、臨終に際して、劉備は孔明を呼び寄せて後事を託します。

「そなたの才能は魏の曹丕(そうひ、曹操の息子で魏の皇帝)の十倍はある。かならずや国を安んじて漢室の再興を成し遂げてくれるものと信じている。もし我が子の劉禅が輔けるに値する人間ならどうかこれを輔けてやってほしい。もしそれほどの価値もないと思うなら、そなたが代わって帝位につき、全権を奮ってほしい」

孔明は劉備に後事を託され、その気になれば皇帝の座に就くこともできましたが、そうした考えは一切持ちませんでした。

劉備の子、劉禅の歴史的評価は一般的には暗愚に類されていますが、漢王朝再興のシンボルとして劉備の実子が皇帝であることが自然であると考えたのかもしれませんし、劉備の人間的魅力に比べたら恐れ多いことと思ったかもしれません。そしてなによりも劉備に自分の人生を全て賭けた人間として、棚ぼた式に自らの栄華を得ようという気がなかったのだと思われます。

劉備の死後、孔明は劉禅をよく補佐し、若い皇帝に代わり、全権を掌握し、自らは政治、軍事の両面で変わらずその才能を思う存分、漢王朝再興のために使います。

そして、魏との決戦のために長い年月をかけて国力を上げて準備をし、北伐に臨む時が来ました。その際に皇帝劉禅に上奏したものが「出師の表」でした。

出師の表には何が書かれていたのか

「出師の表」には、魏に対する北伐の決意と、その背景にある蜀漢の存続と安定を願う思いが綴られています。この表の中で孔明は、自らの忠誠心、蜀漢の未来に対する深い懸念、そしてリーダーに対する忠告を余すところなく伝えました。

出師の表、全文

長いのですが、現代語訳を掲載します。

謹んで申し上げます。
先帝におかれましては、創業の志も半ばにしてお隠れになりました。今、天下の情勢は蜀、魏、呉の三国が覇を競っていますが、わが蜀が一番苦しい状態にあり、危急存亡の時という状態です。

しかしながら、朝廷では待衛の臣が、戦場では忠義の士がそれぞれに粉骨砕身して、国威の発揚につとめております。それはひとえに、今は亡き先帝へのご恩顧を陛下にお返ししようと願っているからにほかなりません。

どうか陛下におかれましても、広く臣下の意見に耳を傾け、先帝の遺徳を輝かし、志士の気持ちを奮い立たせ頂きたい。みだりに自らを卑下したり、言い逃れをして、臣下の諫言を退けることのなきようお願い申し上げます。

陛下は、政府と一体となって国政にあたらなければなりません。また、賞罰善悪の基準は公平に適用しなければなりません。もし仮に悪事を働いて罪を犯した者、忠を尽くして功績を挙げた者があれば、すぐさま政府に命じて刑賞を明らかにし、陛下の公平無私な態度をお示しになるべきです。法の適用にあたって、えこひいきなどもってのほか、いかなる人物に対しても、公平であらねばなりません。

ところで、陛下の側近として仕える待中の郭攸之(かくゆうし)、費褘(ひい)、董允(とういん)といった3名の者はいずれも誠実で、まっとうな人物であります。だからこそ先帝は数ある臣下の中から選りすぐって彼らを陛下の側近として残されたのです。どうか宮中の事は、すべてこの3名に相談のうえ実行に移してください。そうすればなにひとつ間違いが起きることなどありません。

また、将軍の向寵(こうちょう)は、誠実、公平な人柄で、しかも軍事に精通しております。かつて先帝によって登用され、先帝が直々にその能力をお認めになった人物であります。それゆえ、このたび群臣こぞっての推薦によって、軍の長官に挙げられました。どうか、軍事に関することは、なにごとにつけ、この向寵にご相談ください。そうすれば、軍内に不和を生じることなどあろうはずはございません。

前漢が興隆したのはなぜでしょうか。他でもありません。賢臣を登用し、つまらぬ者を遠ざけたからです。これとは逆に、後漢が滅亡したのはなぜでしょうか。つまらぬ者を登用し、賢臣を遠ざけたからです。

先帝は生前、いつもこの問題を私と論じ、後漢の滅亡を招いた桓帝、霊帝の失政を痛憤なさいました。幸いにして、今、陛下にお仕えする重臣はいずれも貞節な人物でありまして、陛下のためとあれば死をもいといません。どうか彼らに全幅の信頼をお寄せになられますように。そうすれば我が国の興隆はまさに期して待つべきものがあります。

そもそも私は一介の平民に過ぎませんでした。南陽の地で自分が食べていけるだけの農作業をし、この乱世を無事に生きてゆければよいと思い、諸侯に仕えて名を挙げようなどとは考えもしませんでした。

