『君たちはどう生きるか』の意味が分からないって? 俺たちは意味しか分からなかったぜ
※以下の記事には『君たちはどう生きるか』のネタバレが多分に含まれています。
北山:いまバルト9の帰りなわけだけど、ぶっちゃけどうだった?
四ツ谷:いやぁ意味が分からなかった。たとえるなら、サイケデリックな夢を観てる感じ。映像は綺麗だったけど。
北山:もう入口から分からなかったよね。ナツコおばさんは、なんで消えたのか。自分の理解力が低すぎるんじゃないかって、思わず不安になったよ。
四ツ谷:あのストーリーを普通に理解するのは無理だと思うよ。宮崎駿本人も「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」って言ってるらしいし。
北山:だよね。まあ、強引にメタ的な解釈に逃げ込むなら、むかしの『パンズ・ラビリンス』って映画と同じ構造と理解できなくもないけど。
女の子が不思議の世界に迷い込む。でも、それは幻覚なんだよ。あまりにも現実世界の戦争が悲惨すぎて、そこに逃げ込むしかなかった。狂った現実で正気を保てる大人たちのほうが狂ってるのでは? ってメッセージが込められている。
四ツ谷:まず妊娠しているおばさんが、自らの意志で家を出る必要がないもんね。お父さんと上手くいっていないならまだしも、少なくともあの描かれ方で、その理由は分からなかった。イチャイチャしてたし。
北山:やっぱり、現実世界での出来事じゃないのかもね。だれかの幻想のなか。お母さんを失くしたことで、眞人がおかしくなったと考えるのが、一番自然かもしれない。
四ツ谷:となると、彼はどこから狂っていたのか。ポイントは友だちとの喧嘩だと思う。孤独じゃないと幻想世界に逃げ込む必要がないから、あれは現実だ。だから、傷は間違いなくある。具体的には、彼が自分の頭に石を打ち付けた辺りが、幻想の始まりだと捉えられるのかな。
北山:であるなら、割とストーリーが理解できるかも。おばさんがいなくなったのは、眞人が心の底ではおばさんを受け入れていなかったからだ。どこかで、出て行って欲しいと思ってたんじゃないかな。いざ探しに行った時に「お父さんの好きな人なんです」って連呼していたのも、違和感があった。だって「おばさんを探しています」でいいわけでしょ。「出て行って欲しい」と「お父さんの好きな人だから受け入れないと」っていう感情の狭間の葛藤が、あの世界をつくっているのかもしれない。
四ツ谷:アオサギが喋り始めたり、嘴が二重に見えたりして、それに攻撃を始めるシーンから、現実との境目が曖昧になっていく感じがあるよね。何かに怯えて、それを攻撃しようとする行為は、精神の崩壊を暗示していると思えなくもない。
北山:なるほどね。疑問は残るけど、この方向で無理矢理に理解してみようか。じゃあ、あの世界の主は大叔父だったわけだけれど、どうして会ったことのない眞人の幻想世界に、大叔父が登場したんだろうか。
四ツ谷:おかしくなって消えちゃったってことは聞いてたわけでしょ。そりゃシンパシーを感じると思うよ。自分もおかしくなりそうになってるわけだから。そう考えると、あの世界の創造主が大叔父であることも理解できるし、世界の継承のやり取りも意味が分かる。
北山:うーん、一応これで説明できてるのかなぁ。まあ、そう理解したとしても、かなり尖ってはいたよね。あんな単館上映で若手の監督がやるような映画を、満員のバルト9で観ることになるとは。
四ツ谷:これが宮崎駿の最後の作品だとしたら、本当にやりたかったことのはずだよね。実際に最後の作品になるかは置いても、年齢的に想定はしていると思う。満員の映画館で意味の分からないものを観せるってことがやりたかったのか。
北山:俺が世界的な映画監督だったらって考えると、最後に分かりやすい作品で終わりたくないって気持ちは理解できるかも。大いにファンを混乱させて去っていきたい。
思わず考察記事を読んじゃったんだけど、ラストの世界を表す積み木の数は13個らしい。で、その13って数字は、宮崎駿の今作を含めた監督作品の数と同じ。積み上げたキャリアを崩すって意味があったのかな。
四ツ谷:宮崎駿がこれを最後の作品にしたかったと理解すると、ここまでファンを集めてきた万人受けする作品たちは、この作品に向けた伏線だったわけか(笑) で、ファンの目の前で、それをガラガラ―って崩す。
北山:「君らが夢中になってきたものって何だったの?」って問いかけだね。「ここまで着いてきてくれてありがとう。全部壊すから、あとは自分の価値観で考えてね」って意味かもしれない。
四ツ谷:そこまで言わないにしても、少なくとも「理解できる」ということを疑った作品ではあったかな。
ああだこうだ言ったけど、解釈自体が無粋な世界なのかもしれない。世界への理解を拒んでいるというか、この世界を動かす論理の脆弱性をついているというか。だって意味が分からないもん!
北山:エンディングの米津玄師の曲にも、何かがきしむ音みたいなのが入っていたもんね。あれは世界論理がきしむ音だったのかな。現に俺の平衡感覚、狂ってるから。いま夢を観てるみたいな気持ち。
四ツ谷:にしても、あの作品を初めて観た宣伝・広報担当は困っただろうね。全然情報を出さなかったのは、なんて宣伝したらいいのか、分からなかったからかな(笑)
北山:純文学のあらすじを書けって言われた時と同じ気持ちだと思う。そうだよ! あれは純文学だったんだ! 純文学を「理解できた」って言ってる方が狂ってる。
四ツ谷:そもそも「君たちはどう生きるか」ってジブリのキャッチぽいし、キャッチは不要だったかもね。「生きろ。」とか「好きな人が、できました。」とかと同じイメージ。
北山:なるほどねー。もうこの映画に関しては、理解しかしてないわー。
追記:本記事で「君たちはどう生きるか」が宮崎駿の最後の作品だろうと言いましたが、どうやらそうでもないという情報も出回っています。
もう我々には理解できません。