たなべ

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たなべ

株式会社声音でライターしてます | 頑張って毎日note更新中 | ポストカードを集めては部屋の壁に貼り付けてます | #バトンズの学校 1期生 | #企画メシ 2022 |お仕事は natsuho.tanabe@kowane.co.jp まで。

マガジン

  • 【ショートショート】自分の人生を棚に上げていた

    少し前、自分の人生がうまくいかないとき、他人の話を書いて自分の人生を一旦なかったことにしたいと思う時期がありました。そのときのショートショートを今、自分の人生をなんとなく見つめられるようになった私が公開します。 自分の人生を棚にあげて、人を羨んだり妬んだり、別の人生を創ったり。そういうことをする時期があってもいいと私は思うのです。

  • かく、つなぐ、めぐる。

    • 32本

    『かく、つなぐ、めぐる。』はライター・古賀史健さんが開講したbatons writing college (バトンズの学校)の1期生有志によるマガジンです。「書くこと」を通じて出会った仲間たちと、これからもつながっていける場をつくりたい。そして、古賀さんから受け取った大切なバトンを胸に、この先もみんなで書き続けたい。そんな思いから、私たちはこのマガジンを立ち上げました。毎月、2つのキーワードをもとに、11人の"走者"たちがバトンをつなぎます。記事の更新は3日に1度。書き手それぞれの個性的なエッセイをお楽しみください。

最近の記事

  • 固定された記事

私は無印良品の女の子になれなかった

1月末に東京に引っ越してきたとき、確固たる決め事を作っていた。 それは「家に関する全てを無印良品で揃えるぞ」というものだった。 家に関する全てとは、ベットやテーブルといった家具から、カーペット、ベットのシーツ、枕、カーテン、さらにはキッチン用品、整頓用のボックス、スポンジ、シャンプーの容器、歯ブラシ、扇風機、鍋、皿、カトラリー、そういう生活を作る全てのこと。 色は、白かグレーか、ベージュで揃える。森とか花とか、そういう植物の匂いを部屋からさせたい。"清潔さ”をこの部屋で

    • 散歩は好きじゃないけど、歩くのが好き

      知らない土地を歩くワクワクは、何に近いと言ったらいいんだろう。 私は、歩くのが好きだ(なんかめっちゃ変な宣言みたい)。そもそも地元がどこにでも駅があるようなところじゃなかったから、歩くのがいちばんの交通方法だった。小学校も、中学校も、高校も歩いて通っていた。大学時代の一人暮らしの家も、両親が家賃のことを考えて駅から20分のところに住んでいた。家賃は3万円。 そんかこともあってか、私の徒歩圏内はけっこう広い。 徒歩20分〜40分は全然OKだし、東京の5駅ぐらいもぜんぜん歩

      • 教える、教えてもらう。「教えたい」、「教えてほしい」。

        小学1年生のとき。算数の授業で、上級生に教えてもらう日があった。6年生が1年生の私たちの教室にやってきて、算数を教えてもらった。「1+1=2」の原理もわからなかったし、なぜ1つのものがもう1つあると2つになるのか、「3-2=1」と3つのものから2つを引くと1になるのか。そういう、四則演算のハイパー基礎的なところを6年生が1年生の私たちに教えてくれるのだ。 私に付き添ってくれた6年生は教え方がうまくて、なんなら私が書くのが苦手だった2や3の数字の書き方まで教えてくれた。「優し

        • 私は、チョコレートに救われる人生なのだ

          帰り道に思い悩むのは、よくない。その日言われたこととか、自分がした行動とか、思い返せば思い返すほど「ああ、あっちの対応すればよかったな」って思うし、「なんでそんなふうに言ってしまったんだろう」と思う。そのときにはそれが最善だと思って行動したはずなのに、思い返せばもっと最善の道があったような気がしてきて。それが思いつくのが、私の場合はいつも帰り道。電車の中で、改札に向かうまでのエスカレーターの上で、駅を出て帰路の信号を待っているときで、「あ!」と思うよりは、その日の1日の自分の

