春央
2023夏
伊豆を舞台とした短編です。ミツメを流しながらどうぞ。
昨年の夏に書いた小説です。
雛子はしきりに首をさすって、痛い痛いと子供のように騒いだ。 「身体よじって後ろばかり見ているから」 「だって、しばらく外に出ることもなかったから」朝早く浜を出た二人は、港で朝食を取ったのち、少しでも目に付いた所には車を止めながら、だらだらと海岸線に沿って西へ走った。アクセルを踏む足は、まだ痛んだ。 「三島からこう海を左手に見ながらこの道を走っているとね、そのたびに弓の浦のことが思い出されるの」 「弓の浦?どこですかそこ」雛子は少し下した窓から海風を浴びていた。音はうるさくな
「その代わり嵐になっては仕方ないだろうけど」 インターホンが鳴った。定期便の水が届いたのだろう。もしくは彼女の頼んだコンタクトレンズか。 省吾は痺れかかった手で枕をしなおし、白い天井を睨んだ。どこからか、せっかちな蝉の声が聞こえた気がした。 頭上で何かが光った。虫だろうか。いや、そんなはずはない。蛍は話の中で出て来ただけだ。淡く、小さな光だった。その光は、夜空に見る劣等星のそれによく似ていた。しかしもちろんそんなことはない。ここはマンションの六階で、彼が見上げているのはま
寺には南国らしく蘇鉄が植わっている。莉佐は通りを抜け、蔭めいた細い路に入った。 莉佐が、省吾の育ったこの町に住むことを決めたのは、この湧き水に魅入られてのことでもあった。忍水が噴出す公園の池から方々へ川が延びており、営みそのあらゆる時と場に水音と緑が添えられる。よく調べてみたことはないが、暗渠となるところも少なくないのだろう。文字通り湧水に抱かれた町なのだと思えば、土地とその名は美くしく磨かれ、流れてもとの水ではない流れがともすると落ち込みがちな小さな町の停滞を洗い落すか
「雛子さんに仕事を止すよう言ってくれないか」省吾は次の酒を注いだ。風の音のないのを不審に思っていたが、冷房が時間で切れたのだった。 「もう諦めたら?」莉佐はもう一度電源を押し、 「寝苦しくてまた点けることになるわ」 「まさか、まだ梅雨入して三日だよ」 「晴れたら暑いし、雨なら吹き込むから」省吾は窓を開いて露台へ下りた。上層階から望む雨足は長く、音は無い。明りのほとんど消えた街は細密な版画のようであった。 「ねえ、私今自分で言って思ったのだけれど」莉佐は手もとにグラスを寄せた。
波打際までせり出した崖の風穴を、手伝いに抜けた先が月の濱であった。鹽の路が弓なりを掻いて夜の低みを結んだ。水面に宿った影がすぐに傾いだ。 波は砕けてあぶくが黒く砂を磨いた。濡れた砂がやがてつぶだった塵のような光を取り戻して、めいめい空へ返した。その絶えまない繰返しが、原初の時を思わせるほどのひたむきさであった。 二人は濡らした足を駆けだした。路面に転ばした雪玉のように、足裏に纏いつく砂粒をむしろ快く蹴上げながら、嬌声もまた砕ける波の音に飲まれた。 「誰もいないわ!」雛子
図書館附の食堂は昼のピークが遅い。アルファベットを冠した定食の提供時間が終わった頃合いを見計らって入ると、後に続くように透明な手提げにいそいそと十人ほどなだれてくるのを、まるで自らが呼び水でもあったかのように、忙しく立ち働く女の姿を眺めながら、勝手に申し訳なく思っていた。 ところで、私のいう図書館附の食堂というのはこう書いただけではピンとくる人が多くはないかもしれないけれども、私に限って言えば案外縁は浅からぬもののようだ。小学生時分、夏休みはほぼ毎日パートに
コピー機は冬の季語だった。 博物館でも美術館でも、どこか室の中でものをするというときにはそれがどれだけ小さく軽いものでも手荷物にあたるものは全部ロッカーに仕舞って、それから行くというのが、長らくの習慣となっている。まさか100円玉が返ってこないことなどはないけれども、仮にそうであったとしてもかまわず預けるほど、僕にとっては欠かせない、欠かせないというよりもそうでないと上手く回りきれる気がしない。 そんな風だから、ミュージアムをはしごするなど聞くと、よっぽどの健脚だ
さいきん、人とのLINEで「草」しか使っていないのでまともに会話が成立している気がしない。もはやクリシェとすらいえないコミュニケーションの放棄なのだが、はなからまともに言葉を交わすつもりがないのではなく単に疲れているからだ。昨日も当たり前のように親指をコイントスの要領で上へ跳ね上げると、わずかにあてが外れたのか、「ぬさ」と打ってしまい、予測変換には「幣」といかがわしい一字が浮かんだ。 子どもたちには当たり前のような顔をしてテストを課し、その例語は十中八九の「紙幣」。「弊」
