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尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―

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尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―3/3

尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―3/3

3.「伝説」を棄てること 「生きるためには必要ない伝説だった」――「オフィーリア」の一節は、このような理解の上に立ってはじめて尾崎雄貴というミュージシャンの大きなブレイクスルーとして了解される。尾崎はそれまで自らが用いて来た伝説、換言すれば物語の世界とこの時点において一種の訣別を図っている。先日のライブでの発言を踏まえれば、それが彼のごくパーソナルな問題を扱うところのwarbearの詩に書きこまれ

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尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―2/3

尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―2/3

2.闇の系譜2-1.倫敦の曇り空

 ここまでは尾崎雄貴の詩作が(少なくともGG時代において)00年代のフォロワー的作法として一種の聖女志向を備えた物語世界の様相を呈していることを確認してきた。そこでは芸術論と女へのまなざしが交差するテクストとして『草枕』を引いてきたわけだが、小説に於ける絵画の問題を考えるためには、その前提となる知識について些かの説明を要する。
 広く主に学校教材などで漱石を通り

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尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―1/3

尾崎と漱石―「オフィーリア」から考えるGGの再始動―1/3

はじめに warbearの新作『Patch』は不世出の名盤となった。前作『warbear』からおよそ5年、一種の古儀式派じみた厳格さ、真摯であればあるほど飢えていくような殉教の身構えは古い伏流としてみなぎり、しかし全体として今作を覆うのはさしあたって彼が「愛」と呼ぶことにしている温かな切実さだ。ニ枚を比べ聴くとき、私たちは詩人の隔ててきた時間の長さを思い、傷ついた熊の永い眠りというものは案外息苦し

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