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        私は無印良品の女の子になれなかった

        マガジン

        • 【ショートショート】自分の人生を棚に上げていた
          16本
        • かく、つなぐ、めぐる。
          32本

        記事

          赤ちゃんのときは、そんなことなかったくせに

          「自分の心身を健康にすることに疲れた」 そんな文字を見たのは、どこでだったか。もしかしたらこの言葉に嫌悪感を抱く人もいるかもしれないし、不安に駆られる人もいるかもしれない手前、大きな声では言えないのだけど、私は「ああ、それ、わかる」と思った。 世間一般的には、あくまでも私が見ている世間一般的には「心身を健康にすること」は良しとされている。最良とされているシーンだってある。睡眠、食事、運動を含めた身体の健康だけじゃなくて、居心地が良い、気持ちが良い、健やかであることを心にも

          赤ちゃんのときは、そんなことなかったくせに

          私が、誰かと暮らすとしたら

          誰かと住むことを、ときどき想像する。 朝起きたとき、隣に誰かがいて。物理的距離はどのくらいだろうか。キングサイズのベットで一緒に寝てる? 隣同士のシングルベッド? それとも、部屋も別々? とりあえず起きて、「おはよう」と言葉を交わす。挨拶はしたいし、したほうがいいよね。一人暮らしの私は「おはよう」なんて言ったことないけど。午前中に誰かに会う予定があるときに「おはようございます」と言うと、「あ、久しぶりの『おはようございます』だったな」と思ったりする。私はいつも「おはよう」と

          私が、誰かと暮らすとしたら

          日曜から月曜になる夜が眠れなくなって3年が経つ

          夜だけが許してくれることって、きっとある。夜だけが味方してくれることだって、きっとある。人生には何度かそういう夜が、きっとある。 日曜から月曜になる夜が眠れなくなって3年ほどが経った。最初は、ほんと小さな不調だった。気のせいだと言えばそれで済むような問題、のはずだった。「これを聞けば3分で寝落ち!」と書かれた3時間以上あるヒーリングミュージックを流してみたり、眠る前にホットミルクを飲んでみたり、3時間前にはスマホを触らないようにしてみたり、巷で言われるワザはどれも試してみた

          日曜から月曜になる夜が眠れなくなって3年が経つ

          【メモ的レポート】利き茶のイベント「闘茶会」に参加してきた

          とっくに気づかれている世界の真理だって、自分自身の体験として腹落ちしなければ、それは「私にとっての真理」にならない。つまり、世界の真理=私の真理、とは必ずしもなるわけではないということだ。 そんな真理に今日、一歩近づいた。やっぱり「誘いにのって外に出ると、世界は広がる」というのは本当らしい。 6月から通っているツドイの編集学校のメンバーと一緒に「闘茶会」というのに参加してきた。 闘茶(とうちゃ)というのは、簡単にいうと利き茶のことで、出されたお茶を飲んで何かをあてるとい

          【メモ的レポート】利き茶のイベント「闘茶会」に参加してきた

          夏の至高は、夕寝にこそあり

          夏の至高は、夕方17時ぐらいからする昼寝にある。暑さが少しだけ柔らかくなって、とはいえまだ暑いから冷房をうすーくつけてサーキュレーターを回す。ちょっとだけ窓をあけて、わざと生暖かい風をいれてカーテンを揺らす。外は昼間のようにピーカン晴れではなく、とろりと、こちらも柔らかそうな夕空が広がる。水色にちょっとだけピンクが混ざりつつある、そんな空。 それらを見ながら、ごろんとカーペットにそのまま寝転がる。ここで大事なのはたっぷり寝ようとベッドに寝転がらないこと。あくまで昼寝...…

          夏の至高は、夕寝にこそあり

          自分はまだまだ子供だと思う瞬間

          私がまだまだ自分をお子様だと思うことには、いくつか理由がある。たとえば、隙あらば夜更かしと寝坊をしたくなることとか、唐揚げにハンバーグ、エビフライとお子様ランチの王道メニューが大好きなこととか、未だに「もういくつ寝ると誕生日かしら~♪」と思っていることとか。先日、久しぶりにタピオカを飲みに行ったときに友人たちが揃って「甘さは控えめで」「シュガーレスで」と言っていたところ、私だけが「甘さ100%で!」と元気良く答えてしまったこととか。 なんか、いろんなことでまだまだだなと思っ

