子育ての正解を手放した
このnoteは、誰のためでもなく、自分のために、ちゃんとその時々の想いや言葉を綴る場所、わたしのこの先の見えない道の一歩一歩の記録の場所。そんな想いで、書いている。
だから、今日も。
ちょっと怖いけれど。
ちゃんと自分の正直な気持ちを、書いていこうと思う。
正直、もう分からないってなってる。
それが、今の、すべて。
数日前、落ち込むことがあった。相手に悪気はきっとなかったんだけれど、その言葉たちは、今のわたしにとっていちばん脆くて柔い部分を直球で突き抜いた。ガンッとメンタルが落ちた。泣きながら、子どものお迎えに行った。
その翌日、子どもの機嫌が朝からずっと悪かった。ずっと文句を言っていて、ずっとキレていて、ずっと小さなことでカッとなっていた。その度に、わたしはビクッとしたり、イラッとしたり、頭がぼーっとしたり、理解できたり、寄り添ったり、はぐらかしたり、話をすり替えてみたり、他のことで気を紛らわせたり。でもずっと根底では昨日の落ち込みを引きずっていた。
時間に余裕がなかった。
まだ自分の用意もできていない中、子どもの支度を先にする。最後の最後で、子どもが今までお願いしたことのない要望をしてきた。叶えようとした。でも急すぎて、やったことがなくて、うまくできなかった。キレられた。叫ばれて、叩かれて、ブチギレされて、癇癪を起こしはじめた。
そこでわたしもプツンとなった。
子どもみたいに泣き叫びはじめた。
「そんなの知らないよ!そんな急に言われても全部完璧になんてできないよ!ママだって人間なんだよ!時間がないって言ってるじゃん!急いでるって言ってるじゃん!うまくできなくてごめんって言ったじゃん!ママ、これだけ頑張ってるんだよ!なんでそんなに責められないといけないわけ?」
「そんな風に怒鳴らないでよ!!」と子どもが叫んだ。
「あなただって朝からずっと叫んでるし怒鳴ってるじゃん!ママだって人間だよ!もう嫌だよ!しんどいよ!叫ばれるのイヤな気持ちになるって言ってるじゃん!ママだって叫ばれたり、怒鳴られたり、叩かれたらイヤな気持ちになるんだよ!」
そこで、親が仲裁に入ってきた。
「つむ。つむ。落ち着きなさい」
床にへたり込んで泣いてるわたしの肩を揺さぶる。
その手を振り払って、ギャン泣きした。
親は、「つむ、落ち着いて」と抱きしめてくれた。
わたしは子どもみたいにわんわん泣き叫んでいた。
隣では、子どもがわんわん泣き叫んでいた。
親はわたしを別室に連れて行った。
わたしはもう、冷静沈着で理解ある大人の顔なんてできなくて。何年も我慢してきたこと、ここ数ヶ月ひとりで抱えてきていたこと。全部、3歳児みたいに泣きながらぐしゃぐしゃになりながら、わんわん言葉にならない声で伝えた。
頑張って、頑張って、でもどれだけ頑張ってもまるで足りないみたいで。今だってずっと頑張ってる。自分のことも、家族のことも、子どものことも。みんなのメンタルに気を配って、配慮して、バランスを保つ努力をして、自分のメンタル立て直すために独学で色々学んで、実践してみて。それを子どもにも地道に伝えて、子どもの癇癪に寄り添って、親の愚痴や疲れてるって話も聞いて。全部、ひとりでやってきたんだよ。行政に問い合わせるのも、情報を求めるのも、病院を探して予約して行くことも、子どもを発育センター連れて行くことも、そこまでの段取りとか全部。過去の話も何回もして。自分の傷口を自分でえぐって。それも、毎回ひとりだった。終わったあと、ひとりで泣いた。ひとりでパニック発作起こして、ひとりでそれを収拾して、落ち着かせて。そんなとき、隣には家族はいなかったじゃん!
