#毎日note
もしこの写真展の中で、1作品だけを購入するとしたら
写真展に行くのが好きだ。Instagramでふと流れてきた写真展の広告に惹かれて、そのまま導かれるようにふらっとギャラリーに行くことがよくある。そうして出会う写真の数々は、時に私の心に波風を巻き起こす。
撮影者が見た視線を、私も同じように辿る。撮影者が見た世界の中の、ほんの一部。ほんの一区画。ほんの1ミリ。だけど、不思議なことに写真を見ていると、私も同じようにその場にいさせてくれたかのような錯覚
「1日何もしていない気がする」を解決するおすすめの方法
そんな毎日を過ごしていたら、1年もあっという間です。
私は、あっという間に、1日が過ぎ去ってしまって「1日何もしていない気がする」と思っていた時期がありました。
1年間私は何をしていたんだろう。
こんな時間の使い方でいいのだろうか。
そんなモヤモヤ毎日から脱却できたきっかけは、「書くこと」でした。
書いたからって何が変わるんだ。
書いたからって現実は変わらない。
書くなんて面倒なだけ。
私の知らないところで、彼女たちが身につけてきたものを知ること
どんなに仲の良い友達にも見せたことがない、見せられない私の姿がある。
それは、恋愛中の私の姿だ。好きな人といる私の姿は、どんなに仲の良い友達でも知らない。知ることはできない。そしてそれは逆も然りで、私も、どんなに仲の良い友達でも、彼女が好きな人と一緒にいるときにどんな様子なのか、どんな声のトーンで話すのか、どんな言葉を使うのか、どんな目を好きな人に向けるのかを、私は一生知ることはない。
恋愛と
「一人暮らしの自由」が揺らいできている
一人暮らしは、自由だ。一人暮らしの家、つまり城には、主の私しかいない。好きな時間に起きていいし、眠っていい。夜更かしだって手慣れたもんだ。好きなときに食べたいものを食べたっていい。それも好きなだけ食べていい。2食分と思って作った焼きそばだって、1夜で食べていい。夜中、目が覚めてお腹が空いていたらプリンを食べたっていい。お皿洗いを後回しにしていいし、畳んだ洗濯物がタンスに仕舞われていなくたっていい。
もっとみるモノに囲まれているというのは、ある種、安心感でもある
最近、周りの人が生活をコンパクトにしている。いらない洋服を処分したり、ずっと大切にとっておいた高校生のときの宝物を見直したり、溜め込んでいたスケジュール帳を思い切って捨てたりと、モノを少なくしている人がたくさんいる。そんな姿を見ると、「すげ~……」となんともリアルな感嘆の声しか出てこない。そして自分の部屋を見渡す。なかなかモノが多い。本は文庫本で100冊以上あるし、新書も50冊以上あって。大学生の
もっとみる友人のベストバイは、知識と経験だった
先日、2023年に買ってよかったもの、ベストバイについてnoteを書いた。
この話には続きがあって、このときに一緒にお茶をした友人のベストバイも書いておきたいのだ。
私が意気揚々と「ぶんぶんチョッパーが私のベストバイだよ!!」と鼻息むんむんと話し、ぶんぶんチョッパー売りつけおばさんと化した頃に友人が「あ!」と声を出した。
その声で我に返り、友人が我に返った私を見て言った。
「私のベストバイ
できるけどメンドクサイと、できるからメンドクサイ
ああ、めんどくさい。シンプルにnoteを書くのがめんどくさい。だって今日は1日中家にいたし、何か特筆すべきネタも気づきもないし、ただただ1日を終えてしまったし……あ、フォローしている方が何かnoteを更新したみたい。
(読んでみる)
えっ……面白い……とても面白い……。悔しい。なんでこんな文章が書けるんだろう……いいな……毎日noteでこのクオリティを毎回出せるってどんだけすごいんですか……。
命があること。当たり前にあること
会いたい人に会えなくなってから、人生本番、だと何かで読んだ。
その物語は確か、恋人がいなくなってからも生きていかなければならない、残された側が語り手になる話だった。会いたいのに、もう、会えない。どうしたって会えない。物理的にそばにいることは叶わないし、精神的にそばにいることも叶わない。
もらった思い出を、まるで体に蓄積された栄養のようにちょっとずつちょっとずつ嚙み砕くしない。貯金を切り崩すよう