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もしこの写真展の中で、1作品だけを購入するとしたら

写真展に行くのが好きだ。Instagramでふと流れてきた写真展の広告に惹かれて、そのまま導かれるようにふらっとギャラリーに行くことがよくある。そうして出会う写真の数々は、時に私の心に波風を巻き起こす。

撮影者が見た視線を、私も同じように辿る。撮影者が見た世界の中の、ほんの一部。ほんの一区画。ほんの1ミリ。だけど、不思議なことに写真を見ていると、私も同じようにその場にいさせてくれたかのような錯覚に陥ることがある。陥る写真がある。静止しているのに動きそうで、無臭なのに香ってきそうで、無音なのに騒がしいような。

泣きたくなるのはどうしてなんだろう。

本来であれば、私が金輪際見ることのなかった景色やモノがそこにある。たぶん、「見たい」とすらも思わなかった、それこそ無関心の領域にあったそれが、私の中にぐいっと入って来て、その姿を見せる。写真を見て初めて、「ああ、私はこれが見たかったのかもしれない」と思うことまである。


写真展に行ったら、私の中でこっそりしていることがあって。それは、「もしこの写真展の中で1作品だけを購入するとしたら、どれを買う?」だ。そうやって、買い手の目線で見てみるとまた違った見え方になる。1回目に見たときは「好きだ」と思った写真が、毎日見るとしたらこれじゃないかもな……音が騒がしすぎるかもな……に変わる。逆に、1回目に見たときはなんの印象もなかった何気ない写真が、毎日見るならこっちのほうが心が落ち着くかもしれないなと思ったりする。そうやって考えるときもあれば、写真を見ながら「これは玄関に置きたいな」と写真のほうから思わせてくれて、買うならこれだなと思うこともある。


先日行った写真展は、海や空、ブルーをメインとした写真を撮影するカメラマンさんの写真展だった。

私は、そこに展示されていた「積丹の海」という写真の前で20分ほど、ぼーっとしてしまった。

さざ波が聞こえて、「ケーッ」というトンビの鳴き声が聞こえて、隠していてた私の気持ちがばらばらと自分の中からこぼれていった。この写真展の中で私が買うとしたら、確実にこの写真だったと思う。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。