ねえ。これでも足りないの?わたし、しんどいんだよ?病院行ってて、薬とか飲んでるんだよ?それでもこんだけやってるんだよ?それでもこんだけ頭使って、身体使って、動いて、動いて、動き続けてるんだよ。家族みんなのために。自分のために。子どものために。どうしたらいいのかって。どうやったら今あるみんなのしんどさが解消されるのかって。ずっと考えて、動いて、実験を続けてるよ。
ねえ、まだ頑張り足りない?まだダメなの?もう頑張るの疲れた。しんどい。しんどいよ。頑張ってんだよ!もう壊れそうなくらい、こっちだって必死に頑張ってんだよ!!もう無理なんだよ!!しんどいんだよ!!もうどうしていいかわかんないんだよ!!知らないよ!わかんないよ!わたしだってどうしたらいいのかわかんないよ!わたしが一番聞きたいよ!
最後の方は、きっと言葉になってなかった。
親は「つむ、頑張ってるの知ってるよ。あなたはよく頑張ってるよ。知ってるよ」って言ってくれた。でも、昨日はわたしのミスを責めたじゃん。頑張ってるねなんて言ってくれたことないじゃん、今まで。そんなことを思った。
子どもみたいに泣き喚くことで、フタしてた感情もなんだか言いやすくなるような感覚があった。どことなく、スッキリ感に近いような、そんな不思議な感覚があった。子どもも、こんな気持ちになるのかな。だから、癇癪起こすのかな、なんて。ぼーっとする頭の片隅で考えた。
しばらくして子どもは勝手に泣き止んでて、わたしは鬱状態に落ちていてぼーっとしてて、ただポロポロ泣いていて。
「ママ、さっきなんで泣いてたの?」
とても無邪気に、ニコニコしながらご機嫌がもどった子どもが聞いてきた。
「〇〇はさっき、なんで泣いたの?」と聞き返した。
「わかんない」と子どもは無邪気に首をかしげて答えた。
「ママも一緒。わかんない。2人とも、心のコップがあふれちゃったんだね。きっと」
精神的にそこまで落ちてるわけではない。
でも。
「もう頑張るのつかれた。子どもの癇癪を受け止めるのもつかれた。考えるの、つかれた。自分と向き合い続けるのもつかれた。子どもに寄り添って、支えてあげて、サポートし続けることもつかれた」
「もはや、子どもと一緒に、感情のままに泣けばいいんじゃないかな?」なんてことを考えてる。
子どもは親の鏡らしい。親が解消できなかったいろんな想いを、鏡にして映しだしてくるらしい。
親が幼少期に我慢してきたこと、本当は言いたかったけど言えなかったこと、背伸びしてわかったふりして飲み込んだワガママ。さみしかった気持ち。悲しかった気持ち。怖かった気持ち。
そういういろんな気持ちを、ちゃんと掘り起こして、「そこにいたんだね」って気づかせて和解させて解放させてあげるために、わざと子どもは親の地雷を踏み抜いてくるっていう話を聞いたことがある。
わたしは幼少期、すごくいい子だったらしい。イヤイヤ期もなくて、すごくお利口さんで、小さい頃から身の回りのことは自分でちゃんとやって。もちろん年相応の部分もあったけど、でも周りの子たちより "ちゃんと" できることが多かった。ママはそれが自慢だった。
でも。わたしは覚えてる。ママと喧嘩したあと、押し入れの中に入って、「わたしなんて生まれてこなければよかったのかな」って泣いた夜のこと。「ママはなんでいつもつむに怒るの?つむは子どもだよ。子どもらしくしてたらなんで怒るの?つむは死んだ方がいいの?」ってお手紙を書いたこともある。年長さんくらいのときだと思う。ママは、そんなこと起こらなかったて言ってる。実際、どっちが本当なのかわからない。
でも、少なくともわたしの中では、それは本当にあった記憶なんだよな。
「今、反抗期の時期なんだよ。こうやって反抗するのが普通なの。ホルモンとか、知らんけど、色々あんの。そうやって反抗期ちゃんとやった方が真っ当な大人になるって言うでしょ。知らんけど。だからちょっとくらい理解してよ。こっちは年相応なんだよ。大人だろ、分かれよ。親だろ、理解しようとする努力だけでもしろよ」
ちょっとしたことでイラついてしまうわたしの一挙一動に怒って叱って説教する親に対して、何度もそんな言葉をぶつけた。
