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essay #6 結婚

結婚したけれど、セレモニーや披露宴はしていない。

結婚する直前はもう少し夢見心地な感じがあった気もするけれど、最近はできる気がしない。

もしかしたら世界にはもっと違う形があるのかもしれないけれど、ひとつのイベントとしては大規模すぎるそれをプロデュースするエネルギーが、私にはまだ足りていない感じだ。

私はコロナ禍に入籍したので、両家顔合わせも出来ないままそれぞれの家族を夫と行き来していて、落ち着いたタイミングで必ず両方の親を会わせようと思っていた。
夫の家族には本当に良くしてもらっていて、義姉とその夫、そして可愛い甥っ子や、夫の叔父叔母や従姉妹にも仲良くしてもらっているので、せっかくなら私の家族にもその姿を見てもらいたかった。
そんな思いもあり、コロナ禍が終わったら、両家顔合わせの枠を超えて、親族だけの慎ましやかな食事会を開こうと計画した。

そのとき私の心に引っかかったのが、姉だった。

私は大学入学と同時に家を出たけれど、母と大学2年生の終わりには和解して、話せるようになった。そこからまた少し時間はかかったけれど、6年後の今は、仲良く過ごせるようになっている。

でも姉はそうではない。
過去にいわゆる毒親だった母のことも、そしてそんな母と仲良くする私のことも、関わらない方が幸せだという選択をしているので、私も母もそれに逆らわず、疎遠なまま生活を続けている。

一度姉の結婚を機に距離が縮まったことがあったのだけれど、長くはうまくいかず、関係が良くないまま姉の結婚式を迎え、平然を装う姉からプレゼントを受け取る母が酷く苦しそうな顔をしていたことを今でも思い出す。

なぜこんなにも歪な家族なのに、結婚式では「普通の家族」を演じるのだろうかと、疑問を持たざるを得なかった。


そんな背景もあって、まずテキストで食事会のお知らせをして、私にとっては好きな姉だから、苦しいなら無理は言わないし、来たいと思えるなら来て欲しいと伝えた。
すると即答で出席の連絡が返ってきたが、「冠婚葬祭なので出席させていただきます」という趣旨の文章に違和感を感じて、電話で話した。

「今こういう関係だけど、私がお姉ちゃんにとって苦しいことを強いるようなコミュニケーションをとっていたなら謝りたい。ごめんね」
『はい』

「どういう気持ちでいる?」
『結婚式に家族を揃えたかったから、関わってみようと思ったけれど、関わらない方が幸せだなって気づいたので離れました』

「私の食事会には何で出席してくれるの?」
『親族の冠婚葬祭なので』

「できれば気持ちよく参加してもらいたいのだけど、どういう気持ちで来てくれるの?」
『何とも思わないし、どうでもいい』

「もし私達の関係性について昔のこととか今のことを聞かれたらどうする予定?」
『嘘ではない範囲でうまく喋ります』

よく覚えていないけれど、だいたいそんなような会話をした。

聞きたかったことは聞けたよ、ありがとう、と伝えて電話を切ったあと、尋常じゃないほど涙が出てきて、夫に「申し訳ないけれど食事会をやめたい」と泣きながら電話した。

入籍して、母とも義実家とも仲良く過ごす中でしばらく忘れていたけれど、私の家族はそんなに単純にできてはいなかった。(まあどの家族もそうだろうけど。)

私がやりたかったのは平和で仲良しな家族のふりをするセレモニーではないはずだった。なのに、危うくそんな歪な場所をつくってしまうところだったんだな。と思う。

例え世界中の誰からも祝われなくても、
ふたりで生きていこうと決めたのが結婚だった。
気づけば周りからの祝福みたいなものを、
必要以上に求めてしまっていた。
受け取れる愛情は、最低限で充分だ。
あなたがいればそれでよかった。

そんなことを、電話越しに頷いて聞いてくれる夫に伝えながら、食事はもとい、両家顔合わせに変更された。

1ヶ月後、夫の故郷に母がひとりで会いに来てくれて、夫の両親と5人で、3時間ほど食事をした。

誓いの言葉も、ケーキバイトも、セレクトしたBGMも、もちろんエンターテイメントも無かったけれど、充分に、満ち足りた気持ちになった。

今でも人生の全てを胸張って話すことはできない。
現在地を言語化するのもむずかしい。
友人の結婚式に出るとその眩しさに目が眩む。
例えセレモニー用にポジティブな面をかいつまんだストーリーだったとしても、それで充分に彼/彼女の人生が伝わってくるのは羨ましい。

けれども、私の生きてきた道が私を作っているし、そこで得られた喜びがあることは変わらない。

紆余曲折がまだ終わらないこの道を、
楽しそうに夫が横で歩いている。

いつかキラキラした笑顔でウェディングドレスを着て、ありがとうって伝えられるのかもしれないし、
そうじゃない方法を見つけるのかもしれないし、
今世はぜんぶ無理で、来世に期待するしかないかもしれない。

どうだろう。
今はまだ、結婚式も披露宴も、眩しすぎる。

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