          自分はまだまだ子供だと思う瞬間

          もっとうまくできたらいいのに、と思う

          もっとうまくできたらいいのに、と思う。願う。 休日は早めに起きて、カフェにいるかのような朝食を作る。ほっそい口のコーヒーポットから、細く細くお湯を注いでぽたぽたと凝縮された1摘の香りを嗅ぐ。一緒に並ぶのは、いちごとブルーベリーと、たっぷりのはちみつがかかったフレンチトースト。もしくは、桃とカッテージチーズのオリーブオイル掛け、もしくは、バナナとマンゴーがのったアサイヨーグルトでもいい。それらはすべて、木の器にのっている。食べるためのカトラリーも木製がいいな。いつものようにハ

          もっとうまくできたらいいのに、と思う

          横になると、考えてしまうこと

          昼間、重力に逆らうようにぼーっと横になっていると、思ったよりも余計なことを考えてしまう。喫緊ではないものの「これからの自分」について、マッチングアプリで会うことになっている人とのこと、しなければいけないのに面倒で後回しにしている手続き、賞味期限が切れそうな卵の残りの使い道、週末に連絡がきていた仕事の返事、ほんとうは欲しい洋服のこと...…そういうとりとめもなさそうで、だけどとりとめたいことが頭にぽぽんと浮かんで、パッと消えたかと思えば、別のことがぽぽんと浮かぶ。 横になると

          横になると、考えてしまうこと

          習慣なのか? 辞めどきがわからなくなっているだけなのか?

          たまに思う。これは習慣なのか、辞めどきを見失っているかのどちらなのだろうと。両者の線引きはかなり曖昧で、自分の認識次第でどっちにもなることができる。 例えば、この毎日続けているnote。これは時と場合によって、「私にとっての習慣だ! 向こう数年は続けていくぞ!」と思うこともあるけれど、弱気になっているときは「習慣というよりももはや、辞めたいのかどうかすらもわからない」と思うことだって正直ある。最近、ずっと応援していた、私と同じように日々の文章を書く人が、書籍の発売を告知した

          習慣なのか? 辞めどきがわからなくなっているだけなのか?

          自分の心地良さを優先させようとするとき

          自分の心地良さを優先させようとするとき、誰かを蔑ろにしたり、傷つけてしまったりする可能性があることに気がつけるようになったのは、大人になった証拠だと思う。全部が、私にまつわるいろんなことが、絡まって混ざって複雑な編み目の布として、今の私を覆っている。その布は、今の私が寒いときに暖めてくれたことも確かだし、疲れているときに包まって安心させてくれたこともまた確かで。 だから、簡単に「もっと心地よくなりたいから、この1本の繊維を抜きたいんですけど!」といってもそれはなかなかに難し

          自分の心地良さを優先させようとするとき

          私は、高くて硬めの枕希望

          私は、枕が高くて硬いほうが良い。 まさか、自分が枕にこだわる日が来るなんて思ってもみなかった。だって、小学生の頃はどこでも眠れる子だったし、むしろ枕がないほうがよく眠れる! とまで思っていたことだってあった。 ……ちなみに、「枕がないほうが寝れる」「枕なしで良い」というのは、人生で誰もが1回は通る道なのではないかと思っているのは私だけかな。 私が、高くて硬い枕が自分はいいんだと気がついたのは、大学生のときのこと。 大学生の私は、一人暮らしのベッドに何かアクセントがほし

          私は、高くて硬めの枕希望

          止まった時間と動く時間が、同時に存在する実家

          お盆休みということで、実家に帰ってきた。最寄り駅に到着して、お父さんが迎えに来てくれた。そして実家に入った瞬間、なんかいろんなものがほわ~っとほどけで離散していくような気がした。普段であればそれを持っているとも認識しないし、重いともなんとも思わないのにな。実家というのは、何も持っていなかったときの自分であった場所で、自分が生まれた場所で、0の身軽さを知っている場所だからかな。気持ち的にも、身体的にも、一気に全部が手放されていく。実家マジック。 ただ、0の状態とはいえ、きちん

          止まった時間と動く時間が、同時に存在する実家