大事にしたいものがたくさんあったていい
人生には、大事にしたいものが多すぎる。まずは自分でしょ。自分の命、自分の体、自分の気持ち、そして自分の好きなもの。それから、周りの人。親友、友人、仕事で関わる人。そんでもって家族。両親におばあちゃんに、姉弟。人間関係のアレコレは、大事にしたい。ああ、だけどそれだけじゃない。睡眠時間とか、食欲、物欲、好きだと思う気持ち、音楽、知識、思い出、座右の銘、私を救ってくれた言葉、カーテンの隙間から吹く風、二度寝後のタラタラと溶けそうな微睡、百貨店に入ってスッと冷たくなったときの気持ち良さ、無形だけどあってほしいし、大事にしたいものがある。加えて、有形の大事にしたいものだってある。これまでにたくさん集めたポストカード、本、CDの類、テレビ、パソコン、スマホ、写真、それからお金だって大事したい。
よく、音楽の歌詞にはこんな一言が出てくる、「大事にできるのは両手に収まる分だけ」。よく、自己啓発本にはこんな一言が出てくる、「本当に大事なものは少しだけでいい」。よく、学校の先生はこんなことを言う、「優先順位を決めて、大事にしましょうね」と。
だけど、それは本当にそうだろうか?
両手から溢れかえっても、無理をしてでも、全部を一番にして、同じくらいたくさんのものを大事にする方法を、どうして誰も考えてくれないんだろうか? 教えてくれないんだろうか?
ちょっと前にこんな一言を、何かで見た。
そうだな、と思う。大事なものが多すぎて、一つひとつを大切にできないから、「優先順位」なんて都合の良い言葉を教えられて、「ときには諦めることも大事だよ」なんて言葉すらも刷り込まれる。
だけど本当は、全部をちゃんと大事にしたっていいし、無理矢理にでも全部を大事にしたいと思う私がいたっていい。
だってそうでもしないと、手のひらの大きな人だけが、バスケットボールを片手でヒョイと持ち上げられる人だけが、いっぱいのものを大事にできることになっちゃうじゃないの。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。