そんな身分も卑しい私の元へ、先帝は三度も訪れてくださり、乱世に処する対策をご下問くださいました。私はその振舞いに感激し、先帝のために微力を尽くす覚悟を固めたのであります。そして間もなく、荊州で曹操に敗れて、敗走する途中で、命令を受けて呉まで使者として参りました。あれからもうはや21年にもなります。

先帝は、私が謹み深いことを知っておられました。それゆえ臨終に際して、国家の大事を託してくれました。その遺詔を受けて以来、昼となく夜となく、心の休まる日はありませんでした。もし私が先帝の付託に応えることができなければ、それはとりもなおさず、先帝の志しに傷をつける結果になることを恐れたからです。

そこでまず、去る五月には瀘水(ろすい)を渡って南方を平定し、後顧の憂いを断ちました。そして戦争の準備も完了しました。今こそ三軍を率いて北の中原に打って出るときであります。かくなるうえは、愚鈍の身に鞭打って悪人たちを討伐し、漢室を再興し、旧都長安を奪回する決意です。これこそまさに私の務めであり、先帝の恩顧に報い、陛下に忠を尽くすゆえんにほかなりません。

また、国家の損益を勘案して陛下に適切な助言をするのは郭攸之、費褘、董允らの職責でもあります。どうか私に対しては、賊を討伐し、漢室を再興する大事業の完遂をお命じください。もし私の力が及ばず責任を果たせなければ、私の罪を責めて、その旨を先帝の霊前でご報告ください。またもし、陛下に対する助言に手抜かりがあれば、郭攸之、費褘、董允の怠慢を責め、その罪を明らかにしてください。

恐れながら陛下におかれましてもなにとぞ臣下の諫言に耳を傾けて立派な政治を行い、先帝の遺詔を実現なさるようおつとめください。

私は先帝から多くの恩情をかけていただき、その感激が絶えることはありません。今、遠征するにあたり、この一文をしたためながら、あらためて感涙にむせび、これ以上何も申し上げることができない始末でございます。

前・出師の表

劉備への忠義
孔明は、先帝劉備に対する忠誠を強調し、その遺志を継いで劉禅を支える決意を示します。劉備から臨終の際に息子劉禅を託され、劉禅に対して絶対的な忠誠を誓い、自ら帝位を奪うことなく、劉禅を補佐する道を選びました。

これは彼の忠義とフォロワーシップの精神を強く示すエピソードです。

蜀漢の現状と将来への憂慮
蜀漢が内外の問題に直面していることを指摘し、特に北方の魏に対する脅威を強調します。孔明は、国の将来を憂い、自らが北伐を指揮する必要性を説き、蜀漢の存続と安定を図るために、全力を尽くすことを表明します。

劉禅への忠言
若くして皇帝となった劉禅に対し、臣下の忠言をよく聞き、彼らと協力して国を治めるべきだと忠告します。彼は、劉禅が信頼できる臣下と共に統治を行い、自らの役割を全うすることが、国家の安定に繋がると説いています。

自らの責任と覚悟
最後に、孔明は自らの責任を強調し、もし北伐が失敗した場合、その全ての責任を自分が負う覚悟があることを明示しました。彼はリーダーとしてだけでなく、ナンバー2としての覚悟も示し、全力で蜀漢の安定に取り組む決意を表明したのです。

諸葛孔明のフォロワーシップ

孔明の「出師の表」は、単なる戦略計画書ではなく、そこには真のフォロワーシップが込められています。フォロワーシップとは、リーダーを支える能力であり、リーダーに対して忠実であること、そして必要な時にリーダーに対して意見を述べる勇気を持つことを意味します。

1. 忠誠心とフォロワーシップ
孔明は劉備への忠誠を示すと同時に、劉禅への絶対的な忠誠を表明しました。劉備から「そなたが統治せよ」と告げられたにも関わらず、彼はその言葉を受けて、劉禅を全力で支えることを選びました。この忠誠心は、単にリーダーに従うという意味ではなく、リーダーのビジョンを理解し、その実現に向けて全力を尽くす姿勢を意味します。リーダーからの恩義に報いるためには、このような無私の忠誠が求められます。

2. リーダーへの忠言
出師の表の中で劉禅に対して辛辣な忠言を述べています。孔明は、若い皇帝がその地位にふさわしいリーダーシップを発揮できるように、敢えて厳しい言葉を使い、国家の利益を最優先に考えた指導を求めました。フォロワーとして、リーダーに対して正直な意見を述べることは重要です。孔明のように、真実を恐れずに伝える姿勢が、組織の成功に繋がるのです。

3. 自らの役割を理解し、行動する
孔明自身は、劉禅をサポートするために自らの役割を明確に理解していました。彼は、自分がリーダーを補佐する立場にあることを理解し、その役割を全うするために北伐という行動を選びました。フォロワーシップにおいては、自らの役割を理解し、その役割に基づいて行動することが求められます。

