見出し画像

過去を知らないからこそ成立する人間関係

子供の時より年齢を重ねるにつれて人間関係について考えることが多くなりました。

喧嘩やちょっとした思い込みやすれ違いで揉めてしまったり、仲間外れにされたり、離婚やいじめなど何かしら胸が傷むような別れの経験は生きていたら誰しも1回はすると思うんですけど、最近人間関係について不思議だなーということがありまして。

お互いの過去を知らないからこそ成立する人間関係ってこの世の中にすごく多くて、なんならそんなのばっかりだなって思うようになりました。

どれだけ過去に何かを過ちを犯したとしてもどれだけ過去に大きな傷を負ったとしでも、これから新しく出会う人や自分の過去を知らない人にとってはそんなに関係ないことなんですね。

多少は関係あるところもあると思うんですけど、今のあなたに何ができるのか、今の自分がどういう考えやどんな価値観を持ってどんな行動しているのかという今にフォーカスしていることが人生を前進するためにはとても大事でとても尊いことだと思っていて。

例えば、高校生の時にクラスや部活で仲間外れにされたりいじめられたりした人が社会人になったとしてその人をA君とします。社会人になった場所は地元から遠く離れ、職場にも学生時代の知り合いは誰1人いない環境で働いています。

ただ、A君は過去のいじめや仲間外れにされた経験がトラウマで自分を曝け出すことに抵抗を持っていたりコミュニケーションに難があります。

そんな風にA君は自分を曝け出すことに抵抗を持っているんですけど、気にしている人はA君だけで同じ職場の周りの人からするとA君が過去にどれだけいじめられていても、どれだけ何かしらの分野で結果を出していたとしても、どれだけ悪いことをしたとしても、正直どうでも良いんですよ。

そんなことよりも今の時間をどんな風な心構えで過ごすのか、ということが大切で。

誰しも人間なのでA君のように過去を引きずってしまう人は多いと思うんですけど、周りからするとA君の過去なんか見えないし、探ろうとしても理解し切ることはできないんですよね。(デジタルタトゥーが入っている問題は別の話になるかもしれないですが)

こんな風に社会人になってからの職場の人はA君の過去を知らないのでA君は過去を過剰に気にする必要はないし、今思うこと感じることを伝えながら目の前の人と関係を構築すれば良いのかなと思っていて。

もしかしたら今出会っている人も過去に書き換えたい記憶を抱えている人もいるでしょうし。

どんな環境でも悪いことをしてしまったりとか、大きな結果を出したりとか、人間関係で揉めたりとかすると、「悪いことをした人」「結果を出した人」「人間関係で揉めた人」っていうようにレッテルを貼られちゃうんですよね。

人ってやっぱり1度レッテルを貼ってしまうとその人がどれだけ変化したとしてもレッテルフィルターを外すことは難しいので、レッテルが貼られていない場所に行くのも人生の1つだなって思います。

結論、何が言いたいかというとお互いにレッテルを貼っていないからこそ、成立する人間関係はこの世の中にめちゃくちゃあるので、今何かしら誰かにレッテルを貼られて生きづらくなったり、辛いと感じている人がいれば、自分のことを全く知らない環境に行くのは有効だし、新しい人生もあるし、人生が切り拓けることの方が多いなーって思います。

年齢を重ねれば重ねるほど気付くことでもあるので、学生の人とか特に若い人には今いる環境がこの世の全てじゃないので、辛いと思っている人は逃げ出しても良いんだよと言いたいです。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?