その名にふさわしい秋の雷(あきのらい)――つまり稲妻が教員室から望む林を刹那青く照らしたのち夕闇に、吸われていた。空が暗いのは日の落ちるの早くなったためもあるが雲はどす黒く、元々休みにあたっている人が多い金曜日の夕方まで残って採点をしていた数学の先生らに囲まれ、時折無駄口をたたきながら、私は啄木の評伝を読んでいた。道楽ではなく、むろん必要に迫られてのことだった。大学の講義―あれもたしか秋口の雨の宵ではなかったか?―で、教授が自身の師が金田一京助に習っていたころの話を孫引きで
本当は書こうとしていることがあるのに、何故かそんな真面目な気になれない。 今朝は人の部屋で起きて、家主は何か言葉を残して仕事に出て行った。それからまた何度寝かして、軽く掃除とゴミのまとめとを言いつけ通りにして、昨晩買っておいたコロッケパンと温かいカフェオレの朝食をとって、洗っただけでアイロンのかかっていないシャツを着て、部屋を出た。 これまでしてきたような朝(もはや昼だったが)帰りの後ろめたさはもうない、こうして書く段にならないとそれを思い出せないほど、遠くに置いてき
日曜日に熱が出た。検査をするとコロナだった。初めて罹った。 その前の木曜日、午前中の講習が終わってその足で実家に帰った。週末に父方の里へ帰るその前に、石和に寄っていくことになっていた。 宿に着いたときからもう弟は頭が痛いといってしばらく部屋で寐ていた。夜遅く、四十度近くまで熱が上がったので名古屋行は取りやめ、次の朝そのまま引き返して来た。 日曜の明け方から喉が痛かった。移されたかと思ったら果してそうだった。熱はそこまで上がらなかったが上がったり下がったりを繰り返すの
作家自ら言うように、嫌悪を催す短篇だった。先に朝食を済ませておいてよかったと思うほどに。して、その感じも久しぶりのものではあった。 空になったカップを手に室を出た。畳の上に胡坐をかいていたので足が痺れていた。立ち上がって何度か伸びをすると、外の辺の緑のモザイクの光が胸から腹へ、腹から胸へ滑る。雲が出ているが明かるかった。しばらくは、雨が来ても部屋に私がいる。むしろ隣家の庭に出してある洗濯物を気にしながら、流しの前に立った。 朝食で出た芥が排水溝のネットに掛かっていた。
終業式がひけてその足で実家に帰った。次の日は街で友達と遊んで、昨日は野球の応援に行った。もちろん監督で入るわけではなくて、名前だけ入っているブラスバンドの副顧問で、何かを教えるではなく暑気あたりで倒れる子がいないか(もちろん自分の身の方が心配だったけど)、林間学校の引率に出てしまった上の人の代りの、まあお守りだった。 講習を抜けてきた高3の、もう引退した子が金網にはりついて黄色いメガホンをぶっ叩き楽しそうに野次を飛ばしていた。ちょうど今見ているアニメに出てくるヴァイキングたち
朝の支度が奇跡的に早く済んで、出かけるまで15分ほど余った。TVを消し、暑くなる前に少しでも早く、とも思ったが自転車を漕ぐうちにどうせ汗をかくからと、ちょうど頼まれていた学年通信に載せるもののために、葛西善蔵を読み直して時間を潰した。 やるべきことは午前中にほとんど済んでいて、それでこれまで名前でしか知らなかった「おせいもの」を青空文庫で辿っていた。ここに引くのも憚られる中身と、書きぶりがぴたりと合っているのがいかにも真率な感じがしてむしろ爽やかだ。彼の下宿が建長寺の庫裏
木曜日が休みなのに、ちょうど週に二度の可燃ごみこ日にあたっているから、8時半に一度起きてアパートの敷地の外の収集場まで出なきゃいけない 深夜のうちにこっそり出しても、とは毎週思うけど、朝になって烏にやられでもしていたらそのほうが面倒で それでも今日はゆっくり二度寝三度寝とうまく息継ぎをしながら、11時半まで泳ぎきった 朝は仕事に出る日と同じように、オレンジとバターのしみたトーストと柔らかいゆで卵 今日からコーヒーは冷たいものにかわった 洗濯機を2回回して、今日で冬ふとんのシー
頭が痛くて起きた。八時半だった。 閉め切ったはずの部屋がほの明かるいのに、夏の光りを思う。買ったばかりの枕を頭から引っこ抜いて、だましだましどうにかもう一度浅く眠れて、覚めたときにはお腹が空いていた。その手でケンタッキーをUberした。 サニーボーイを見通した。峯田は合ってなかった。その後ずっとスペアを口ずさみながら、冬物の布団を取り込んで、洗濯物を畳んだ。室外機の上の蚊取り線香に火を付けて、マッチはすぐにごみ箱にでなく流しへ。冷凍してあった赤魚をグリルに突っ込んで、冷凍して