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経団連とは経営者同士で肥え太らす団体の略なのか?

権力構造の甚だしい勘違いが増えている。ヘッダ画像をお借りしています。

経団連と連合の話し合いがあったが、労働者の残業上限を声高に訴えた連合に対し、経営者のみで結成された経団連は絶対にその規制は許さんと反対した。つまり人間とは企業ごときのためにいくら使い潰してもいいという権力構造が見て取れる。

そこまでして人間を会社に置いたまま自分(てめえ)は高級料理屋で買った雌とまぐわいあわなければならない理由とは何か。コンペで期日勝負に勝つためですね。

営業が職の務をとってくる。どうして取ってこれるのか?他企業が提示した条件の中で、よりよい提案をするからだ。他の企業が到底無理なクソ速い納期を提示し、それならてめえらに任せるわとお客様根性丸出しの元請けが言う。

本来職的な務をアウトソーシングしている時点で、自分には金払う力はあるが能力不足であることを露呈しているにすぎないので、下請けにクソ偉そうな態度を取るという行為がまず間違っているのだが、その能力不足であるがゆえに気づかないらしい。ぼくらのずっと上の世代が何を勘違いしたのか(およそ能力不足だったのだろう)、下請けには奴隷商人のような態度を取っていいというような常識が定着し、それが脈々と受け継がれている。

よくわからん料亭みたいなとこで遊女をあてがわれながらごまをすられたのだろう。ここでも権力構造の勘違いが生まれている。接待して新しい職務を寄越せという。別にそんなの口で言えばいいじゃないっすか。新しい仕的な事はないですか、と。うちの会社困ってんすよね、と。

それがなんだか知らないがとにかく相手にへこへこして(童貞の交尾か?)へりくだり、自販機の釣りをあさるように会社のために尽くす。なぜ仕事という単語は「仕える事」などというこの勘違いを加速させるような字の成り立ちをしているのだろう?

ダイバーシティとかバリアフリーとかは少しずつ定着しつつあるのに、企業風土、文化にそれが定着しないのはそのような思想で脳が茹だってしまった連中が下の連中を指導し続ける慣例が続いた結果、指導を受けた下の連中も上世代のカスと同じ行動を取る(下っ端は罵倒する、いくらでも過重労働させる、自分がされたことだからしてもいい、それが企業の方法を覚える最速の方法であり、俺は企業に貢献していると手を揉む)のが一番楽なフレームワークであると間違った成功体験としてその二束三文のDNAに刻み込まれたからです。

企業ごときのためにそれをいくらさせてもOK、こっちは金払ってやってると開き直っているのが経営者たちであり、この経営者だけの集まりを守るために存在する、決して経済のために存在するのではない連中のような勘違い行動はAppleのクソCMからも垣間見える。なんだか知らないが自分が権力構造のトップに位置すると勘違いすると、このような行動に即移ることになる。明日はそれについて。

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