4. 組織全体を見据えた視点
孔明は蜀漢の存続と国民の幸福を最優先に考えていました。孔明の行動は、個人の利益や名誉のためではなく、国家全体の利益のために行われました。フォロワーシップにおいては、組織全体の利益を常に考慮し、それに基づいてリーダーをサポートすることが重要です。

現代におけるナンバー2のフォロワーシップ

現代のビジネスにおいて、ナンバー2としての役割を果たすには、孔明が示したようなフォロワーシップが不可欠ではないでしょうか。リーダーを支え、組織全体の利益を最優先に考える姿勢は、現代の企業においても求められるものです。

1. リーダーに対する忠誠心とサポート
現代のナンバー2として、まず必要なのはリーダーに対する絶対的な忠誠心です。これはリーダーのビジョンを理解し、共感し、その実現に向けて全力を尽くすことを意味します。リーダーの意図を理解し、それを補完する形で行動することで、組織全体の成功に貢献します。

2. リーダーに対する建設的な意見
リーダーに対して意見を述べることが求められる場面も多々あります。ナンバー2として、時にはリーダーに対して厳しい意見を述べる必要がありますが、それは組織全体の利益を考えた上でのことです。リーダーに対して正直で建設的な意見を述べることが、組織の方向性を正しく導くことに繋がります。

3. 自らの役割を理解し、リーダーを補佐する
ナンバー2としての役割を理解し、それに基づいてリーダーを補佐することが重要です。リーダーの意図を理解し、リーダーが見落としがちな部分を補完することで、組織全体の効率と成果を向上させることができます。

4. 組織全体を見据えた視点を持つ
最後に、組織全体の利益を常に考える視点を持つことが求められます。リーダーの成功は、組織全体の成功に直結します。組織の長期的な発展と安定を見据え、リーダーを支えることで、ナンバー2としての価値を最大限に発揮することができます。

孔明の「出師の表」に学ぶフォロワーシップの精神は、現代においても非常に重要です。リーダーに対する忠誠心、建設的な意見、そして組織全体を見据えた視点を持つことが、ナンバー2としての成功に繋がります。現代のビジネスにおいても、孔明のフォロワーシップの精神を取り入れ、リーダーを支えながら組織全体の成功を目指すことは意義があることだと思います。

最後に

孔明はただの天才軍師というイメージが強いかもしれませんが、実はそれ以上の深い人間性と忠誠心を持っていましたし、「出師の表」では、孔明がどれだけリーダーを支える覚悟を持っていたかがわかります。彼は自分が北伐を指揮する必要性を説き、もし失敗したら全責任を自分が取る覚悟を示していますが、これこそがフォロワーシップの真髄だと思います。

現代でも、ナンバー2としての役割は孔明が示したような忠誠心と自分の役割を全うする姿勢が大切で、リーダーを全力でサポートし、建設的な意見を言う勇気を持つことが、ナンバー2としての成功への鍵です。

「忠誠心」という言葉は、現代では重たく感じることもあるかもしれません。特にビジネスの世界では、個人のキャリアや自己実現が重視されることが多くなっていますので、忠誠心という概念が古臭いとか、組織に縛られることへの抵抗感を感じる人もいるかもしれません。また、そもそも忠誠を誓いたいような人間の元で仕事をしていないということも現実には多いかもしれません。

私の解釈としては、孔明の「出師の表」に描かれている忠誠心は、ただのトップや組織への無条件の従順さではなく、責任感や価値観に基づいた献身、トップが掲げる考えに対するコミットメントであると言えるのではないかと思っています。なぜなら、現代においても、どんな職場やチームでも信頼関係や献身的な姿勢は大切ですし、それがリーダーシップやフォロワーシップの根幹を支えるものだからです。

孔明は劉備に対する忠誠心を持ちつつも、ただ従うだけではなく、必要なときには進言し、国の未来を真剣に考えて行動しています。だからこそ、現代においてもリーダーとして、そしてナンバー2に求められる姿勢として共感できる部分があるのだと感じています。

そして、経営者の方であれば、そんなナンバー2を引き付けてやまないトップとしてのあり方は何かを考え、実践するのがトップの務めでもあることがご理解できたのではないでしょうか。

また、組織に属して仕事をしている方々にとっては、役職に関わらず、人や組織に対して全身全霊で仕えるあり方もあることを知って頂きたいなと思います。

私自身、リーダーとして、ナンバー2として組織を渡り歩いた会社員時代を振り返ってみても、自分の利益を顧みず全力でトップや組織に尽くしたからこそキャリアが詰み上がったと自負しています。

読み手によって感じ方が異なるかと思いますし、普段忙しくて真剣に考える余裕もないテーマでもあるでしょうから、リーダーシップ、フォロワーシップについて何かの気づきになりましたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。



この記事が参加している募集