下北沢の魔力・取り戻せたおもい
長いエスカレーターを昇り切って、「駅前の広場」に着いたとき、わたしは、久しぶりに、ほんとうに、久しぶりに、「下北沢に降り立った」という「実感」を持っている自分に、気がついた。
今年の五月に、街をまわるサーキットライブが行われたときに、わたしは、短い時間だったけれども、「下北沢」に、来ては、いたのだ。
だから、正確に云えば、「下北沢」に降り立ったのは、今年二回目、ということになる。
でも、前に来た時のわたしは、まだ、ちゃんと「覚醒」していなかったのかもしれない。
サーキットライブに来たときの「下北沢」の印象は、「とっても懐かしい」のだけれど、「街」は、すでに、再開発で生まれ変わっているから、もう、わたしとは、「縁が切れてしまったよう」に思えたのだった。
だから、わたしは、お目当てのライブを観たあとは、もう、どこかに立ち寄ろうなどとは考えられずに、まるでブーメランのように、「住んでいる町」に、速攻、帰ったのだった。
あのときは、「下北沢に来ている」ということの意味が、まだ、あまり、掴めていなかったように思う。
そう。「少し前のわたし」と「いまのわたし」とは、「感覚」が、ずいぶん、変わっているのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日、「下北沢」に降り立ったのは、昼の十一時。
いつの間にか秋になった空は、どこまでも高くて、「青」が眩しいくらいに、良いお天気だった。
二十年近く前に観ていたバンドの、お昼の「ワンマンライブ」を観るために、わたしは、かつてよく通った懐かしいライブハウスに、向おうと、していた。
このライブハウスを訪れるのも、もう、おそらくは、十四年ぶりだ。
雑踏を抜け、そのライブハウスまで、わたしは、なんとか、辿り着くことが出来た。
「下北沢」の再開発は、「街」を、でこぼこに変えている。
「変わってしまった一画」と、「なにも変わっていない一画」とが、混在していて、昔を知っているわたしには、よけいに、わかりにくい。
先に着いた人々が、開場まで、ライブハウス前の地上に、きれいに一列に列んでいた。
やっと、開場だ。
久々に、地下への急な階段を降りた。
入り口で、予約した名前を店員さんに告げ、チケット代金とドリンク代金を支払ったら、もう、二十年近く前の「記憶」が、鮮やかに甦って来て、じんわりと、わたしのこころを、包み込んで来た。
なんにも変わっていないフロア。
そして、バーカウンターや照明、そして、音響設備。全く同じだった。
トイレだけが、少し、改装されていたかも、しれない。きれいになっていた。
わたしのこころは、最後に訪れた二〇〇九年さえも、軽く飛び越えて、二十年も前に、戻っていった。
その場所で観た、たくさんのライブが、走馬灯のように、脳裏に浮かんだ。
お客さんが満員になって、ライブが始まると、それは、想像していた以上に、楽しかった。演るひとたちも、観ているひとたちも、笑顔に溢れた良い時間は、あっという間に、過ぎて行った。
地下からの階段を昇って、地上に出た。お日さまが眩しい。
まだ、午後二時にもなっていなかった。
でも、その日のわたしは、「ブーメラン」には、ならなかった。
足繁く、この街に通っていたときに、「よくやっていたこと」を、わたしは、ライブを観ているうちに、ふと、思い出したからだ。
自分にとって、格別に懐かしいライブハウスと「再会」したからかもしれなかった。
「あの場所」は、まだ、あるのかしら。。
あのころ、ライブを観る前に、よく立ち寄っていた「喫茶店」を、「記憶」を頼りに、探してみようと、わたしは、思い立っていた。
もう、その「喫茶店の名前」すら、忘れてしまっているので、ネットなどで調べることさえ、出来ない。歩いてみるしか、見つける方法は、ないのだった。
「駅前」は、すっかり変わってしまっているし、よくよく考えて歩かないと、どこに居るのかも、わからなくなる。方向音痴のわたしに、はたして辿り着けるのだろうか。。不安になった。
でも、歩いてみたら、あのころ、よく買っていた「お煎餅屋さん」も、古くからある「お好み焼き屋さん」も、まだ、同じ場所に、あった。
とたんに、「懐かしい想い出」が、甦って来て、わたしは、単純に、嬉しくなって来た。
それに、懐かしい「喫茶店」も、やっぱり、まだ、そのままに、あったのだ。
