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【UPDATE】名字変更(自己紹介9)

皆様、こんばんは!
埼玉県越谷市でがやてっく株式会社という小さな会社を経営している小栗義樹と申します!

本日は僕の自己紹介記事「ちょうどいいハンデだ」のUPDATEをします。

本日アップデートする元ネタはコチラです。

アップデート記事とは何かというと、
・当時書いた本文(下線部分内)を少しだけ修正・加筆する。
・冒頭の挨拶文(これ)を完全リニューアルする。
・文末は有料パート。過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを加筆、思い出した新たなエピソードを追加します。

有料部分はかなり尖った話をします。その話の先に、皆様の日ごろの生活に役立つ何かがあればいいなぁと思っております。

今日は、かなり本編をいじっています。筋は変わっていないのですが、ちょっと断片的すぎるので書き方を変えてみました。

小学5年生になった僕の環境の変化を書いた記事になっています。

アップデートとして、無料枠に哲学が身近になった話。有料枠では、離婚に時間がかかった話をしますので、よければ最後まで読んでみてください。

それではいきます。

この記事は、
2023年1月6日に投稿した、僕の9本目の自己紹介記事です。


小学4年生は僕にとって失敗の1年でした。僕へのいじめよりも、それで被害を被ってしまった人たちに対して、申し訳ないという強く残りました。

そんな僕は、原因を考えました。

小学4年生なんて、まだまだ何も分かっていません。あれこれ考えてたどり着いた解答は

「友達を作らない」

でした(笑)

今思い返すと本当に意味が分かりません(笑)

気持ち的に、相当堪えていたんだと思います。いじめを受けないようにするための結論が友達を作らないなんてむちゃくちゃです(笑)

でも当時は、それが一番の解決策だと信じて疑わなかったんです。

僕が通っていた小学校は、「クラス替え」が毎年行われます。

マンモス校だからですかね?学年が上がるごとにクラスが解体されて、新しい生徒と新たなクラスを形成する事になるのです。

4年4組という地獄のクラスが終わり、僕は5年1組に配属されることになりました。4年4組は学級崩壊寸前だったと前の記事で書きました。そのため、5年次にはきれいに生徒がバラバラにされたのでしょう。

5年1組には、4年4組の生徒がほとんどいませんでした。

クラス替えの恩恵はまだ続きます。この5年1組には、今までの小学校生活で僕と仲良くしてくれた友人も全然いませんでした。

今考えれば寂しい話です。

でも当時の僕は、

これで平和に独りで過ごせる。

なんて思っていました。

それくらい独りになりたかったのでしょう。この頃からちょっと中二病っぽい雰囲気も入っていたかもしれません(笑)

ただ、現実はそんなに甘くないです。

そう。

この5年1組は、寸前どころか学級崩壊でした。

僕はこのクラスで、今までのいじめとは違う、非常に陰湿ないじめを受けることになり、なんなら担任の先生ともバトルを繰り広げる事になります(笑)

学校もめちゃくちゃ大変だったのですが、プライベートでも大きな変化がありました。名字の変更です。僕は5年生になるタイミングで、松澤という名字から小栗という母方の名字を名乗るようになります。父と母の離婚話がまとまったのは4年生の終盤でした。多分、偽装ラブレター事件の後くらいだったと思います。

5年生で名字が変わったのは単純にキリがよかったから。だったと思います。4年生の途中で変更する理由もないですからね。

当時の僕は、名字が変わる事をそんなに大事だと思っていませんでした。結構甘く見積もっていたと思います。

現代では、名字が変わることってそんなに珍しくないですよね。一般的になったことで、受け入れる側もかなり容認できるようになっているなぁと感じます。

僕が初めて小栗を名乗った19年前は、残念ながら名字の変更は斬新だったようです(笑)

クラスの人たちからは、めちゃくちゃこそこそ言われました。当時の僕が神経質になりすぎていて、そう聞こえていただけの可能性も捨てきれませんが「お父さんいないんだって」という声がひそひそ聞こえてくるのです。

