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父の日ライブハウス

 昨日、知り合いの女性シンガーソングライターの活動4周年記念と言う事で、都内にある〝ライブハウス〟へと足を運んだ。こう言うと、おそらく多くの方たちはこう思うだろう。

「〝ライブハウス〟って、本当に大丈夫なの・・・?」

 実際、僕自身もこの事を家族に伝え〝ライブハウス〟に行く事に対し、家族から良い返事を最初は貰えなかった。しかもこの日が〝父の日〟だったので、僕は家族の身の安全を選択するか、新型コロナとの戦いに挑むかの二者択一の究極の選択を迫られたのだ。

 それは冗談だが、〝ライブハウス〟に対するイメージが、今回の新型コロナにより、とても危険な場所と言うイメージを報道などのニュースを通して持った事は間違いない。

 僕は最初、今回のライブのお誘いを受けた時、かなり楽観的に考えていた。それは大阪の〝ライブハウス〟の件もあり、ライブを行う〝ライブハウス〟も徹底した対策を講じているんだろうなと、そう思ったからだった。

 また僕がお誘いを受けた、その女性シンガーソングラーターのプレイスタイルは、いわゆるバンドなどと言った大音量の立ち見席で、3密(密閉・密集・密接)と言うものには当たらないものだったからだ。

 それでも最初に話を受けた時、その〝ライブハウス〟が六月末で閉店と聴いた時には、〝ライブハウス〟は危険と言う疑念が日本国内に定着しており、軒並みライブの中止が続いていた。

 そして今回、僕が行った〝ライブハウス〟はと言うと、一階でレストラン風のグランドピアノの置いてある、食事をしながら音楽や歌を楽しむと言うスタイルの〝ライブハウス〟であった。〝ライブハウス〟と一言に言っても、色々な形の〝ライブハウス〟が存在し、一概に〝ライブハウス〟は危険とは言えないのではないかと、そんな印象を僕は受けて来たのだ。

 僕から言わせれば、よっぽど都心の電車通勤の方が3密(密閉・密集・密接)じゃないかと感じるくらい。それに昨日は休日と言う事もあり、この日は都心の電車も混んでなく、僕はその女性シンガーソングライターの活動4周年記念ライブを夕方から夜に掛けて楽しむ事が出来た。

 このご時世なので、その方の活動4周年記念ライブも延期されて居たのだが、ようやく開催の目処がつき、今回は参加者を半分近くに止めて開催となった。その為、有料オンライン配信も同時に行われ、自宅でもライブを鑑賞する事が出来ると言う新たな試みもあったりした。しかし僕はやはり藝術の世界は、絵や音楽に関しては出来れば直接触れたいと思っている。

 カメラやスクリーンと言った間接的なものに頼らず、本物(ライブ)を自分の目や耳、そして身体で感じ取りたいからだ。僕自身も藝術活動(執筆・絵・音楽)をしているが、アナログで創り出されるものに関しては、僕もアナログ的に感じ取りたいと言う思いがある。

 カメラやスクリーンを通すと、僕の〝観たい・聴きたい・感じ取りたい〟と言う僕自身の視点が無くなり、カメラやスクリーンが映し出す一方的な情報に頼るしかないからだ。僕の視点とカメラやスクリーンが映し出す視点は当然違う。また、どうしてもオンラインだとタイムラグが生じてしまい、映像と音のズレ、そしてライブ会場の雰囲気などの身体的な一体感やその時の身体に感じる体感や感情が映像だと受け取る事が出来ないからである。

 僕がこの事に拘るのは、おそらく元々が心理カウンセラーやメンタルコーチであると言うのが大きいと思う。心理カウンセラーやメンタルコーチも藝術と同様に五感覚(視覚・聴覚・身体感覚・味覚・嗅覚)をすごく大切にする。また少なくとも僕は大切にしている。藝術やスポーツ、そして心理カウンセリングやメンタルコーチングと言うのはとても親和性が高いと僕は思っている。だから共通する部分もかなりある。

 そう思いながら今回、〝ライブハウス〟での女性シンガーソングライターの活動4周年記念ライブを堪能して来ました。そして、やっぱり藝術は本物(ライブ)に触れないと、そのプレイヤーの技量はわからないですかね。そうそう、気になっていた〝ライブハウス〟の閉店ですが、新型コロナによる影響ではなく、建物の建て替えによる理由との事で安心しました。

 僕が初めて、その女性シンガーソングライターのピアノ演奏と歌を聴かせて頂いた時、その時にお渡し出来なかった花束を今回、お渡し出来ました。今後もご活躍する事を祈りつつ、僕も藝術活動を頑張って行きたいと思っております。

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