出版社を辞めた僕はキャバクラで黒服をすることになった。 #6(完結編)
(前回)
かつて勤めていた出版社は、決して悪い職場ではなかった。
大手企業で給与も十分、人間関係も良好だった。
それでも退職しようと思ったのは、自分の居場所ではないと思ったからだ。
物書きとしての夢を追うため、もっと相応しい居場所があると信じた。
出版社を退職して1年後、僕はキャバクラで黒服をすることになった。
汚い場末のキャバクラだが、出版社にいた頃とは別の楽しさを感じていた。
執筆業と両立できるシフトの自由さ、そして何より、欲望を丸出しにした人間模様の面白さがそこにあったからだ。
* * *
醜悪なぼったくり事件以降、店は変わっていった。
店長は弁護士を目指していて、司法試験のため10月にはこの店を辞める予定だった。
偶然にもぼったくり事件と辞める時期が重なったので、傍から見れば事件のせいで辞めたように見えたかもしれない。
いずれにせよ店長がいなくなり、新しく男の店長が就任したが、キャストたちにとってかつての働きやすさは失われてしまった。
当然そこにはぼったくり事件の噂――この店の“嘘つき”な体質の露見も影響していただろう。
偶然ではあるのだが、同じ時期から店にはゴキブリが大量発生するようになった。灰皿やグラスの中にも現れる始末だった。
僕は何度もバルサンの使用を提案したが、新店長は就任したばかりで覚えることが多く、減っていく一方のキャストを引き留めるのにも精一杯。社長をはじめとする上層部からは細かいミスを指摘され、毎日長時間の叱責を受けて日に日にやつれていた。
さらに年末には副店長が行方不明になり、店の経営機能は十分に働かなくなった。
次々とエース格のキャストが辞めていき、僕自身もうこの仕事へのモチベーションを保てなくなっていた。もはやこの店を好きだった時期は過ぎ去ったように感じた。
ちょうどライターとしての執筆業が忙しくなっていたのもあり、年末には週1での勤務がやっとという状況になっていた。
12月中旬の夜。
そろそろ潮時かもしれないな、と思いながら店の外でキャッチをしていると、例の高身長モデルのような清楚系女子・リタが店外に出てきた。
店内に客がいない場合は、キャストが店の外で呼び込みをかける場合もある。実際に女の子が立っていた方が、男性客も寄り付きやすいためだ。
その日は通行人がおらず、暇を持て余したリタは僕に話しかけてきた。
「もうやめちゃったと思ってました。ここのところ見かけなかったから」
僕は最近週1でしか入っていないことを告げて謝った。
話しているうちに、リタももうすぐこの店を去ることを知った。そろそろ昼職の方に集中することにしたらしい。
「私、ファッションブランドで服を作ってるんです」と笑うリタ。僕は驚いた。
「え、服を作ってるんですか? 売るとか卸すとかではなくて?」
「はい。自分の作った服を着てる人を街や電車で見かけると嬉しいですよ」
「すごいなあ。昔から興味があったんですか?」
「ええ。服飾大学で造形を学んでました。ていうか子供の頃から、服を作るのが好きで……。あ、今でも彼氏に服を作ってあげてるんですよ。彼氏、友達にすっごい自慢してるらしくて(笑)」
こごえるような寒い夜空の下、その会話を通して僕は感じた。
彼女たちにはもっと広い人生がある。
このキャバクラに人生を懸けている者など一人もいない。
彼女たちがここに勤務しているのはあくまで小遣い稼ぎのためだ。
だからこそ、もう執着する必要はない。今こそ自分の人生に戻るときなのだろう。
ここは居場所ではなかったのだ。
僕は出版社を辞めた頃のことを思い出していた。
ネタ探しのためと言いながら、僕は心のどこかで新しい居場所を探していたらしい。
もっと相応しい居場所を、また探し始めなければならない。
翌月、僕は退店の申し出を行った。
自宅から電車ですぐに着く街なので、今でもたまにその店の前を通ることがある。
個人的にあまり好みではない看板が今でもかかっている。営業は続いているのだろう。
店長は変わっているのか、キャストに知人は残っているのか、営業形態もあの頃のままなのか――。
それはわからないし、確認するすべもない。
もしあるとすれば、客として店に入ることだが、何しろいまの僕は金のない底辺ライターである。高額のセット料金にキャストへのドリンク代を加え、さらにサービス料と消費税を上乗せして払うような経済力はない。
だからこそ、いつかあのさびれたキャバクラでドリンクを入れてみたい。
そんな思いで、今日も筆を進めているのである。(牛)
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?