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できるけどメンドクサイと、できるからメンドクサイ

ああ、めんどくさい。シンプルにnoteを書くのがめんどくさい。だって今日は1日中家にいたし、何か特筆すべきネタも気づきもないし、ただただ1日を終えてしまったし……あ、フォローしている方が何かnoteを更新したみたい。

(読んでみる)

えっ……面白い……とても面白い……。悔しい。なんでこんな文章が書けるんだろう……いいな……毎日noteでこのクオリティを毎回出せるってどんだけすごいんですか……。羨ましいな。……いやいやダメダメ。気弱になったらnoteに負ける。クオリティはいったんおいておいて、継続継続。私が大切にしているのは継続。


これは、毎日noteをしていると何度も直面する気持ちの巡り方の1つだ。

めんどうだなと思った日に限って、たまたま読んだnoteに嫉妬心をメラメラ燃やしてしまう。いいな、なんでこんなに面白いんだろう。

ただ、嫉妬したとて、その日の私のnoteが書けるようになるわけではないということもわかってきた。そろそろ毎日noteを続けて2年になりそうなのだけれど、そういうこともわかってきた。

毎日noteは、めんどくさいと嫉妬と、書けないの繰り返しだ。それをぐるぐるぐるぐるして、格別なことがない毎日をただただ見つめて、咀嚼して、それを文字にする。そんな自分に気がつくと、自分のしっぽを追いかける犬の姿が思い浮かぶ。たぶん、今の私ってそんな感じに近いんだろうな。

もちろん惰性をまぶして揚げたようなnoteがあったかもしれないけれど、それでも書かない日がなくてよかったなとも思う。

昔何かのテレビ番組で「できないとできるの間には、“ できるけどめんどくさい ”が無数にある」という話をしていた。それはまさしくで、毎日noteはその最たる例だ。できないわけでもないし、できるわけでもない。できるけど、めんどくさい。

いやむしろ、できるからめんどくさいとも言えるかもしれない。クオリティや面白さみたいなものを追求してしまって、自分で納得できなくなるといった具合に。

でも、それがうまくできない日があってもいい。今日はそんな日だから。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。