僕は完全にふさぎ込んでいました。話題に出すのは止めてほしい。静かに暮らしたい。もう関わりたくない。そんな事を思っていたと思います。

4年生の時のトラウマと、自分の立ち回りの下手さに打ちひしがれていた時でした。そこへきて名字の変更によるひそひそ話。完全にキャパオーバーだったと思います。

5年生になったばかりの僕は、出来るだけ人と話をしないよう、ずっと1人で考え事をしていました。陰口を聞かないように、いじめにあわないように、とにかく外界からシャットアウトしていたわけです。

幸い、考えるべきことは沢山ありました。中でも最大の話題は父です。

「義樹君、こんにちは」

最初の言葉はこんな感じでした。この記事で初めての、まともで普通の言葉ですね(笑)

僕にこう言った男性は、当時母が働いていた接骨院の先生でした。

そんな男性が、いきなり祖父母の家に遊びに来たのです。

この時の僕の心境を正直にお話しすると

「離婚成立したばっかなのに早くね?(笑)」です(笑)

小学5年生です。まだまだ子供といえど、さすがに恋愛的なそれだということくらい分かります(笑)

この時、僕と母の間にはかなり温度差があったと思います。母の方が、これまでの人生ではなく、これからの人生を考えるのが早かった。それに対して僕は、そんなに前向きな気分になれていません。学校では、名字が変わった事についてヒソヒソ言われているわけで、離婚して名字が変わったことをより身近に感じています。はい、次ね~なんてテンションになれるほど大人ではないですし、離婚の全貌も把握できていない。次の展開についていけるほど落ち着いた環境に自分はいなかったわけです。

原因は、自分の見積もりが甘かったせいで勝手に傷ついてるだけなんですけどね。それでも、9歳の頃から感じている自分の家の環境が同級生と違うという強烈な劣等感を都度都度ぶり返すようなその行為には結構やられていました。

小学5年生は孤独でした。家族で言えば、母とは温度差があります。2つ下の妹と7つ下の弟は、家に現れたこの男性に対する順応が早かった。弟は分かりますが、妹は生みの父、つまり松澤時代の事をほとんど覚えていないみたいです。後で聞いて衝撃でした。結構ハードな出来事だったと思うのですが(笑)

もともと楽観的な性格でしたし、まだ小さかったこともあって、そこまで記憶に刻まれずに済んだのかもしれません。もしかしたら、辛すぎて自動的に記憶を抹消したのかも。そう考えると妹はラッキーですね(笑)

僕は、この男性の登場に対して少しだけ罪悪感めいたものを抱いていました。父の事を忘れて、家族になっていいものだろうか?そんな事を考えていました。

母に対しても初めて不信感を抱きました。

そんな簡単に人って変われるんだ?みたいな感情を持っていたと思います。僕は、小3の頃家で見た、母に抱きつく父の孤独な背中を思い出していました。

この後、この男性が家に来る頻度が上がります。その間に旅行に行ったり・ご飯を食べにいったりしました。

そうした遊びの期間を経て、この男性は僕達家族のために家を借りて、一緒に住み始めます。これが5年生の終わりごろ。気づいたら同棲していました(笑)

「新しい家で、一緒に住んでもいい?」
母にこう言われた時、僕は「うん」と答えました。この時の「うん」には若干あきらめのニュアンスも入っていたと思います。

僕は「ここで僕が駄々をこねて、何か大きな変化があるのか?」と思っていました。なんか、すごーく冷めた小学生だったんですよね(笑)

ただ不思議なことに、家族の前では割と明るく振舞っていました。学校ではボーっと考え事をしていたのですが、家族の前では割と能天気な感じで振る舞えていたんです。

僕は、大人になるってこんな感じかなぁと思っていました(笑)

