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エッセイ

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essay #13 忘却

essay #13 忘却

忘れたくない、と思うことがある。
変わりたい、前に進みたい、と思うことも多々あるけれど、同じくらい、刻んでおきたい、無かったことにしたくない、と思うことの多い人生だ。

昔はひとからもらった愛を、忘れたくないと思っていたようだ。
思い出ボックスと呼ぶにふさわしい箱を持っていて、小学校の頃に友人からもらった手紙やプレゼントに入っていたカードなんかをぽんぽんと保管していたその箱は、今でも自室のクローゼ

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essay #12 美醜

essay #12 美醜

友人が日本で行われたミス・コンテストに出場し、「美」についてSNSで発信をしていた時期がある。
見た目の美しさだけを求めて比べる大会だと思っていたが、そうではなく、社会貢献を最終目標とする素晴らしい機会なのだと彼女は言っていた。

彼女が出場したのはミス・ワールド・ジャパンだったので、そのスローガンは「Beauty with a purpose」つまり「目的のある『美』」。
美しくあることが最大の

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essay #11 渡欧

essay #11 渡欧

初めてのヨーロッパ旅行で、シェフをしているいとこの兄に再会した。

まだ私が幼かった当時、祖母が生きていた頃は、実家には親族の行き来がそれなりにあった。

親族の中で一番歳下だった私の記憶は曖昧だけれど、毎年夏休みになると10歳ほど上のいとこの兄が2人で、あるいは叔父と一緒に遊びに来ていた。
既に叔母である母の姉と叔父とは離婚していたけれど、新たに叔母となった後妻も良くしてくれたし、子どもだった私

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essay #10 連絡

essay #10 連絡

友達の友達が死んだというメッセージへの返信を考えながら、想像よりも色が鮮やかで洒落てるな、と思ったオーバルな皿の上のロコモコ丼らしきものにスプーンを刺した。

喜ばしい仕事を終えたあとだったけれど、心地よい疲れというよりも、ざわざわとした緊張感があとになって響いていた。
人前に出る時、緊張することはほとんどない。目の前にいるのが1万人だろうと、その道のプロだろうと、あまり変わらない気がする。
それ

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essay #9 血液

essay #9 血液

咄嗟に119番を押した。
いちいちきゅう、だよな、と一瞬手が止まりそうになったけれど、何とかスマホの画面を押し込むようにして救急車を呼んだ。

上級救命講習を受けたのは既に5年前だったけれど、人が横になっているのを見て、あ、安全体位にしなければ、と思った。

まず救急車を呼んで、後輩がAEDを探した。

できることありますかと近づいてきてくれた人がいたので、発煙筒で他の車を誘導してくださいと伝えた

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essay #8 教会

essay #8 教会

私の幼稚園の隣はかなり大きなカトリック教会があって、幼い頃から食事の前後や帰る前にお祈りをするのがルーティンだった。
年間イベントや行事の中に混じって「復活祭」や「イースター」があったのは言うまでもない。
いわゆる童謡や童話と一緒に、聖歌を歌い聖書にまつわる絵本を読んだ。クリスマスミサでは、大聖堂でキリスト生誕の劇をやった。

日曜の10時はミサがあって、卒園してからも学校とは違う子どもたち同士の

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essay #7 敬遠

essay #7 敬遠

テレビを持っていないのであらすじは知らないけれど、ドラマ「いちばんすきな花」の夜々ちゃんの姿をショート動画で観て、泣きそうになった。

自分がどれくらいの見た目のランクなのかは、20年以上生きていればよくわかっているつもりだ。
あくまで一般人の範疇において、ある程度外見のアドバンテージを享受して生きてきた方だし、性別においてもどちらかというと、得する側の扱いを受けてきたように思うから、その点におい

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essay #6 結婚

essay #6 結婚

結婚したけれど、セレモニーや披露宴はしていない。

結婚する直前はもう少し夢見心地な感じがあった気もするけれど、最近はできる気がしない。

もしかしたら世界にはもっと違う形があるのかもしれないけれど、ひとつのイベントとしては大規模すぎるそれをプロデュースするエネルギーが、私にはまだ足りていない感じだ。

私はコロナ禍に入籍したので、両家顔合わせも出来ないままそれぞれの家族を夫と行き来していて、落ち

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essay #5 涙腺

essay #5 涙腺

一番泣きたい時に泣けないほうだ。

今すごく悲しいなとか、今すごく嬉しいな、と思った時ほど、出てきてほしい涙が出てこなくて、ただ心臓に来る重みみたいなものを、噛み締めている。

泣けば許されると思うなと言われて育ってきたからかもしれない。
リーダーが人前で泣くのは無しだよと先輩に言われたことがあるからかもしれない。
相手に気を遣わせる行為だから、技として使っていると思われたくないというのもあるかも

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essay #4 凡庸

essay #4 凡庸

人は人をカテゴライズすることで安心するけれど、自分のことをカテゴライズされるのは喜ばしくないものだ、と本に書いてあった。

多くの人が「30代男性、独身、サッカー好きなどとカテゴライズは出来るけど、そうはいっても自分には人と違うこんなところがある」と思いたいものだそうだ。

確かにそうだな、と納得した。

高校生の頃は自分が凄く醜く、碌でもない人間だと頭の片隅で常に考えていて、きっと自分はうまくい

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essay #3 友情

essay #3 友情

異性との友情は成立すると思っている派だ。
なぜなら、グラデーションで存在する感情に友情という概念をつくったのは人間である上に、人間は自分の選択によって人生の舵を切ることができるから。

つまり本人の意思次第じゃない?え?違う?みたいな感じだ。
男女の友情は成立しないと言っている人のしたり顔を見ていると、なに自分の意思ではどうしようもない大いなる力によって漏れなく恋しちゃうみたいなこと言っちゃってる

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essay #2 出自

essay #2 出自

気づいたら産まれていた。

産んで欲しいと思ったことはない。
女性に産んでほしいとも、母子家庭に産んでほしいとも、姉が欲しいとも思ったことはない。

気づいたら23区の、古い日本家屋で、祖母を含む女4人暮らしが始まっていた。

幼い頃から「育ててやっているのだからこの家では母親の言うことを聞きなさい」と言われてきた。

「従うのが嫌なら出ていきなさい」
「お前みたいな奴は役立たずだから野垂れ死ね」

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essay #1 エゴ

essay #1 エゴ

起きている事象に名前をつけたり、意味付けをしたり、自我を持たないものに意志を感じようとすることが日に日に嫌いになっていることを感じる。

緑が風にそよいだり、ふと見上げたら星が流れたり、波に乗って足下に貝殻が運ばれてきたりしたとき、私は「風も味方をしてくれているようだ」とか「星が私を待っていたみたいだ」とか「これはなにかの前兆だ」とか言いたくないのだ。

人間は言語を使ってものごとを考えることがで

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