急な階段を昇った先にある、コーヒーが美味しくて、品の良い、レトロで小さな「喫茶店」だ。
まだ在ってくれた。。
ほんとうに、嬉しかった。
在ってくれたことだけで、わたしは、なんだか、「勇気」を貰った気がした。
「下北沢」は、ほんとうは、そんなには、変わっていなくて、ずうっとそこに在ったのに、わたしは、また、「下北沢のこと」を、ぼんやりして、忘れてしまっていたのだなぁ、と、なんとなく申しわけない気持ちになった。
ただ、とっても懐かしいのだけれど、同時に、なんだか、無性に、悲しい気持ちにも、なった。
あまりにも、「時」が、経ち過ぎていることを、突きつけられたように、感じたからだ。
「喫茶店」の佇まいは、何一つ変わってはいなかった。よく座っていた「お決まりの席」も、まるで、待っていてくれたかのように、空いていた。
それでも、その「喫茶店」の店主は、もう、「違うひと」になっていた。
以前は、わたしよりも結構年配の男性が店主だったのだけれど、今は、わたしよりも少しお若いくらいの女性に、変わっていた。
それでも、お店の空気感は、少しも変わっていないし、その女性は、笑うと、以前の店主と、よく似ているので、もしかしたら、以前の店主は、引退されて、以前の店主の「娘さん」に、代替りしていたりするのかもしれない、とも思った。
でも、そのことを、聞くことさえ、わたしには悲しくて、ためらわれた。
もしかして、店主がお亡くなりになっていたりしたら、そんな言葉は、聞きたくない、と思ってしまったからだ。
あのころ、そのお店をよく訪ねていたころのわたしは、その「喫茶店」で、「考えごと」をしたり、店内にある気に入った「本」を、お借りして、読んでみたり、していた。
それに、「手紙」を書いたり、もしていたのだ。
そうだった。。
わたしは、あのころは、いつだって、「二つの世界」を行き来しながら「生きていた」のだ。「住んでいる町」と「下北沢」と。。
いつも座っていたその席に座って、窓から外を見下ろしながら、かつてよく頼んだ、苦みの強いブレンドコーヒーを飲んでいたら、わたしは、いつの間にか、そんなことを、すっかり思い出していた。
あのころは、住んでいる町の「現実の世界」と、こころのなかだけにある、「空想の世界」とが、いつもせめぎ合って、わたしの「こころの世界」を、「まんまるなもの」にしてくれていたのだ。
「下北沢」の、その小さな「喫茶店」は、わたしの「空想の世界」を、いつだって、助けてくれる場所だった。
わたしは、きっと、こころのなかに、「空想の世界」が無いと、「健康」に生きることが出来ないひとなのだ。
だから、そのことを忘れてしまっていた、ここ十数年ばかりのわたしは、からだだけでなく、こころまでも、すこぶる「不健康」だったに違いない。
よく長女からは、
「おかあさんは、せっかくいい感じになっていたのに、最近は、ほんとに、つまらないひとになったね。」
とか、
「なぜ、そんな風に、常識的な着地をしちゃったの?」
などと辛辣に、批判されていたのだ。
二〇一〇年に大病を患って以来、十年以上もの長い間、「息をしているだけで精一杯の日々」を過ごしていたわたしは、自分が自分らしく生きるために「大切なもの」を、またまた、失くしてしまうところだった。
ーーいい加減、もう、ほんとうに「覚醒」しなくちゃ。「わたしの生きる時間」は、もう、そんなにも、残されていないのだから。。
さすがに、今回は、こころから、そう、思った。
たくさんの若いひとたちが、笑い合いながら、楽しげにおしゃべりをしながら、そぞろ歩いている「下北沢」だけれど、わたしは、やっぱり、これからも、「独りで下北沢に来る」のだ、と思う。
「下北沢」は、わたしに、「空想をくれる街」だから。
「下北沢」は、いまでも、まだ、わたしに対して「魔力」を持っていたのだ。
「空想をくれるための場所」として、筆頭に位置していた、小さな「喫茶店」のことを、思い出せて、ほんとうに、良かった。
せっかく、まだ在ってくれたのだから、また、時々は、この「喫茶店」に来なくちゃ、とわたしは、あらためて、思った。
わたしのこころが「まんまる」になるために。
「下北沢」は、今も、在ってくれている。
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