つまらない、ませた、嫌な、そんな3拍子が揃ったタイプのガキだったわけです(笑)

ちなみに、中学3年生の時にも名字が小栗から橘に変わります(笑)

ここについては後ほど話しますね(笑)

話を戻します。

僕は、名字が変わった事による周囲の反応・新たな登場人物・陰口・家族との温度差について毎日毎日考えていました。

家族とは何か?とか、自分はどんな人間なのか?とか、劣等感を抱かずに済む方法は?とか、なんとなく哲学チックな問答を小学生の足りない頭で考えます。当然、足りない頭なので答えはでません(笑)

周囲からは辛気臭い奴だなぁという印象を持たれていたんじゃないかと思っています。実際に陰気な感じでしたからね。

そうそう、5年生になってからもう1つ新たな違和感を覚えました。初めて明確に女子から嫌悪感をあらわにされるようになったのです。まぁ、今思えば当然ですね。当時の僕には「劣等感を抱かないようにするためには何をすればいいか考えている」なんて説明するスキルはありませんでした。

傍から見れば悲劇ムーブ全開の男の子です。体系も生活も、非モテまっしぐらでした。

周囲の人間は、僕の事を名字の変わった暗い奴だと思っていたことでしょう。

触れていい場所が分からないと、周囲は気を遣います。

その気を遣うというストレスが嫌悪感となって僕に還ってきているわけです。

まさに悪循環ですね(笑)

これが5年生の1学期。

前回の記事と比べると、アクションが薄いので一見地味に見えるのですが、ある意味一番辛かったかもしれません。経験するすべてが新しいものでした。

だがしかし!

僕はここから変わります。

「お前には何も期待していない」こんな心にもない発言をしてきた担任に対し徹底対抗するのです(笑)

僕をあざ笑うような生徒全員にも大きな声で謝罪をさせます。

5年生の2学期・3学期は激しい傷を負いながらも僕と僕の環境をバカにしたすべての者に、自分の力・存在を示すためありとあらゆる手を尽くし反逆していきます。

ここから、暴君義樹君が発動します(笑)


はい、ありがとうございました。

この次の記事で、担任との戦いが始まります(笑)
ワクワクですね(笑)
僕自身、振り返るのが楽しみです!

僕はこの頃、家族とは何か?という答えが変化する問いに挑み続けていました。答えが変化する。ある側面では定義が可能でも、時代が流れて価値観が変わると、その定義自体が無効になってしまう。

哲学とはそういう問答に挑み続けること。つまり、考えるという事ですね。

僕、偶然にもこうした問答を考えるきっかけを得たことで、考える癖がつくようになりました。これは、その後の人生にものすごく役立っています。

答えがでる問題ではなく、答えがなかったり・変化したりする問いに挑むという事を、小学生のうちに経験できたことが、僕に沢山の言葉と良い習慣をプレゼントしてくれたのです。

今、独立して仕事をしているのも、バンド活動が充実しているのも、小説を書きたいと思えるのも、こうした哲学めいた問いに挑んだ経験が活きているからだと思います。

小学生のうちに体験しておくと、後々かなり有意義な人生が待っているのではないでしょうか?

こうした問いを周囲の大人が提示することで、その子の人生が変わっていくのなら、問題を出すだけで有意義なものになるのなら、それはとても素晴らしい事ではないでしょうか?

ぜひ、テーゼを1つぶつけてみてください。そして、ぶつけられた側の人間は、逃げずに答えを探しに行ってみてください。

その後待っている大きな壁さえも、その経験が打ち壊してくれることになりますから。

さぁ、続きは有料パートにしますかね(笑)

今回は、離婚に時間がかかったという話をします。僕の両親の離婚は、かなり特殊で難航だったと思います。母がどうやって難題を切り抜けたのか? そのエピソードを語ります。

夫婦仲をよくしたい、あるいは、離婚を検討している。そんな方に読んでもらえたら嬉しいです。

それでは、有料パートを始めます。

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