私の知らないところで、彼女たちが身につけてきたものを知ること
どんなに仲の良い友達にも見せたことがない、見せられない私の姿がある。
それは、恋愛中の私の姿だ。好きな人といる私の姿は、どんなに仲の良い友達でも知らない。知ることはできない。そしてそれは逆も然りで、私も、どんなに仲の良い友達でも、彼女が好きな人と一緒にいるときにどんな様子なのか、どんな声のトーンで話すのか、どんな言葉を使うのか、どんな目を好きな人に向けるのかを、私は一生知ることはない。
恋愛と友情。その2つはよく同じ土俵に勝手にのせられてしまうけれど、そもそも次元が違うのだと私は思う。友情は、どんなに形を変えたとしても友情が終点にある。だけど、恋愛は家族になる可能性を秘めている。一方で、一生縁が切れてしまう可能性だってある。いや、それは友情も同じか。
どちらが上とか、どちらが下とか、じゃなくて対等だとか、そんなのはリンゴとトマトみたいなものだ。赤いし、丸いし、つやつやしているけれど、本質的に違うものなのだ。
どんなに仲の良い友達だとしても、私たちは恋愛しているときのお互いの様子を本当に知ることはない。
でもだからこそ、彼女たちから聞く、「恋愛で大切にしていること」「しないように気をつけていること」を聞くのが私は好きだ。
ある人は、「期待しないこと」と言った。家族になる可能性を秘めていたとしても、詰まるところ、好きな人とは他人からスタートしている。どれだけ長い時間一緒にいたとしても、どれだけ言葉を重ねたとしても、「私たちは他人なのだ」と。最終的にはわかりあえないし、わかりきることもできない、とその人は言った。
またある人は、「一人の時間を楽しむこと」と言った。相手のことは好きだし、大切だし、一緒にいたいと思うけど、寄りかかりすぎないように、自分一人の時間を楽しむ趣味や好きなことを持っているとのこと。ライブ、読書、映画、編み物、散歩……なんでもいいから、一人でできて、自分を満足させられる何かを、常に持っているのだと、ある人は言った。
いいな。すごくいいな。
私が見ることはできない、私が知ることはできない中で、彼女たちが彼女たちだけのルールを持っている。それを教えてもらえることが、すごく好きだ。
”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。