そっちだって更年期でしんどいのはわかるよ。でも、こっちだって思春期でしんどいんだよ。どっちが大人なんだよ。なんでいっつもこっちが理解して寄り添わないといけないんだよ。てか、そもそもなんで反抗期中のクソガキが、親に「わたしは今反抗期の時期なので、反発することへのご理解のほどお願いします」って話しなきゃいけないんだよ。その時点で反抗期成立してないじゃん。もう意味わかんないよ。
殴りたかったガラス窓。殴って壊したら、手は血まみれになって痛いだろうし、病院行かないといけないだろうし、片付け大変だろうし、窓ガラスを取り替えるのだってお金がかかる。無駄な出費だ。そんな余裕は我が家にはない。
理論的にそう考えて、感情を理屈で力づくで押さえつけて、押し込んで、飲み込んで、フタをする。強く握りすぎて爪が食い込んだ少し震える右腕を、反対の腕で爪が食い込むくらい、強く押さえ込んだ。その代わり、自分の部屋のふすまを殴った。既にボロボロだったからいいかなって思って。でも、殴るのはそのふすまだけって決めてた。1枚だけ。それでも、鬼の形相で怒られた。なんなんだよ。じゃあ、どこで発散しろっていうんだよ、この怒りを。
「一回くらい、ちゃんと子どもらしくさせてよ!!」が反抗期時代と成人直前期のわたしの中での一番の怒りポイントだった。
怒りが沸点に達すると、突然やたらと眠くなる。眠ると、怒りはどっかに行ってる。そんなことばっかり繰り返してた。今思うと、自律神経系の「逃げる」「戦う」「凍りつく」の、「凍りつく」を昔から強制的にやってたんだな。結婚生活でも「凍りつく」一択だった。子育てでも、子どもが癇癪を起こしたら、一発目に出てくる反応は「凍りつく」だ。頭がぼーっとして、眠たくなって、思考が停止する。それは専門家の先生によると、動物として一番原初の本能と野生に限りなく近い反応らしい。特に草食動物など、捕食される側の動物の反応だ。その反応が出るってことは、それだけこころの傷が深いってことだと言われた。
子どもは、癇癪でもって何時間でも「凍りつく」状態のわたしを追い立てる。「凍りつく」が役立たない。そうなって初めて、わたしの「戦う」が発動される。つまりは、怒るということだ。
今までの人生、感情的に怒れなかった分を、子どもが無理矢理に引き出してくれてるんだろうか。凍りついてしまったいろんな感情や涙や怒りたちを、子どもが力技でこじ開けて、溶かして、ひっぱり出して、表現する機会を与えてくれているんだろうか。
当時、怒りたくても怒れなかったわたしの代わりに、子どもが思う存分、怒りを表現して発散してくれているんだろうか。
そんなことを考える自分は、親として、親の責任から逃げてるんだろうか。
もう、わからない。
HSP
PTSD
過去のトラウマ
愛着の問題
メンタル不調
シンママ
✖️
HSC
かなり激し目の癇癪
知能が非常に高い
個別にキーワードを調べたら、対処法は色々出てくる。
でも、このキーワードすべてを網羅している状況での対処法って、どれだけ探しても見つけられない。探し方が悪いのかな。
前の結婚生活でのトラウマがまだ癒えていない状態で、その結婚生活で授かった子どもを育てながら、その子どもの癇癪でトラウマが誘発されてって、そういう人ってたくさんいるんじゃないかって思うんだ。でも、こんなこと、言えないよね。限りなく、言ってはいけないことに近い場所に、隣接しているかのような、いろんな感情や言葉たちが入り混じる。そんなこと、そんな状況、簡単には言えない。
だから、子どもの癇癪とか発育とかアンガーマネジメントとか。色々調べてみても、ストンと落ちるものがなかなか見つけられない。いつも少しピントがズレている。親が、安定している前提がある。生活が、環境が、安定している前提が揃っている前提での、安直かつ一般論的なアドバイスばかりだ。
結局、わかんない。
どうすればいいのか、なにすればいいのか、なにしなければいいのか、誰に聞けばいいのか、どこを探せばいいのか、なにを探せばいいのか、もうわかんない。とりあえず、わかんない。
もう、全部が実験。実験を重ねていくしかないなって、この記事を想いのままに書き殴りながら思った。
理論的に、自分を癒してみたり、アンガーマネジメントや感情の対処法、副交感神経を優位にする方法を自分にも子どもにも体得させてみることも一実験方法。
それをやりたいときは、それをやってみたらいい。
