マガジンのカバー画像

雑記やエッセイ

68
日々暮らしの中で感じたことを書いています。完全に個人的な日記だったりメモだったり。個人の感想に近いです。
運営しているクリエイター

#この街がすき

アメリカ、遠い夏の日の記憶

アメリカ、遠い夏の日の記憶

13歳の夏、アメリカへホームステイに行く数ヶ月前に、私はホストファミリー宛に手紙を書いた。

もう20年以上前の出来事だ。

「私はレオナルドディカプリオが好きです。タイタニックも好きですが、ボーイズ・ライフという映画が特に好きです。ロバートデニーロもいいですね。牛乳は大嫌いです。夏に会うのを楽しみにしています。」

学校から、好きなものと嫌いなものをあらかじめ書いておくといいと、言われていたので

もっとみる
20代の最後にロンドンに飛び立ったときのこと

20代の最後にロンドンに飛び立ったときのこと

今から6年前、残り数ヶ月で30歳になろうとしていた29の私は、20代の最後をこのまま平凡に終わらせたくないという衝動に駆られて、一人でロンドンに飛び立った。といっても、大それたことではない。ただの一人旅である。

20代は色々迷走していた。大学を卒業してからすぐに洋服関係の仕事をしたけれど、物足りなくて1年でやめた。それからずっと都内でマーケティングやウェブ関係の仕事をしていたが、社会(というか会

もっとみる
ニューヨークのほろ苦い思い出

ニューヨークのほろ苦い思い出

2012年の秋。私は1人、上野駅で右往左往していた。
成田空港に向かう途中、数年ぶりに使うことになったスーツケースが、上野駅の改札を下りた瞬間に壊れたからだ。すぐさま兄に電話をし、大急ぎで来てもらった。壊れた原因はわからないが、多分靴と服を入れすぎたせいだ。
私は近くのヨドバシカメラで頑丈そうな新しいスーツケースを購入し、壊れた方の処分を兄に託して、大慌てで成田空港行きの電車に乗った。

こんな風

もっとみる
父と麻布十番の思い出

父と麻布十番の思い出

私の父は、58歳の時に上京して麻布十番に住んでいたことがある。

生まれ育った地方都市を58年間一度も離れたことがなかった父が、退職の2年前の3月に、東京支社への転勤の辞令が出されたのだ。

「本当に青天の霹靂だったよ。まさか俺が東京なんてさ。」

ずいぶんと興奮した声で、東京に住む私に電話でそう話していたことをよく覚えている。

父は昔から、私や兄が18歳から暮らす東京に遊びにくると、決まって家

もっとみる
渋谷とわたし

渋谷とわたし

上京したての18歳ぐらいの頃、私は渋谷から原宿のあたりをよく歩いた。
好きか嫌いか、と言われたら何とも言えないのだが、間違いなく多くの時間を過ごした街である。

私の渋谷での最初の思い出は、18歳の夏に、仲のいい男友達と「恋愛寫眞」という日本映画を見に行った時のことだ。

私は、たしか、ノースリーブのワンピースにコンバースのオールスターを履き、アンダーカバーのコットンのトートバッグを肩から下げてい

もっとみる
アメリカで過ごした13歳の自分へ

アメリカで過ごした13歳の自分へ

なぜあの時、いえなかったんだろう。
13歳の私は、アメリカから日本に帰る飛行機の中でひとり涙を濡らしていた。

私は、いつか国際ジャーナリストになって世界を飛び回り、またアメリカに来ると言い、隣にいた別の中学生の女子は、CAになると言った。実際には、私は日本で普通の会社員になって、もう1人の子は看護師になった。

今から遡ること22年前、13歳の夏に当時通っていた中学校にアメリカの短期留学プログラ

もっとみる
忘れられない日々を過ごした新宿三丁目

忘れられない日々を過ごした新宿三丁目

「あの頃はよかった」という時期というのは誰にでもあるのだろうか。わたしはそんな話になると、いつも20歳ぐらいの頃を思い出す。池袋で一人暮らしをしていた普通の、やる気のない学生だった時。2003年から2007年ぐらいの頃。

当時の私は、昼は大学、夜は新宿三丁目の居酒屋でバイトをしている毎日だった。通っていた女子大には、なじめる友人がいなかったのに、なぜかその居酒屋に集まってきた他校の大学生、フリー

もっとみる
ポートランドというワンダーランドと私の理想の暮らし方

ポートランドというワンダーランドと私の理想の暮らし方

今から3年ほど前、私が東京から今住んでいる地方に移住して2年ほど経った頃に、ポートランドをひとりで旅をした。
元々、ひとり旅自体は好きでよく海外を旅していた私が、その時に真っ先に行きたいと思ったのが、人生で2度目となるポートランドだった。

ポートランドはアメリカ西海岸、オレゴン州最大の都市だ。
中学生の時にホームステイをして、自分の価値観を覆された場所、つまり自分自身のルーツともいえる場所だ。「

もっとみる