感情的に、誘発されるままに、子どもと一緒になって癇癪起こして泣き喚いてみるのも一実験方法。
それしかできないときは、自分も3歳児に戻って、過去にできなかった分、思う存分それをやってあげてみたらいい。子どもふたりが泣いてますみたいな。それもそれで、なんか笑える。自分のこと大人だと思うから苦しいのかもしれない。子どもふたりが癇癪起こしてても、誰も責めない。でもそれが大人だと、急にまわりは大人を責めだす。もちろん、線引きは必要。感情のままになにしてもいいわけでも、なに言ってもいいわけじゃない。
でも。そうやってママだって人間で、ママだって泣いちゃうし、ママだってしんどくなるときあるし、完璧じゃないんだよって。一緒に泣いたら、案外一緒に泣き止めるのかもしれない。完璧でいなくていいんだって、泣いてもいいんだって、弱くなってもいいんだって、思えるようになるかもしれない。
知らないけど。
わかんねーよ。
まじでわかんない。
子育ての正解ってマジでない。
自分も唯一無二。子どもも唯一無二。
親子の形なんて、親と子どもの組み合わせの数だけあるから、状況なんて無限大。
自分で探していくしかない。
子どもと一緒に、探していくしかない。
正解の子育てなんて、別にいらないのかもしれない。
そんなもの、神話なのかもしれない。存在すらしてないのかもしれない。
わかんない。
とりあえず、わかんない。
わかんないってことしか、もうわかんない(笑)
なんで癇癪起こしてるのかなとか、HSCだからとか、今日はストレス負荷高かったのかなとか。もうそうやって分析して考えて、それを周りに説明して理解してもらってとかもつかれた。知らんがな(笑)親だからって、子どもの情緒のすべてがわかるわけなかろーが。予測でしかないよ。そもそも、子ども本人もわかってないよ(笑)理由なんて、いらないのかもしれないし。癇癪起こしてるから傷ついてるとか、トラウマ抱えてるとか、なにか問題があった/あるとは限らんし。知らないけれども。
とりあえず、もう、わかんない!
知らない!
とりあえず、子どものことは大好き。
本気で一番大切。大好き。愛してる。
でも癇癪起こされるとしんどい。
自分のメンタル落ちてたら、受け止められない。どころか、自分のメンタル底辺まで落ちる。それは怖い。自分のメンタルぶっ壊れるんじゃないかなって、それも不安。パニックになることが怖い。鬱状態になることが怖い。あそこに戻りたくない。怖い。
でも、それを恐れてたら、子育てなんてできない。
もう、開き直るしかないのかな。
でも、開き直っちゃったら、落ちてるところとか、泣いてることころとか見せちゃったら、今度それが子どもの愛着問題とか、こころに傷をつけたりすることにならないかな?それが不安。
あー、わかんない(笑)
こっちを立てたら、あっちが立たぬって感じ。
シーソーゲームやってるみたい。真ん中で絶妙なバランスをとって、って。
太もも筋肉痛で痺れそうだわ。
シーソー全然楽しめてないし。
ギッコンバッタン上がったり下がったりも、子どもと一緒に楽しんでライドしていけばいいのかな。
とりあえず大好きって気持ちだけは、ちゃんと伝わってるみたいだから。
なんかもう、そこだけ伝わってたら、いいのかな。
あー、マジでわかんない(笑)
マジで正解ない(笑)
考えるのつかれた。
誰か答えをください(笑)
って思うけど、正直、答えなんてきっとないんだろうこともわかってるんだよなー。
安直に答えっぽいもの出されても、多分見当違いの一般論だし。
この文章読んだだけで、我が家の事情のすべてを理解して、その上でちゃんとした答えを出せる人なんて、絶対存在してないよ。そんな人いたら、それもう神様とかそういう存在だよ。
結局、自分のこころに尋ねるしかない。
自分のこころの内側にあるすべてを知ってるのは、自分だけなんだから。
とりあえず、感情のままに書き殴ってみたら、ちょっとスッキリしました。
子育てってマジで大変ね。
わかんないの極みだね。
世界中の親たち、保護者たちよ。
よく頑張ってるよ。
わかんないの連続の中で、よく頑張ってるよ。
頑張ろうね。
頑張りすぎない程度に。
頑張りすぎないってこと自体、頑張らないとできないのが親業ってやつなんだけどさ。
サポートしていただいた方のことは忘れません